第3話 衝撃の目覚めと蘇る魂花
——夢を、見ていた。
どこまでも続く一面のラベンダー畑。
ここは故郷モンラヴァンだろうか?
ここ数年は畑が痩せて不作が続いているから、こんなに見渡す限りのラベンダー畑は見たことがない。
最近は曇り続きの空も、ここでは雲ひとつない快晴だった。
隣にはエルディオン様がいた。
胸の奥深くから泉のように愛しさが湧き上がってくる。
私達は睦まじく肩を寄せ合い、美しいこの世界を永遠に守っていこうと誓った。
そうだ、これはただの夢じゃない。私の記憶だ。
でも生まれてから18歳の今までの人生にこんなシーンはなかった。
エルディオン様とだって今日出会ったばかりだ。
じゃあこの記憶は——
目が覚めた。同時に昨日の出来事が怒涛のように蘇り、頭がくらくらする。
まだ身体中に緊張と疲れが残っていた。
ベッドの中は暖かくて心地良い。
もう少しこうしていようかなとぼんやり考えながら寝返りを打った瞬間、目の前に広がる光景に眠気が吹っ飛んだ。
隣に、エルディオン様が寝ている。
私は咄嗟に自分の服装を確かめた。乱れは……ない。
「よく眠れたか?」
長い睫毛に縁取られた宝石のような瞳がゆったりと私を捉える。
飛び起きた私は叫びそうになるのを抑え、壁際に後ずさりした。
「ど、ど、どうしてここに! なんのおつもりですか」
「安心しろ、寝てる間は指1本触れてないぞ」
「そういう問題じゃありません!」
「じゃあ何が問題だ?」
身体を起こしたエルディオン様が私の桃色の髪を一房手に取り、そのまま口づけた。
顔が熱い。戸惑う頭とは裏腹に心が歓喜に震えている。
一体、私の中で何が起こっているのだろう。
「この日を千年待った」
その言葉の意味は分からない。
ただ、エルディオン様の声色は蜂蜜のように甘く、その想いが本気だということは分かる。
……というか、近い。
エルディオン様は、壁にめり込む勢いで身を引いている私のすぐ目の前まで迫っている。
「近いです……それに、何を仰っているのか分かりません……千年とは?」
私の言葉に、エルディオン様の形の良い眉が寂しげに歪んだ。
彼は身体を離し、ベッドから降りてこちらに向き直った。
「そうか、記憶は……置いてきたのだな」
記憶。その言葉が心に引っかかる。
ちょうど今朝、私は知らない記憶の夢を見ていた。
「実は、私の知らない記憶の夢を見ました。何か、ご存じなのですか?」
「そうか。ならば私の魂花を見てくれ。見えるのだろう?」
「見えますが、なぜそのことを——」
魂花は幻影の花であり通常、目には見えない。
神殿に仕える聖職者による「花読み」という特別な儀式を受けることで、短時間だけ見ることができる。
花読みには高い魔力が必要だ。
しかし魔力を持たないはずの私は不思議なことに、見ようとすれば肉眼でも見えた。その人の持つ魂花が。
「それは女神の加護——いや、女神の力そのものだ」
女神の力? 確かに私はかつてこの国を救ったと言われる豊穣の女神と同じ、桃色の髪と若草色の瞳を持って生まれた。
両親は女神の加護を受けて生まれた子と喜び、私に女神と同じ名を付けた。
魔力がないことが露呈し期待外れだったと失望されてからは、気味悪がられると思い魂花が見えることは黙っていのに。
彼はそれを女神の力だと言っている。
「分かりました。では、失礼します」
話が見えないけどとりあえずやってみようと、壁際からベッドの縁まで移動する。
座り直して呼吸を整えた。エルディオン様の左手に意識を集中させ、そこある「透明なカーテン」のようなものを取り除くようなイメージを浮かべた。
すると、幻想の花が浮かび上がってくるのだ。
それは最初ぼんやりと、注視しているとやがてはっきりとした形で現れる。
息を呑む光景だった。
彼の左手から足元にかけて、咲き乱れる紫色のアイリスの花畑があった。
魂花というのは左手の甲あたりに1輪咲いているもので、全てがそうだとばかり思っていた。
こんなにたくさん咲いているのは、初めて見る。
「綺麗……」
初めて見るはずなのに、私はこれを知っている。
あの日も、同じものを見ていた。
切なさに胸が締め付けられる。わけもなく涙が溢れた。
きっと、この美しいアイリスの花畑のせいだ。
涙はとめどなく溢れ、頬を伝っていく。
アイリスが風もないのにゆらゆらと揺らめき、私の左手の枯れた魂花が呼応するように輝き始めた。
脳内に、今朝見た夢がフラッシュバックする。
故郷のラベンダー畑、雲ひとつない青い空、花の香り、隣に立つエルディオン様、幻想のアイリス。
変わらない、彼の想い——
「エルディオン様……今また、夢で見た景色が見えました」
「それは女神の記憶だろうな。フローリア、お前は女神の生まれ変わりだ。千年前から、私たちは共にあった」
信じられない。だけど、信じざるを得ない状況だった。
枯れた魂花が黄金の光を帯び、徐々にその姿を変えていく。
そこに現れたのは、見たことのない大きな白い花のつぼみ。
「私の魂花が……蘇った」
「一瞬私にも見えたぞ。まだつぼみのようだが、美しいな」
エルディオン様はベッドに腰掛ける私の元にひざまずき、流れ続ける涙を指で拭った。
「今は何も分からなくて構わない。私の元にいてくれ。誰にも……渡さない」
その言葉が胸にじんわりと沁み込んでいく。
人に、ここまで強く求められたのは初めてだった。
何もかもが突然で、頭と心はちぐはぐで、戸惑いしかない。
それでも、私を見つめる深紫の瞳に宿る想いは嘘ではない。それだけは分かる。
「はい。エルディオン様のお側に……いさせて下さい」
震える指先で彼の白い服の袖を掴む。それが、私の選択だった。




