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第13話 禁域に呼ばれて

 神域に戻った後、私は早速モンラヴァンの風景画を描き始めた。

 いつも使っている紙より大きな紙をテーブルに広げる。


 これもエルディオン様が私のために用意してくれたものだ。きっと高かっただろうなあと思うと、最初の一筆を入れるのにも緊張する。


 スケッチを元に下書きをしていると、ふと上の姉ディアンヌお姉様のことを思い出した。


 5歳上のディアンヌお姉様は18歳の時に魔術学院に進学するため実家を離れ、今は王都の騎士団にいる。


 お姉様が実家を出る最後の日、13歳だった私はモンラヴァンの風景画とお姉さまの魂花アニマフロラである赤いカサブランカの絵をプレゼントした。


 不要な書類の裏に子供用の色鉛筆で描いた、今思うと恥ずかしい出来のものだ。


 案の定お姉様には「こんなもの何の役にも立たない」と言われてしまった。

 それでも、私なりに一生懸命描いたものだった。


 ディアンヌお姉様は元気にしているだろうか? 結婚式には来てくれなかったし、手紙の返事も返ってこない。少し心配だった。



「うーん……」


 下書きに薄く色を乗せたあと、どう塗っていこうか悩む。

 明るい時間帯の絵にしようか、夕暮れの絵にしようかと迷って進まなくなってしまった。


 息抜きに散歩をしようと部屋を出た。

 空気はひんやりと冷たい。神域は夜が深まっており、竜族たちも寝ているのか人の気配がしなかった。


 庭園に向かってしばらく歩いていたつもりの私は、違和感を覚える。

 廊下が終わらないのだ。


 曲がり角もドアもない。気づけばまっすぐな廊下がどこまでも続いていた。


「え、なにこれ……」


 振り返っても同じ光景。

 今までこんなことなかったのに。嫌な予感に胸がざわめく。


「エルディオン様」


 呼びかけには答えがなかった。神域にいない可能性もあるし、寝ているのかもしれない。あるいは、ここはもう神域ではないのか——


 早足で進み続けると、突き当たりと呼べる場所に出た。

 そこには待ち構えていたように扉があった。


 扉の向こうは神殿と同じような転送門ゲートの部屋だった。

 どこに繋がっているのかは分からない。でも、戻ることもできない。


 私は恐る恐る魔法陣に足を乗せた。

 肌の表面をぴりりとした感覚が走り——転送門ゲートが、起動した。



 転移した先は、濃密な緑の香りが満ちる場所だった。

 あたりには木々が立ち並び、ここは森の中のようだ。

 

 苔むした足元はゴツゴツとしており、よく見ると地面は土や石ではなく、木の根のように見える。


 神域は魂樹アニマアルブルに繋がっている——以前エルディオン様が言っていたことを思い出す。


 空気は静止しているように静かで、音もない。

 緑は豊かなのに生命の気配が感じられなかった。


 私が1歩踏み出すと、私の周りを包む空気だけが動きに合わせて形を変えていく。


 導かれるようにしばらく進むと、大きな木のウロに辿り着いた。

 魂樹アニマアルブルではなさそうだけど、それでも大きな木だった。


「お花が咲いてる」


 木のウロの中には空間が広がっていて、そこにはちょっとした花畑があった。 

 見たことがない花。どこか私の魂花アニマフロラに似た見た目の、白い花だ。


 花は所々枯れている。思わず私はそっと近づき、左手で枯れた花弁に触れた。


 刹那、激しい衝撃が身体中を駆け抜ける。

 魔力が全て持っていかれるような力の奔流。耐えきれず、私は意識を失った。



「フローリア、行かないでくれ」


 エルディオン様の声が聞こえる。懇願するような、悲痛な声だ。

 その声はまだ少年の若さを残していて——私は、過去の記憶を見ているのだと分かった。


「ごめんなさい。でも、私の力を使わないと……魂樹アニマアルブルは、世界は、もう、保たない」


 エルディオン様が何度も私の、女神の名を呼ぶ。

 私は聞こえないふりをして進み続ける。


 立ち止まり、両手を掲げ、魂樹アニマアルブルに向かって、全ての魔力を注いだ。


 身体の感覚がゆっくりと溶けていく。柔らかな光に包まれ、私は眠るように目を閉じた。



「フローリア!」


 目を開けると、エルディオン様がいた。

 濃紫こむらさきの瞳は今にも泣き出しそうで、珍しく憔悴しきっている様子が見てとれる。


 私は倒れた場所——木のウロの中で、エルディオン様の膝枕で寝かされているようだった。ここは、現実だ。


「良かった、気が付いたか。私が分かるか?」

「エルディオン、様……ごめんなさい、私、道に迷って」


 まだぼんやりとした意識で答える。

 握られた手から魔力が流れ込んできて、カラカラの身体に染み渡っていった。


 エルディオン様は私を抱き起こすと、そのまま強く抱き締めてくる。

 彼の体温が伝わってきて、安心して泣きそうになった。


「神域からフローリアの気配が消えたから、探していた。神殿への転送門ゲートは使われていなかったからまさかと思ったが……ここにいたとは」


 エルディオン様は私の額を自分の肩口に押し付けて、苦しげに語った。

 もう離してもらえないのではと思うほどの強い力で、動けない。


「ここは、魂樹アニマアルブルのあるという場所ですか?」

「そうだ。禁域と呼んでいる。転送門ゲートも閉ざし、そこに繋がる道も塞いでいたつもりだったが——フローリアは呼ばれたのかもしれない」

 

「どうして閉ざしているんですか? 大切な場所なのに」

魂樹アニマアルブルの根の奥深くには、邪竜の呪いが今も残っている。呪いは生命を蝕む瘴気を放つ。ここは危険だ」



 エルディオン様に手を引かれ禁域を出た。

 転送門ゲートの部屋に戻り扉を開けると、あの永遠に続く廊下はなく、いつもの神域に戻っていた。


 今度はちゃんと庭園にたどり着いた。空を見上げると、漆黒の夜空に星が輝いている。


「実家の裏庭で枯れた花に触れた時、お花が蘇りました。禁域にも枯れたお花があったからうっかり触ってしまって」

「癒しの魔力は負担が大きい。あまり……使わないほうがいい」


 私は禁域の花を1つ癒すだけで意識を失った。それだけ、癒しの魔力を行使することは危険なのだ。

 私の脳裏に、先ほど見た過去の光景が浮かぶ。


「女神は、枯れた魂樹アニマアルブルを癒すために命を落としたのですか」

「そうだ。私は、守れなかった」


 エルディオン様の言葉が夜の静寂に溶ける。

 かつて私が救った魂樹アニマアルブルは、1000年の時を経て再び枯れようとしている。おそらく、根に巣食う邪竜の呪いによって。


「もしまた同じ状況になったら、私は同じことをしてしまうかも、しれません」


 星を見ていたエルディオン様がハッとしたように私に視線を向けた。瞳が動揺に揺れている。


「大切なものを守れるなら、それでいいって……きっと思ってしまう」


 優しく腕を引かれ、引き寄せられる。

 気付けば私はエルディオン様に抱き締められていた。


「そんなこと、2度とさせない。私が許さない」


 言い聞かせるような、縋るような、振り絞るような声。


 『その時』は刻一刻と迫っている。私は、何を選ぶべきなのか。

 分からない。でも今は、このぬくもりを離したくない——背中に回した腕に、そっと力を込めた。

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