第5話 弟竜の訪問と魂花の絵
部屋に戻った私は、椅子に座り本を読んでいた。
昨日から色々とありすぎたけど、ようやく落ち着いた。
神域の空気は澄んでいて、窓の外からは風に揺れる草木の音が微かに聞こえる。穏やかな時間だった。
祖父と父が本好きで、実家には財政状況の割にたくさんの本があった。
こっそり書斎から借りてきて自室で本を読む時間が唯一の安らぎだったことを思い出す。
植物図鑑や地図の本、物語、創世神話。
本を読み、どこまでも広がる世界に思いを馳せていた。
そうしているとちっぽけな私でも存在を許される気がしたのだ。
その時、こんこんと控えめなノックが響く。
誰だろう。エルディオン様はノックしないだろうし、マリエルさんかな?
ドアを開けると私と同じくらいの身長の、細身で中性的な少年が立っていた。
「こんにちは! ボク、エルディオンの弟のクロト」
さっきエルディオン様が少し話してくれた弟だった。
サラサラの黒髪を肩の高さで切り揃えた、見た目だけは10代半ばほどに見える、あどけなさの残る少年だ。
「初めまして。どうぞ入って。でも——びっくりした」
「ボクが可愛いから?」
「一瞬、妹の間違いかと思った」
「えへへ、似てないでしょ」
似てないのもそうだけど、雰囲気が全然違う。
怜悧な美貌を持つエルディオン様と、目の前で可憐に笑うクロトが兄弟だとは、言われないと分からない。
彼は興味深そうに部屋をキョロキョロを見渡している。
「いいお部屋! 兄上が頑張って作ってたんだよね。義姉上のために」
「私もいい部屋だと思う。でも、義姉じゃないよ」
「そのうちなるんでしょ?」
「ま、まだ分からないかな」
しどろもどろになる私の様子を見て、クロトがくすくす笑った。
その様子はどこかの令嬢だと言われても信じるほど愛らしい。
「フローリアにお願いがあって来たんだ」
「お願い?」
「魂花の絵を描いて欲しいの。ボク1度も神域の外に出たことがなくて。ここに花読みができる人はいないから、自分の魂花がどんなものか知らないんだ」
「私でよければ」
やったあと喜んだクロトが、手のひらサイズの紙を差し出した。
「これ、魔力が込められた紙なんだけど、これに描いてね」
「画材は……」
「魔法絵の具! 兄上が用意してるの見たから、そこの棚に入ってると思う」
クロトの言う通り、棚の引き出しを開けると新品の魔法絵の具セットが入っていた。しかも、有名な芸術学院の公式マークが刻印されている。
これは、相当高価なものではないのだろうか……
私は、絵を描くのも好きだった。
幼少期は書き損じの裏紙をもらって図鑑のイラストを真似したり、魂花の絵を描いていたけど、紙の無駄遣いをするなと怒られてからは地面に棒で描いていた。
それも姉妹に踏み荒らされるからいつの間にか描くのを辞めてしまっていた。
でもこの絵の具セットを見て、久しぶり描きたいと言う気持ちが蘇ってくる。
神域なら、私が好きなことをしていても誰も邪魔しないんだ。それが嬉しかった。
「じゃあ、始めるね」
テーブルに画材を用意してクロトの魂花を視る。
それは白いバラのつぼみだった。
まだ閉じているが花弁は繊細で柔らかで、どこか儚げでありながら強さも感じさせる。
「どう? どう?」
「白いバラだね。つぼみだから、咲いた状態をイメージして描いてみる」
本棚から植物図鑑を出し、バラのページを開く。
図鑑も参考に開いた状態のバラを鉛筆で下描きしていった。
クロトが興味津々で覗き込んでくる。
「魂花ってどうしたら咲くの?」
「私も詳しくは知らないけど……感情が栄養になるって聞いたことがあるかな」
中でも、特に大きな栄養になるのが恋愛感情だと言われている。
私の魂花も……まだ、つぼみだ。
絵の具を水で溶き、茎の部分に色を乗せてゆく。
白い花弁をどう塗ろうかと迷い、薄い水色で影を描いてみることにした。
魔法絵の具の発色は描き手の魔力に比例する。
どうなるだろうとそっと載せた水色が、透明感を持ちつつ鮮やかに花弁を彩った。
「わあ、綺麗!」
おおかた塗り終わった絵を見て、クロトが感激の声を上げる。
初めて魔法絵の具を使ったにしては上手く描けたのではないだろうか。
「これに魔力を込めてみて。本当は1色ずつやるのがいいんだけど、最初は難しいから全体でいいよ」
言われた通り絵の上に手をかざし、魔力を送り込む。
絵の具が載った箇所がきらきらと黄金色に輝いた。
綺麗だなーと眺めていると、部屋のドアがガチャリと開いた。
驚いてドアの方を見る。
「2人分の魔力があると思って来てみたら……クロト、私のフローリアと何をしている?」
「兄上! ノックくらいしなよ。びっくりするじゃん」
「魔力の波で分かるだろう」
エルディオン様だ。思った通り、ノックしないで入って来た。
それにしても、「私のフローリア」ってさらりと言われたな……
「今、クロトの魂花を描いてたんですよ」
テーブルの上の絵を指し示すと、エルディオン様は興味深く眺めた。
「上手いな」
「あ、ありがとうございます。しかも芸術学院の絵の具まで」
「フローリアの喜ぶ顔が見たいからな」
そう言われると、照れてしまう。
クロトがヒューヒューと口笛を吹き、紙を折りたたみ小さな布袋に入れた。
「こうやって、魂花の絵をお守りにするのが人間の世界で流行ってるんだって! みんなに自慢してくるね!」
クロトが風のように部屋を飛び出していって、私はエルディオン様と2人きりになった。
「全く、落ち着きがないな」
「いい子じゃないですか」
「あいつは竜族の最年少だからな。神域の宝のようなものだ」
そう呟いたエルディオン様の瞳は優しかった。
歳が離れてるだろうから、保護者みたいな気持ちもあるのかな。
「千年前の邪竜戦役で、竜族は多くの犠牲を払った。先代の竜神であった両親も命を落とし——私も深い傷を負い、長く動けない状態になった。生まれたばかりのクロトには寂しい思いをさせていたと思う」
邪竜戦役——それは、創世神話で語られる、世界を滅ぼそうとした邪竜とそれに立ち向かった竜神と女神の戦いだ。
女神は自らの命と引き換えに世界を救い、傷を負った竜神は神域の奥深くで眠りについたとされている。
今なら分かる、この話は作り話ではない。
「もしかして、私も——」
「ああ。フローリアも犠牲になった」
仲間を失い、私を失い、弟を独りにしてしまったと、エルディオン様は自分を責めていたのだろうか。
生まれ変わりの私には、もうその記憶はない。
だけど胸が締め付けられるようだった。
「何もかも——もう2度と奪わせない。フローリアも、クロトと仲良くしてやってくれ」
「もちろんです」
エルディオン様が私を見つめる。優しい瞳の奥に、決意の炎が宿っていた。




