第24話 ガイウスの黒い手紙
王城で与えられている部屋に戻り、扉を閉めた瞬間力が抜けた。
そのままずるずると床に座り込む。
頭では分かっている。エルディオン様はそんなことをする人じゃない。
そんな風に私を扱う人じゃない。でも——
「どうして、何も言ってくれないんですか……」
抱え込んだ膝に額を押し当てる。
こぼれ落ちた涙がワンピースに染みを作った。
胸の奥がじわじわと冷えていく。
信じたい気持ちと、疑ってしまったことへの自己嫌悪と、それでも拭えない不安が絡み合っていた。
*
気付いたら、床で眠ってしまっていたようだ。
壁掛け時計に目をやるともう夜遅い時間だった。
エルディオン様が訪れた気配はない。
当然だ。私は彼を信じきれず、ひどいことを言って傷付けた。
身体を起こそうと床に手をついて、何かが手に当たったことに気づく。
拾い上げると、それは手紙だった。
真っ黒な封筒は金の封蝋で閉じられ、ヴァルカイン家の紋章が捺されている。
「ガイウス?」
いるわけがない人の名を呼んだ。
手紙は、扉の下の隙間から部屋に入れられたようだった。
震える指で封を開ける。
中から出てきたのは、2枚の紙だった。
「え……」
13歳の時に私が描いた、モンラヴァンの風景画。
王都へ発つディアンヌお姉様が故郷の風景を忘れないようにと思って渡したものだ。
「こんなものいらない」と言っていたから、てっきり捨てたものだと思っていた。
でも、なぜガイウスからの手紙に同封されているの……?
遅れて理解し、ぞくりと背筋が粟立つ。
「ここに1人で来い。妙な真似をしたら姉の命は無いと思え」
もう1枚の紙には、そう書いてあった。
王都周辺と思われる手描きの地図が添えてある。
お姉様は別れ際、「ガイウスを探す」と言っていた。胸騒ぎが止まらない。
きっとこれは罠だ。
それでも……行かなければ。
ガイウスに会わなければ、お姉様が危険だ。
折り畳んだ2枚の紙をポケットに入れ、私は立ち上がった。
*
そっと扉を開け部屋の外の様子を伺う。薄暗い廊下はシンと静まり返っていた。
隣がエルディオン様の部屋のはずだけど物音ひとつせず、起きているのか寝ているのか、私の行動に気付いているのかも分からない。
足音を立てないように廊下を進み、使用人が使う裏口と思われる扉から外へ出る。
ぬるい夜風が頬を撫でた。
まだ明かりの灯る家もあるけど、昼間の喧騒が嘘のように城下町は静まり返っていた。
通りを抜け、人の気配が途切れる場所まで歩く。
やがて城下町の石畳が途切れ、森へ続く土の道に変わった。
真っ暗な森の中を魔力の光で照らしながら、1歩ずつ進んでいく。
不思議と怖くはなかった。
「……ここだ」
ポケットから取り出した紙を照らし、指先でなぞる。
そこに書かれていた場所——旧ヴァルカイン邸。
木々の間に黒く沈む、影のような建物。
壁は崩れ、窓は割れ、屋根の一部は落ちている。
数年前に魔力暴走による事故で崩壊したと言われるこの屋敷は、今では立ち入りを禁じられた廃墟として放置されていると、噂で聞いたことがある。
本当にここにお姉様とガイウスがいるのだろうか?
迷いと共に、忘れていた恐怖心がじわりと湧き上がる。
でも、そんなことは引き返す理由にはならない。
左手をぎゅっと握り、私は廃墟に足を踏み入れた。
中はほこりっぽく空気が澱んだ、瓦礫の山だった。
奥へ進むたびに床板が軋む。割れた窓から差し込む月明かりが室内を照らしていた。
部屋の隅に、暗闇へと続く下り階段を見つけた。
そこからひんやりとした空気が流れ込んでくる。
私は魔力の光を灯り代わりに、ゆっくりと階段を降りていった。
降りきった先の開けた空間に出る。そこは地下室だった。
廃墟の外観とは不釣り合いに整えられた室内。
壁際に並べられた木製の長テーブルの上に、ガラスの実験器具のようなものが置かれている。
「お姉様!」
縛られた状態で床に横たわるディアンヌお姉様の姿があった。
口にも布が噛ませられていて喋れない様子だが、深緑の瞳から意思の力が消えてはいない。
お姉様は「来るな」と目で訴えているようだった。
「動くなよ」
思わず駆け出そうとした瞬間、低い声が響く。
お姉様の後ろに、ガイウスがいた。
その声に応じるように、壁に据え付けられた魔道具の灯りが地下室を淡く照らした。
彼は泥のように濁った瞳で私を見つめ、ニヤニヤと笑っている。
「お姉様を解放して下さい」
「嫌だね。こいつは人質だ」
「目的は何ですか?」
気持ちで負けないよう両手を強く握りしめた。沈黙が場を支配する。
ガイウスはゆっくりと口を開いた。
「俺は邪竜の器としてこの世界を終わらせる。俺のものになるなら、お前だけは助けてやろう」
ガイウスが1歩、こちらへ歩み寄る。
私は近づかれた分1歩後ずさった。
「俺のものになれ。2人で新しい世界を作るんだ」
差し出された手。取るわけがなかった。その言葉には答えない。
「邪竜が復活したら……あなたは、どうなるんですか」
ガイウスを刺激しないよう注意深く口を開く。
私の問いかけに、ニヤニヤと笑っていた彼の顔から表情が消えた。
「消えるに決まってるだろ」
表情のない顔であっさりと答える。しかしその言葉が意味するものは重い。
邪竜が復活すれば、ガイウスは消えるというのだ。
それでは、死ぬために行動しているようなものだ。
「俺は生まれた時から邪竜の魂の器になることが決められていた。1つの器に魂2つはいらねえだろ」
自嘲するように呟く。
ガイウスの視線は私をすり抜け、ここではないどこか遠くを見ていた。
「そんなの、あなたの意思はどうなるの?」
「自分の意思なんて、最初からない。お前には分かんねえだろうがな」
その言葉はどこか寂しさを孕んでいた。
初めて見るガイウスの感情の揺らぎ。思わず同情しかけて、きっと罠だと気を引き締める。
「まあ、もし来世なんてものがあるなら……次は、自分で人生を選びたいものだな」
ガイウスは寂しげに笑う。
全て演技だったとしても、その言葉はどこか切実で、あまりにも遅すぎた願いだった。
「でも、もう遅い。こんな世界は壊して、全部初期化する。それが邪竜の——ヴァルカイン家の望みだ」
ゆっくりと天井を仰ぎ、視線を戻す。
吐き出すように言い切ったその声音には、先ほどまでの揺らぎはもうない。
「来いよフローリア。お前だけは救ってやる」
ガイウスは再度手を差し出した。
私に向けられたその瞳は虚ろで、もうどこも見ていない。
「私はあなたのものにはなりません。救わなくて結構です」
今度ははっきりと言い切った。
ガイウスが差し出していた手が、何かを握り潰すように閉じられた。
「今なら邪竜の気持ちが分かるな。思い通りにならない女なんて、世界ごと壊して理解らせるしかねえってことだ」
ガイウスの纏う空気から、何かが剥がれ落ちていく。
空間が歪む。重く、濁った魔力が渦を巻き始めた。
「全部まとめて……終わらせてやるよ」




