第25話 復活の刻
「そこまでだ」
涼やかで凛とした声が空気を割った。
誰の声かなんて振り返らなくても分かる。
私の心を照らす、銀色の光——
「……エルディオン様、どうして」
彼の名を呼ぶことすら今の私にはおこがましいと思う。
けれど同時に、安堵してしまっていた。
「呼んだだろう。魔力を辿って追ってきた」
私、呼んでない——と思ったけど、何度か握りしめた左手の指輪に触れていたことを思い出した。
きっと、繋がっていたんだ。
「そこから1歩でも動いてみろ。義姉様を殺す。おっと、空間操作は封じさせてもらったからな」
ガイウスは床に転がるお姉様を無理やり立たせ、首筋に剣を当てた。
全身から血の気が引くのを感じる。
悲鳴を上げそうになり、口を押さえた。
お姉様は目を閉じて微動だにしない。恐怖に耐えているように見えた。
場の空気が鋭く張り詰める。
向かい合う2人の間に、言葉はない。
次の瞬間——エルディオン様が地を蹴る。
ガイウスが反応するより早く、その懐に踏み込んでいた。
顔面に拳が叩き込まれる。
鈍い音と共に、ガイウスの身体が宙を舞った。
突っ込んだ先のテーブルが派手な音を立てて2つに割れた。
「術を封じれば勝ち筋があるとでも思ったか? 愚か者め」
エルディオン様の右手が竜の鱗に覆われていた。
悠然とガイウスに迫る彼は、圧倒的な存在感で場を支配する。
「お姉様!」
私は弾かれたようにお姉様の元へ駆け出す。
後頭部で結ばれていた布を急いでほどいた。
しかし両手足には金属の枷が嵌められており、魔力を流しても手応えがない。
「これは魔封じの枷だ……魔力が吸われてしまう」
弱々しいお姉様の声。
枷に手をかけたまま力を込める。叩いても揺すってもびくともしなかった。
「っ……は、はは……! 化けモンが」
振り返ると、背後でガイウスが身を起こした。
血を吐きながら笑い、黒い刀身の剣を構え直す。
鋭い一閃。エルディオン様はそれを竜化させた左腕で受け止め、そのまま薙ぎ払った。
ガイウスが床に叩きつけられる。
同時に、ポケットにでも入れていたであろう鍵が飛び出した。石の床を滑り、私の目の前で止まる。
私は慌ててそれを掴み取り、震える手でお姉様の枷を外した。
「痛え、なんて力だよ」
土埃の中に、ガイウスの姿がゆらりと浮かび上がる。
お姉様が私を庇うように前に出た。
ガイウスは立ち上がろうとして、よろめく。
力が入らないように見える。様子がおかしい。
「ぐ、ああああああああ!」
突然絶叫が響き、びくりと肩が跳ねる。
ガイウスが頭を掻きむしるようにして、その場に崩れ落ちた。
「くそ、が……、なんだ、これ……っ!」
喉を引き裂くような叫び声。
苦悶に歪んだ顔で床に転がり、身体をよじる。
「一体、どうしたの……」
突然苦しみ始めたガイウスの異常な様子に、思考が追いつかない。
私は固唾を飲んで見守ることしかできなかった。
「ぐ……あ、ああ……っ!」
床に叩きつけるように拳を打ちつけながら、ガイウスはまた叫ぶ。
その声は次第に弱まり、やがて——ぴたりと止まる。
ガイウスは力尽きたかのように動かなくなった。
「……なんだ?」
エルディオン様が眉をひそめた。
ガイウスに1歩、近づく。
それが狙いだった。
ガイウスが跳ね起きる。
その手に握られた黒く禍々しい刃が、エルディオン様の肩を貫いていた。
傷口から瘴気があふれ出す。ガイウスの口元がいびつな笑みに歪んだ。
「エルディオン様!」
「っ——邪竜の牙か」
エルディオン様は刃を掴み、自分の身体を貫いているそれを無理やり引き抜いた。
石の床にナイフが落ち、乾いた音を立てる。
「はは……ははは……! これで、満ちた!」
ガイウスの笑い声が地下室に響く。
彼の足元から黒いものが溢れ出した。身体の輪郭が滲むように揺らいでいる。
地下室を満たすほどの闇が膨れ上がる。その中心に、ガイウスがいる。
これが狙いだったんだ。私が来ればエルディオン様も来る。
最初から、彼の魔力を奪うために——
「邪竜ヴァルカインの復活だ」
すべてを飲み込むような闇の魔力の濁流。
それは渦を巻き地上への階段へ殺到する。
そしてその先の——魂樹へ向かうのだろう。
ガイウスの魂花が、黒い薔薇の花弁を散らし闇の中に溶け去る。
立っていられなくなりへたり込んだ。
目を閉じ、闇の濁流に意識を持っていかれないようにするのに精一杯だった。
やがて闇が地下室から去った後、そこにガイウスの姿はなかった。
「ガイウス! どこに消えた!」
叫んだディアンヌお姉様は迷うように階段と私を交互に見る。
そしてエルディオン様は私に任せると判断したのか、ガイウスを追って飛び出して行った。
*
ディアンヌお姉様の足音が遠ざかり、地下室に静寂が訪れた。
静まり返った地下室に残されたのは私たち2人。
エルディオン様は壁に身体を預け、ぐったりと座り込んでいる。
「エルディオン様、死なないで」
私は血が流れ続ける傷口に必死で癒しの魔力を送っていた。
黄金色の光が滲むように広がり、傷口に溶ける。けれど、傷は塞がらない。
「治らない……どうして?」
「フローリア、落ち着け。この程度……死にはしない」
「でも、血が止まらないんですよ。落ち着いてなんて無理です」
今は致命傷ではないのかもしれないが、血が止まらない以上放っておいたら命に関わるだろう。
現に、エルディオン様の顔からは色が失せている。
「邪竜の瘴気は奪う速度が速い。普通の治癒では追いつかない」
「じゃあ、どうすればいいんですか!」
半ば叫ぶように聞いた。
魔力は流し続けているけど効果があるようには見えない。
このままでは私も枯渇し、共倒れだ。
「手からでは、限界がある。もっと一度に……魔力を流す量を増やしてくれ」
エルディオン様は迷いながらも言葉を続ける。意味が分からなかった。
彼は無事な方の腕をゆるやかに上げ、指先で私の唇に触れた。
「……まさか」
「無理にとは言わん」
何を意味するのかを察して、こんな状況なのに顔が熱くなる。
しかしこうしている間にも流れる血はエルディオン様の生命力を奪っていく。考えている余裕なんてなかった。




