第16話 星空の誓い
あの出来事から数日が過ぎたが、私は自室に引きこもり気味に過ごしていた。
ふとした瞬間に思い出してしまうのだ。
あの冷たい床の感触や、殺意に満ちた女の瞳、振り上げられた刃の光を。
「フローリア。今夜、少し外に出てみないか」
朝食のパンをぼんやりと齧っていた私に、エルディオン様が声をかけた。
「夜ですか?」
「星を見に行こう。今日は流星群がある」
断る理由はない。でも——神域の外はまだ少し、怖い。
「エルディオン様と一緒なら」
「では、夜になったら部屋に迎えに行く」
席を立つエルディオン様の背中を見送る。
怖いのは、あの時のことを思い出してしまうからだけじゃない。
契花とは、生まれつき運命により定められた、対となる魂花を持つ者。
だからといって、契花であることは、エルディオン様の隣にいていい理由にはならない——
私を襲った彼女の言っていたことが蘇ってくる。
では、どんな理由があれば良かったのだろう。
思いの強さ? 長さ? どれを取っても私には今一歩足りない気がしてしまう。
この胸には確かにエルディオン様を想う気持ちが生まれているのに、そんな想いを抱く権利すらないと、闇に潜む誰かが囁いている気がした。
*
エルディオン様が来るであろう時間の少し前に、クローゼットからワンピースを取り出す。
夜明け前の空のようなラベンダー色の生地、裾には銀の糸で花模様の刺繍がしてある。
以前、市場で買ってもらった髪飾りを頭に挿した。
ちょうど、エルディオン様がやってきたようだ。
「こんばんは」
ドアを開けると、軽装に着替えたエルディオン様が立っていた。
「これは、以前買ったものか。やはりよく似合っている」
髪飾りにそっと触れたエルディオン様の手が、そのまま私の髪を撫でる。
薄い手のひらと、しなやかで長い指。大きな、男性の手。
この手が好きだ。この手が触れるのは、私だけがいい。そう思うのは欲張りだろうか。
転送門を抜けた後、何度か通った外に繋がる回廊側ではなく違う方角に曲がる。
しばらく進むと大きな竜の像が祀られた大広間に出た。
奥の方には螺旋階段が見える。
「あの像、エルディオン様ですか?」
「さあな。父親かも知れん」
エルディオン様は少し冗談めかしたように答える。
大きな翼を広げ天を仰ぐような姿の竜神像は、神々しい威厳を湛えていた。
「我々竜族としては『神』になったつもりはないのだが、人間は長い時を生きる我々を畏れ、敬う。不思議なものだ」
父親の代に、人間の信仰に合わせ竜族の長を竜神と呼ぶようになったと、エルディオン様は語った。
「あれ、そうしたら、私は?」
「女神フローリアも、元々は……人間だ。歴史を振り返った時、彼女は『神』だったと人々が『神話』にしたのだ」
元々人間だった私が女神になった経緯、すごく気になる。
聞こうと思ったけど、螺旋階段を上り始めると話は途切れ、タイミングを見失った。
*
階段を上り切った先の扉を開けると、神殿の外、バルコニーのような空間に出た。
ここはエルダシアで1番高い場所だ。
闇の中に浮かぶ街並みは所々に暖色の明かりが灯っている。
「空が近いですね」
夜空にきらめく星々。
それは不思議と手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じた。
「今日は空気も澄んでいて星がよく見えるな」
エルディオン様の端正な横顔が月光に照らされている。
その姿があまりに神々しくて、彼こそが月そのもののようにさえ思えた。
前世の私ともこうして星を眺めていたのだろうか?
ふとそんな考えがよぎり、ちくりと胸を刺す。
「私——自分に嫉妬してます。前世の自分に」
星に導かれるように、ずっと言えなかった気持ちが溢れた。
「前世の私は、今の私とは別人のように思えてしまって——エルディオン様は今の私を通して過去を見てるんじゃないかって、そう思ってしまって、苦しいです。そんなことばかり考える私は、お側にいる権利がないと、思ってしまう」
エルディオン様が私に向き直った。話しながら、涙がぽろぽろとこぼれる。
私はもう、そんな状況に耐えられないほど、エルディオン様のことが好きになっていた。それは疑いようもなく、今の私の気持ちだ。
「過去も今も関係ない。私にとってフローリアはただ1人だけだ。——しかし、不安にさせてしまったな」
伸ばされた指先が私の頬を流れる涙を拭う。
視界が涙で滲んで、エルディオン様の表情が見えない。
「好きです、エルディオン様」
絞り出すように告げる。
返事の代わりに引き寄せられ、抱きしめられた。
そっと見上げると濃紫の中に光る、桃色の星。
エルディオン様の瞳に、私が映っている。私だけが——
頬に手が添えられた。
腰を屈めたエルディオン様の顔が、私の意思を問うように至近距離で止まる。
目を閉じて小さく頷くと、唇が重ねられた。
やわらかな口付け。それは、千の言葉より雄弁な彼の答えだった。
「フローリア」
身体を離したエルディオン様は上着の内ポケットから銀色に光る指輪を取り出した。
私の左手を取り、薬指に嵌める。
指輪にはダイヤモンド、その両脇にエメラルドとアメジストがあしらわれている。これは、私たちの瞳の色だ。
「愛している。私の妻になってくれ」
「そんな……本当、ですか?」
胸がいっぱいになって、止まっていたはずの涙がまた頬を伝う。
でも、これはさっきまでとは違う涙だ。
星が夜空を滑っていくのが見える。流れ星だ。1つ、2つと続いていく。
「私で良ければ、喜んで」
泣きながら笑ってそう答えると、再び口付けられる。
今度は先ほどより長く。背中に回された腕は、熱を宿し私を捕らえる。
息の仕方が分からなくて、苦しいのにやめてほしくない。
この時間が永遠に続けばいいのに——そう願っていた。
*
「その指輪は、私の鱗から作った」
「う、鱗!?」
月光を受けて輝く指輪をうっとりと眺めていると、エルディオン様に突然衝撃的なことを言われた。
「竜の鱗は鉱物に近い。私の——銀竜の鱗は高温で溶かして製錬することで、白金になるのだ」
「取ったんですか? 痛く、ないんですか」
「ちょうど生え替わりがあった。痛くはないぞ」
まじまじと、指輪を見つめた。
美しい指輪。エルディオン様の鱗の指輪。
これを持っているのは世界に私だけだろう。
「エルディオン様が守ってくれてるみたいですね。嬉しいです」
微笑んだエルディオン様が、私の肩を抱き寄せた。
1000年の時を越えて再び巡り合えた私たちが、もう2度と離れませんように。
私はそっと、流れる星々に願った。




