第15話 壊れた想いの果てに
「フローリアお嬢様。神殿でお勤めされている神官の方が、お嬢様に折り入ってお話があると」
ある日部屋を訪ねてきたマリエルさんが、神殿からの書面を渡してきた。
そこには、エルディオン様の契花たる私にお目通り願いたい——というようなことが慇懃な文章で綴られていた。
「坊っちゃまは出ておられるし……誰か供を付けましょうか?」
「いえ、1人で大丈夫です」
「それにしても私は、坊っちゃまがお嬢様を連れてきたこと、本当に嬉しく思ってるんですよ。長生きはするものですねえ」
マリエルさんは目尻に皺を寄せてしみじみと微笑んだ。
「私も、ここに来られて良かったと思っています」
「坊っちゃまのこと、これからもよろしくお願いしますね」
*
「お呼び立てしてしまい申し訳ございませんでした」
転送門を出てすぐ、待っていたであろう神官の女性に声をかけられた。彼女が書面の送り主なのだろう。
彼女の顔を見て、連れて来られた初日にエルディオン様に声をかけていた女性だと分かった。
整った顔立ちと冷たい瞳。
丁寧な言葉とは裏腹に、私を値踏みするような鋭い視線を向けてくる。
応接室に通された。
後から来た別の神官が、カップに入れた紅茶を私の前に置く。
「回りくどいことは苦手ですので単刀直入に申し上げます。エルディオン様から身を引いていただけませんか」
「それは……どういうことでしょうか」
あまりにも唐突な言葉だった。
できるだけ平静を装って問い返すけど、私の声は震えていた。
「私、あなたが来る前からエルディオン様と将来の約束をしております」
「え——」
一瞬どきりとしたが、考えるまでもなく明らかな嘘だ。
エルディオン様は他の女性など見ていない。
私を探して結婚式に乱入までしてくるような人が他の女性と、婚約かは知らないが将来の約束をしているなどあり得ない。
信じたふりをしてショックを受けて見せるべきか、一蹴して余裕を見せるべきか。どう反応すれば良いか迷ってしまう。
紅茶をひと口飲む。渋みが口の中に広がった。
私が動揺している様子を見てか、彼女は勝ち誇った表情を浮かべている。
「お断りします。あなたが仰っていることは事実ではありません」
きっぱりと、相手の瞳を見つめて告げた。
「……それが契花の余裕ってわけね、馬鹿馬鹿しい」
彼女の口調が変わった。私を睨む目の奥に憎悪の炎が燃えている。
「10年よ」
それは自分に言い聞かせてるようにも聞こえる、小さな声だった。
「私は、エルディオン様を10年お慕いしてきたの。それなのに……何なのよあなたは!」
彼女が突然声を荒げ、テーブルを叩く。
カップの中の紅茶が波打った。ぎゅっと胸が詰まる感覚を覚える。
「契花なんて、ただ対の魂花ってだけ。そんなもの、エルディオン様の隣にいていい理由になりはしない」
何かを言おうとして、身体に力が入らないことに気付いた。
指先の感覚がない。呼吸がしづらい。
紅茶に、何かを入れられていた——
そう思った瞬間、目の前が真っ暗になった。
*
「意外と早く目が覚めたわね」
視界に入ってきたのは、私を見下ろす女性。
彼女の目はどこまでも冷たかった。
身体が重い。頭の奥がずきずきと痛む。
木箱と書類が散乱する埃っぽい空間。ここは、倉庫のような場所だった。
手首と足首に縄をかけられ、私は冷たい石の床に転がされていた。
「私はあの御方にお仕えできるだけで良かったのに。突然現れたあなたのせいで、全て奪われた」
女が1歩ずつ、こちらに近づいてくる。
その手にはナイフのようなものが握られていた。
「所詮、枯れた魂樹を癒すための命のスペアに過ぎないくせに、調子乗ってんじゃないわよ」
ぞくりと、肌が粟立つ。
魂樹の、命のスペア。世界のために癒しの力を行使し用済みになったら消える。それだけの存在。
反論はできなかった。
ただ、だとしても、エルディオン様のそばにいると決めたのは、私の意思だ。
「関係ありません。私は、私の意思でエルディオン様のおそばを選びました」
「うるさいっ!」
ナイフが振り上げられる。慌てて身をよじり、すんでの所でかわす。
硬い床に刃が当たり、無機質な音が響いた。
彼女の目は本気だった。
この縄をなんとかしなければ。逃げなければ、殺される——
一か八か。私は指先を手首の縄に当て、焦点をギリギリまで絞って魔力を注いだ。
以前絵を描いた後の紙に魔力を込めていた時、加減を間違えて少し焦げたようになったことを思い出したのだ。
「その顔、気に入らないのよ」
再び、刃が振り上げられる。
その時、ものが焦げる匂いと共に縄が焼き切れた。
手近な木箱を放り投げる。彼女が怯んだ隙を見て足首の縄も切った。
絶叫と共に追い縋ってくる彼女の足元にもう1つ箱を投げる。
彼女はつまづき転んだ勢いで、積まれた木箱の山に倒れ込んだ。
呼吸は荒く、心臓が激しく脈打っている。
「許せない。全部……壊してあげる」
土煙の向こうで、ゆらりと起き上がる女の姿が見えた。
その時、鍵ごと扉が吹き飛んだ。
強烈な風が流れ込み、舞い上がった埃に思わず咳き込む。
部屋の入り口。
吹き上がる風の中心に、エルディオン様が立っていた。
「エルディオン様!」
私たちはほぼ同時に叫んでいた。
「違うんです! 契花様が……私に襲いかかってきて!」
髪を振り乱したまま、女が声を上げる。
彼女は縋るようにエルディオン様を見つめていた。
「ではこれも——フローリアの持ち物だと言うのか」
凍りつくように冷たい声。
エルディオン様が手を伸ばすと、ナイフが意志を持ったかのように女の手を離れ、空中で静止した。
「あれは……先日から所在が分からなくなっていた神殿の備品、儀礼用の短剣です」
背後に控えていた神官が告げる。
エルディオン様が拳を握るような仕草に合わせ、ナイフは空中で霧散した。
「どうして……ですか」
床にへたり込んだ女が、虚ろな瞳から大粒の涙をボロボロと零した。
痛々しくて見ていられない。それでも私は目を逸らしてはいけないと思った。
「ずっとお慕いしていました。なのにどうして私ではなく、突然現れた女を選ぶの」
「答える義理はない」
エルディオン様の感情を抑えた声。
女は顔面蒼白で流れる涙を拭おうともせず身体を震わせている。
やがて駆け付けた衛兵たちによって、女は取り押さえられた。
連れていかれ、彼女の泣き叫ぶ声が遠ざかっていく。
「フローリア、無事か」
「エルディオン様!」
私は、駆け寄ったエルディオン様の胸に縋りついていた。
安堵と共に感情が決壊し、涙が溢れて止まらない。
「遅くなってすまなかった。よく耐えた。無事で……良かった」
「もう、ダメかと思いました。もう、殺されてしまうと」
エルディオン様の胸に顔を埋め、私は子供のようにわんわん泣いた。
彼が私の背中を優しくさする。
この時だけは、まるで妹をあやす兄のようだった。
静寂の中。
私たちはしばらくの間、互いの体温を確かめるように抱き合っていた。




