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12. やわらかに、甘い



 リネーネがランスへの手紙をしっかりと折り込んでいると、ルースは軽い足取りで戻ってきた。

 すでに書き終えているのを見て、ご機嫌にディア湖の色に染められた便箋をリネーネの前に置く。


「では、お願いします!」

「よろこんで。お前はランスへ報告を頼む」

「はい!」


 ルースはいそいそと座ると、いつも正面に置く椅子を少しずらし、兄への報告書を書き始めた。絶対に盗み見ない、という意思を感じるほどに、真剣にペンを握っている。

 

 リネーネは、何気なくその美しい便箋をひらりと摘んで、窓から入ってくる日差しに透かしてみる。

 午後に傾き始めた光りは、どこかぽかぽかとあたたかい。

 ディア湖を思わせる色が空に溶ける。

 しばらくそれを見つめ、リネーネはペンを取った。


 二つの異なる筆記音が、家の中に優しく響く。







 リネーネが顔を上げると、ルースは頬杖をついて窓の外を見ていた。

 端正な横顔は、瑞々しい生命力が満ちている。

 生きているのだ、とリネーネは思う。

 加護に生を握られているが、確かに生きている。

 今までの誰よりも自由に。

 

 そう見えてしまうのは、自分の願望なのだろうか。


 リネーネはしばらくルースの横顔を見ていたが、そっと視線を外してから、声をかけた。

 

「……ルー」


 呼んだ瞬間、ルースは顔を輝かせた。

 あんなにも静かな横顔だったというのに、それがきれいに消えるほどの切り替えに、リネーネはどこかほっとする。


「はい!」

「書けたよ。ほら」

「あっ、だめです。封筒に入れてください」

「? なぜ。今読んでくれて構わないのだけど」

「読みませんよ! 大事に取っておくんです」


 当然のように言われ、リネーネは理解できないながらも「そうか」と答えた。きっと、突っ込んで聞かないほうがいいのだろう。

 封筒に入れたそれを、少しだけ丁寧に渡す。

 ルースは宝物を受け取るように両手で受け取ると、ただ静かに「ありがとうございます」と目を伏せた。金色のまつ毛がほんの少し震える。


「僕の一生の宝物です」

「……あのね、お前の人生はまだまだ長いから。私はそのために」

「リネーネ様」


 ルースに凛とした声で呼ばれたリネーネは、口を閉じる。幸せに満ちた輝く目には、一つの濁りもない。

 


「僕は、自分がしたいことをして、自分のために生きています。《《何にも傷つきません》》。大丈夫です。大丈夫ですよ」

「……私が負った怪我は、すべてお前に行くのに?」

「はい。それでも僕は、簡単には傷つきません」


 安心させようとするその目を見ていると、リネーネはもう降参したように笑うしかなかった。

 どこまでも、ルースは自分に甘い。

 甘えてしまいたくなるほどに、やわらかに、甘い。

 

「……あのね、私はそれでも、お前の命を大事にしたいんだよ。決して、傷つけぬように」

「もう。リネーネ様は僕に甘過ぎますよ」

「……」

「? なんですか?」


 リネーネは「ふ!」と吹き出した。

 甘やかし合っているのならば、なんとおかしいことだろう。


 リネーネはルースから報告の封筒を受け取ると、ランスへの手紙を入れた。あんなにも嫌がっていたのに、決して「何を書いてるんですか」と聞いてこないところも、ルースの強さだ、と思う。


「ルース」

「はい」

「お前、早く結婚しなさい」

「なんですか急に」

「全く急じゃないと思うが?」

「じゃあ、検討させてもらいます」


 これは、検討する気が一切ない。

 リネーネは封をしながら、ルースを見つめた。


「私が納得する相手を連れておいで」

「……どうしてそんなことを言うんです」

「そう言えば、お前は外を見て〝この人は納得するだろうか〟と考え始めるだろう? 今は全く考えていないからね。一つ、基準を持ってごらんよ」

「本当に結婚してほしいんですか?」


 あまりにも純粋に聞かれ、リネーネはくすくすと笑った。


「そうだね」

「僕は一緒にいられないのは嫌です」

「一緒にいられる時間など、そもそも少ないんだよ、ルース」


 ルースは封筒を受け取ろうとしていた手を止めた。

 リネーネは渡さずに、テーブルの上に置く。

 

「お前の命を握っているのは私だ。だからせめて、人生まで私に握らせないでくれ」


 甘やかしても、甘やかされても、いつか「ルース」は必ず先に死ぬ。

 何よりも、深く深くその心に触れることがリネーネは恐ろしかった。


「リネーネ様は」


 ルースがテーブルの上の封筒をそっと取り、窓に向かってひらりと振った。

 黄金の矢となって、あっという間にアルゼ山を超えていく。


「リネーネ様は、怖がりですね」


 座標を思い浮かべているのか、ルースの髪が金のさざなみのように揺れる。不可思議に。そして、美しく。


「言ったでしょう。僕は自分のために生きている、と」


 それ以上何も言わないルースの落ち着いた笑みは、リネーネの蓄積した不安を一枚一枚剥がすようだった。

 何一つ揺れない意思が、リネーネの心の内に落ちてくる。


 それは、どこまでも高潔な輝きに満ちていた。




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