第26話 重なる想い
「目を、閉じていて下さい」
私の言葉に、エルディオン様が眠りにつくように目を閉じる。
血色を失ったその顔はそれでも美しく、まるで彫像のようで——
二度と目覚めないのではないか、そんな不安に襲われる。
顔を寄せて、引き結ばれたままの薄い唇に、そっと口付けた。
唇が触れた瞬間、魔力が一気に流れ出て行った。
自分の中にある魔力が飲み干されていく。そんな感覚に意識が揺さぶられる。
「……っ」
限界が近づき、唇を離した。
癒しの魔力が巡っているのか、エルディオン様の全身が淡く発光している。
どうなるだろうと見守っていると徐々に傷口は塞がり、不思議なことに服を朱に染めていた血も光に溶かされ消えていった。
息が苦しくて、大きく深呼吸する。
エルディオン様の瞼が開き、紫の瞳がはっきりと私を捉えた。
「フローリア、無理をさせてしまったな」
「ぜ、全然……このくらい平気です」
息を整えながら言葉を返す。
エルディオン様が気遣うように私の頬に触れた。その手にはぬくもりが戻っていて安心した。
しばらくの沈黙に、視線が絡む。
「言っておくべきだった。私がなぜフローリアに、癒しの魔力を渡したのか」
エルディオン様がぽつりと呟いた。その視線はどこか遠くを見ているようだ。
どきりと胸が脈打つ。知りたいけど、聞いてしまうのが怖かった。
それでも、知らなければ前に進めない。
「教えて下さい」
「では……私の記憶を見てくれないか」
引き寄せられ、向かい合わせで額と額が当たるような体勢にされる。
目を開けていると顔が近すぎて——耐えられず目を閉じた。
すると、埃っぽく澱んだ空気が様相を変えていく。
ラベンダーの香り、清涼なモンラヴァンの空気と共に、遠い過去の記憶が私の頭の中に直接入ってきた。
*
そこは、家の中だった。ベッドとも呼べない木製の簡素な寝台の上に、桃色髪の少女が苦しそうに横たわっている。
私は、それを部屋の天井近くの位置から見ているようだった。
寝台の側には、床に膝をつき祈るように手を組んでうなだれる、銀髪の小柄な少年がいる。
あれは、過去の私とエルディオン様だ。2人とも同い年くらい、13歳くらいに見えた。
エルディオン様の年齢を考えると、1400年前……くらいだろうか。気の遠くなるような昔だ。
「フローリアは、流行り病で生死の境を彷徨っていた」
過去の風景に重なるように、現実のエルディオン様の声が聞こえる。
なんだか、不思議な状況だ。
少年のエルディオン様が立ち上がり、苦しむ私を覗き込む。そして——
「わっ……」
2人の影が重なる。
恥ずかしくなってしまって、思わず視線を壁の方にやった。
「ただ力を行使するだけではもう間に合わないほどの状態だった。フローリアに生きていて欲しい一心で、癒しの力そのものを譲渡した。その後のことなど考えもせずに」
無理もない。好きな女の子が死にかけていて、自分に救う力があるのなら誰だってそうするだろう。
「しかしフローリアは強い魔力を取り込んだことで人間としての成長が遅くなり、村の者に不気味に思われるようになった」
その後の記憶は断片的なものだが、エルディオン様の言葉が状況を補足する。それは、少年少女に降りかかるにはあまりにも残酷な出来事だった。
「飢饉の時に枯れた麦穂を蘇らせたのが決定打となり——フローリアは『魔女』として処刑されることになった」
今となっては魔法は体系化され、使えることが当たり前の時代になったけど、かつては異質なものとして忌避されていた時代があったことは知っている。
火刑の場に乱入したエルディオン様。
今よりもずっとずっと小さな身体で、私を救うため必死に戦った。
エルディオン様の竜態を初めて見た過去の私は驚き、戸惑い——
それでも、彼の手を取った。
それは、どこか今の私たちが初めて出会ったあの結婚式を彷彿とさせた。
この人はいつも私のために、1人で無茶をするのだ。
「私がフローリアを『魔女』にした。故郷から居場所を奪った。私が、フローリアを……死なせた」
ふつりと記憶の風景が途切れ現実に引き戻される。
エルディオン様の頬を、一筋の涙が伝った。
あのあと時は流れ、邪竜との戦いで魂樹が枯れそうになり、私はエルディオン様から引き継いだ癒しの魔力を使うことを余儀なくされた。
エルディオン様はずっと後悔していたんだ。
私が犠牲になったのは自分の軽率な行いのせいだと。
「私は、そうは思いません。助けてもらえなければあの時死んでいました。そうなったら、きっと今の私もここにいなかったかもしれない」
私に責められるとでも思っていたのだろうか。エルディオン様の表情に当惑の色が浮かぶ。
「フローリア、私を許すのか」
「許すも何も、そもそも怒っても悲しんでもいません」
縋るような言葉に、私は首を横に振る。
エルディオン様の眉尻は、悲しげに下がったままだ。
「私こそ、疑ってごめんなさい。エルディオン様がくれたこの力を、私に使わせて下さい」
「しかし——」
まだ何か言おうとしている彼の襟元を、そっと掴んで引き寄せる。
後悔も謝罪も、もう言えないように唇で塞いだ。
エルディオン様は驚いているが拒絶はされない。
私の存在を確かめるように、背中に回された腕に力が込められた。
どうすればいいのか分からなかったけど、分からないなりに何度か角度を変え唇を触れ合わせる。
エルディオン様に知って欲しかった。
私の想いを、覚悟を、どれだけ彼を愛しているかを。
「……これで、伝わりましたか?」
唇を離し、笑って見せた。
エルディオン様が私を見つめる瞳に光が戻っている。
その奥に宿る熱情を感じ、身体の芯が甘く疼いた。
「いや、まだ足りないな」
「え——」
次の瞬間、壁に押し付けられた。
私が頭をぶつけないように後頭部に添えられた手は優しくて、同時に逃げ場をなくさせる。
驚く間もなく——噛み付くように唇を奪われた。
深い口付けに絡め取られ、彼の熱に引きずり込まれる。
熱くて、甘くて、思考が融けてしまう。
「んん、んうっ……」
口の端から漏れる吐息すら奪われる。
こんなに激しくされるのは初めてで、食べられてしまうのではないかとすら思った。
さっきエルディオン様に魔力を流して減った分が、今度はエルディオン様から私に流れ込んでくる。
きつく抱かれて押し付けられた胸の鼓動が重なり、私とエルディオン様の境界が曖昧になっていく。
溶け合った2人分の魔力で、身体の奥まで満たされていく心地良い感覚——
唇を合わせたままその感覚に浸っていると突如、光が弾けた。
いきなり朝が来たのかと思うほどの眩しさに思わず身体を離し、目を細めて部屋の様子を伺う。
決して狭くはない地下室が、魂花の花畑になっていた。
エルディオン様のアイリスと、私のフルール・モンド。
半透明の幻影の花はテーブルや実験器具がある所にもお構いなしに咲き誇り、部屋中を埋め尽くしている。
「エ、エルディオン様。私たちの魂花が、大変なことになってます」
「見えるぞ。見事な、光景だ」
私たちは寄り添い、その幻想的な花畑を見つめていた。
エルディオン様の瞳に魂花の光が反射し、きらきらと輝く。
私たちの花が——ついに満開の時を迎えたのだ。




