第8話 髪飾りと栞、そして迫る影
「モンラヴァンほど自然豊かではないが……町外れには花畑もある。少し店を見てから案内しよう」
エルダシアの街並みは遠くから見ると白く無機質な印象を受けるけど、細い路地に入ると意外にも色彩鮮やかだった。
窓辺にはゼラニウムやパンジーなど色とりどりの花が飾られていて、建物の壁にはクレマチスが這っている。
「凄いですね! フェンスのこんな細い場所にまでツタが巻きついてる」
「楽しそうで何よりだ」
陽の光に照らされた花々は生命力に溢れ、見ているだけで元気になるようだった。
きっと前世の私も、この世界に息づく生命たちを守りたいと、心からそう思っていたのだろう。
*
住宅地のある路地を抜けると広場に出た。
市場が開かれており、人々で賑わっている。
色とりどりの屋台が並び、焼きたてのパンの香ばしい匂いや甘い果実の香りが辺り一帯に漂っていた。
食べ物だけではない。市場にはアクセサリーや雑貨の店、土産物屋なども軒を連ねていた。
カラフルな異国の置物や、小瓶に詰められた香油。
どれも可愛くて眺めているだけで時間を忘れてしまいそうだ。
「これ、素敵です」
私が手に取ったのは、花の形を模した銀色の髪飾り。
花弁の部分には色とりどりの薄いガラスが嵌め込まれている。
しかし私は今まで自由に使えるお金を持ったことがない。気に入ったとしても買うことはできなかった。
買えないけどいくらだろうと何気なく値段を見ると、想像よりゼロが1つ多かった。
ドキッとして戻そうとしたら、エルディオン様に取られてしまう。
「これを貰おう。請求書は私の名前で神殿宛に」
「毎度あり。……って、エルディオン様じゃありませんか!」
請求書と思われる紙片を手に、店主の男性が声を上げた。
並び立つ私たちを交互に見て目を丸くしている。
「お隣は奥様ですか。この度は誠におめでとうございます」
「ああ」
店主はわざとらしく口元に手をやり、声のトーンを落としてヒソヒソと囁いた。
なんか祝福されているし、エルディオン様も否定しない。
私は恥ずかしいやら申し訳ないやらで逃げ出したかった。
店主から髪飾りを受け取ったエルディオン様は、それをそのまま私の髪に差した。ふいに耳に指が触れ、顔が熱くなる。
「似合っている」
「ありがとうございます。でも……私奥様じゃありませんよ」
「いずれそうするつもりだ」
「いずれって、いつですか」
「さあな。それはフローリア次第だ」
揶揄うような言い方だ。
そもそも約束もしていないことを私次第にしてくるなんてちょっと意地悪。
でも、不思議と悪い気はしなかった。
歩き出したエルディオン様の後を追いながら、さっき貰った髪飾りにそっと触れた。
「でもこんな高価なものをいただいてしまって申し訳ないです。何もお返しできないのに……」
「私が対価を求めているように見えるか?」
「み、見えませんけど……」
言い終えるより先にエルディオン様が私の手を握った。
「フローリアが隣にいてくれれば十分だ。それでも何か言いたいなら——こうしていろ」
そのまま、恋人同士のように指を絡めてくる。
そんなことされると思ってなくて、びくりと肩が跳ねた。
緊張で頭が真っ白になってどうしていいのか分からない。
それでも振りほどこうとは思えなかった。
「嫌か?」
少し屈んだエルディオン様が耳元で囁く。
「い、嫌じゃ……ありません」
俯いたままぼそぼそと答えると、応じるように指先に力が込められた。
*
市場の通りをしばらく歩いていた私は、とある屋台の前で足を止めた。ドライフラワーやハーブを並べた店だった。
商品の中に押し花の栞を見つけ、手に取る。
ラベンダーとスミレ、それからアイリス。紫で揃えた3枚セットだ。
「これは何に使うんだ?」
エルディオン様が私の手元を覗き込む。
銀の後れ毛が私の頬をさらりと撫でた。
「栞です。読みかけの本に挟んで、どこまで読んだかの目印にします」
「フローリアは本が好きだな。ではこれも貰おうか」
私の反応を待たず、エルディオン様がさっさと会計を済ませてしまう。
店主から栞を受け取り、私に渡してくれる。
「ありがとうございます。じゃあこれは、エルディオン様に」
アイリスの栞を抜き取り、エルディオン様に渡そうと思った。
でも、自分が買ったものをそのまま貰っても嬉しくないかな。
一瞬手が止まる。逡巡したあと、栞をそっと差し出した。
「エルディオン様の魂花です。せっかくなので……お揃いで使いましょう」
「いいのか? ありがたく貰っておこう」
エルディオン様の表情を伺うと、彼は嬉しそうに口元を緩ませていた。
*
市場の区画を通り抜けると、石造りの噴水とベンチの並ぶ場所に出た。
「疲れただろう。少し休憩するか」
エルディオン様が私を噴水近くのベンチに座らせてくれる。流れる水の音が心を落ち着かせてくれた。
少し、頭がクラクラする。
人が多い場所に行き慣れていないので大勢の人を見すぎて目が回ってしまったようだ。
「飲み物を買ってこよう。すぐ戻るが……1人で大丈夫か?」
「大丈夫です」
離れてゆくエルディオン様の背中を眺め、まだ温もりが残る手のひらを見る。
今日が終わってしまうのが名残惜しいな……こんな時間がずっと続けばいいのに。
そんなことを考えている自分に気付き、はっとする。
「フローリア、久しぶりだな」
その時、背後から声をかけられた。
聞いたことがある声。振り返るよりも先に分かってしまう。
——ガイウス様だ。その声は冷たく低く、怒気を孕んでいた。
「エル——」
「騒ぐな」
声を上げようとしたが口を塞がれる。
空気がうまく吸えなくなり、恐怖に身体が震えた。
「話が終われば解放してやる」
従うしかない。逃れられないと悟った私は、抵抗する気はないことを示すため首を縦に振った。




