第4話 朝食とはじめての一杯
「腹が減ったか? 人間は定期的に食事をする必要があるだろう」
「そうですね……お腹空いてます」
「着替えたら食堂へ案内しよう。服はそこのクローゼットの中だ。全てフローリアのために用意したから好きに選ぶといい」
そう言うと出ていくと思ったエルディオン様は、なぜかその場に立ったままじっとこちらを見ている。
「あの、なぜそこに?」
「何もしないぞ。見ているだけだ」
「見られていたら着替えられません」
「何故だ?」
茶化しているわけではなく、本気で分かっていない様子だった。
この人、私の着替えを観察するつもりなのかな。
「わ、私にだって恥じらいがあります」
「では後ろを向いている」
そう言ってエルディオン様はドアの方を向いた。
そういう問題じゃないんですってば。
「それでは困ります!」
ようやくエルディオン様が退出してくれたのでクローゼットを開けた。
緑や桃色、黄色、オレンジ。視界いっぱいに色とりどりの花々を思わせる服が現れる。
実家にいた頃はお姉様のお下がりばかりだったから、私のための服だと思うとさっきのことも忘れて嬉しくなってしまう。
迷って、フリルとリボンが付いたブラウスと、私の瞳を思わせる若草色のジャンパースカートを選んだ。
寝起きでボサボサの髪にも櫛を入れ、言うことを聞かない癖毛は三つ編みにしておく。
廊下に出るとエルディオン様が待っていた。
私の姿を見て目元を緩ませる。
「私の見立て通りだ。よく似合っている」
「あ、ありがとうございます……でも、いいんですか? たくさんありましたけど」
「もちろん構わない。千年分の贈り物だ」
エルディオン様はさらりと語るが、それは人間にとってはあまりにも長い時だった。
それだけの時間、彼は私を待ち続けた。
そう思うとどんな感謝の言葉も軽い気がする。
「嬉しいです。大事に着ます」
それでも、まっすぐエルディオン様の瞳を見て心に浮かんだ気持ちをシンプルに伝えた。
彼は柔らかく微笑み、頷いてくれる。私の心に暖かな光が灯るのを感じた。
「竜族は食事しないんですか?」
「消化器官は備わっているから食べられないことはない。だがエネルギー変換効率が悪いからな。必要がない」
「じゃあ、どうやってエネルギーを補給するんですか?」
石造りの廊下を並んで歩きながら、私は疑問を思いつくまま口にした。
竜族がどのように生き、日々をどう過ごしているかは今まで読んだ本には書かれていなかった。
気になることはたくさんあって、それを直接聞けるまたとないチャンスにワクワクしてしまう。
「魔力が含まれている茶を飲むか、竜態で鱗から空気中の魔素を吸収して体内でエネルギーにする」
「光合成みたいですね。植物の」
魔素——空気中に漂う、目には見えない魔力の源。
人間は呼吸で魔素を体内に取り込み、魔力に変換する。
竜族は魔素を吸収することで食事がわりにしているようだ。
ふと気になって左手を見ると、つぼみになった魂花がキラキラと光っていた。
そういえば、私の魔力はどうなったんだろう。歩きながら深く息を吸ってみる。
はっきりとは分からないけど、今までカラカラの砂漠だった場所に水が湧いてきたような、そんな感覚をわずかに覚えた。
「ここが食堂だ。フローリアのために新設した」
「わあ、ずいぶん広いですね」
「使いたい奴がいるかもしれないから広めに作ったが、誰も興味を示さない」
長テーブルがいくつも並べられた食堂の天井は高く、窓から神域の柔らかな光が差し込んでいる。
「お嬢様、おはようございます」
適当なテーブルの端に座ると、マリエルさんが奥のドアから入ってきた。
食事らしきものが載せられたトレーを持っているので、向こうのドアは厨房に繋がっているのだろう。
「おはようございます」
「もう朝から大乱闘でしたよ! 人間のお食事のことは何も分からなくて、お口に合うと良いのですけど」
私の前にトレーが置かれた。見た所パンとサラダとスープのように見える。
スプーンで掬ったスープを恐る恐る口に運んだ。
温かく、野菜にも火が通っていて素材の味を感じられる。でも——
「これは……味付けを、した方がいいかもしれません」
「味?」
目の前のスープは決して不味くはないが、調味料の類が一切入っていない。
しかしエルディオン様の反応を見るに、『味』と言う概念を分かっていないようだ。
「なんというか、料理には調味料を入れるんです。塩とか砂糖というような。それで甘いとかしょっぱいとか、味が生まれます」
「なるほど。そういえばクロト——弟が、クッキーという食べ物が甘くてうまいだのと言っていたな。あれのことか」
「多分それです」
概念を持たないだけで味そのものが分からないわけではなさそうだと、ホッとした。
とりあえず残りのサラダとパンを口に運ぶ。
サラダの野菜は新鮮だし、パンはパン屋で買ったのだろうか、ふわふわしてて美味しかった。
マリエルさんが食器を下げにくる。
「食後のお茶をお淹れしましょう」
「あの、私やりたいです」
「まあ、お嬢様手ずから! 茶葉を持って参りますね」
今までの私は魔力がなく、魔道具でお茶を淹れることもできなかった。
でも魂花が息を吹き返してくれたおかげで、身体に魔力のようなものが巡っている感覚がある。
できるかどうか、試してみたいのだ。
「どうぞ、ラベンダーティーですよ」
「これ……モンラヴァンの」
マリエルさんが持ってきたのは、見覚えのあるパッケージ。
モンラヴァンで作られたラベンダーティーだった。
「エルダシアの市場には売ってなくて。坊っちゃまがどうしてもこれじゃなきゃダメだっていうから、数日前にひとっ飛び行ってきましたよ。全く竜使いが荒いったら」
頭の中で地図を描く。
この国の南側にあるモンラヴァンと、北西にあるエルダシアはかなり距離がある。
竜の翼とはいえ、大変だっただろう。
「わざわざ買ってきてくれたんですか? ありがとうございます」
「ああ、もったいないお言葉。老体に鞭打った甲斐がありました」
よよよ、とわざとらしく泣き崩れる仕草をするマリエルさん。
そうこうしているとお湯が沸いた。茶葉の袋を開けると懐かしい香りが広がり、気持ちが緩む。
ティーポットは魔道具なので、魔力がないとお茶が出ない。
緊張した面持ちで茶葉を入れお湯を注ぐと、透明なお湯が淡い紫色に変わっていった。
「これは……素晴らしいな。上質な魔力が満ちてゆく」
私が入れたお茶を一口飲んだエルディオン様が感嘆の声を漏らした。
「良かった」
私もカップを手に取る。口に含むと、優しい香りに心が満たされていく。
それは、今までの人生で一番美味しいお茶だった。




