第11話 モンラヴァンへの里帰り
神域にいる間、私は時間を見つけては竜族たちの魂花の絵を描いていた。
今日私の正面に座っているのは赤みがかった茶髪の女性だ。
竜族の種としては赤竜だが、祖母が人間なので血が薄いのだと教えてくれた。
「——あ」
彼女の魂花を見て、思わず声が漏れる。
幻想なのに甘い香りがしてきそうなほど見事なミモザだった。
私の故郷、南方の田舎町モンラヴァンの風景が鮮やかに思い出される。
ラベンダーの丘というその名の通り、あの町はラベンダーがいちばんの特産品だが、それ以外にも四季折々の花が咲く。
今はきっとミモザが見頃を迎えているだろう。
ガイウスとの結婚式は、準備のため1週間前から王都に滞在していた。
モンラヴァンを離れてからはもう2ヶ月近く経っているはずだ。
久しぶりに帰りたい。故郷の風景を忘れないように絵に残したいと思った。
*
ミモザの絵を彼女に渡したあと、私は神域の廊下をあてもなく彷徨っていた。
「エルディオン様、いないかな」
「呼んだか?」
「きゃ!」
独り言を呟いた瞬間、背後から呼び止められて驚く。
さっきまでは絶対にいなかったはずのエルディオン様がそこにいた。
「自室にいたが、フローリアに呼ばれたから来た」
神域の空間は全てエルディオン様の魔力により形作られている。
なので神域の中であればどこでも声が届くし、呼ばれればすぐ現れることができるらしい。
「全ての呼びかけに答えていては身体が足りないからな。すぐ行くのはフローリアだけだ」
そう言いながらエルディオン様は私の桃色の髪を指先で弄んだ。
「モンラヴァンの風景を絵に描きたいなと思って。連れて行っていただけませんか。遠いですか?」
「私の翼なら朝に出発して昼前に着くくらいだな。大儀ではない」
「お願い、できますか?」
「ならば——口付けをしてもらおう」
「え!?」
思ってもみなかった提案に、絶句する。
「飛ぶには魔力を使う。魔力を補給するのに効率的なのは、茶を飲むより、神域の土を喰むより、契花の口付けが1番だ」
王都からエルダシアまで飛んだ時はなんでもなさそうだったのに……本当に必要なのかな。
真意を図りかねてエルディオン様を見つめてみるけど、嬉しそうに私の髪を指に巻いているばかりだ。
でもこっちがお願いしている立場だし、何よりエルディオン様は私が本当に嫌がることは無理強いしない。
これもきっと——戯れなのだろう。
「わ、分かりました」
とりあえず石柱の陰に移動したが、どうしたらいいか分からずおろおろとしてしまう。
「その……少し屈んで下さい。顔が高いので」
すると、エルディオン様は私をひょいと横抱きに抱え上げた。
何が起こっているのかと混乱する。
すぐ目の前に、エルディオン様の整った顔がある。直視できない。
「これなら、いつでもすぐ飛べるぞ」
半パニックで何を言われているのかよく分からない。けど——
約束は約束だと、意を決して唇をエルディオン様の頬に押し当てた。
恥ずかしいので顔を見ないようにぎゅっと目を閉じる。
瞬間的に強い風が吹き上がるのを感じ目を開けると——
竜の姿になったエルディオン様の背の上だった。
神域の空は鈍色で、雲はない。遠くの方では違う竜が飛んでいる。
エルディオン様が銀色の炎を吐いた。空間がぽっかりと裂ける。
スピードを上げて裂け目に飛び込むと、次の瞬間にはエルダシアの上空だった。急展開に頭がついていかない。
「転送門は使わないんですか」
「たまにはこういうのもいいだろう。『裂け目』を作るのに魔力を余計に使ったが……ちょうど、満ち足りている」
ぐんぐん高度を上げ、エルダシアの街並みが遠ざかる。
風は強いが、怖くはなかった。銀の翼が風を切る音だけが聞こえる。
私とエルディオン様だけがたった2人で世界から取り残されたような感覚だった。
「モンラヴァンに行ったことはありますか?」
「何を隠そう、私たちが出会った地だ」
高度が落ち着いた頃に話しかけると、返ってきたのは意外な答えだった。
風の音は大きいけどエルディオン様の声は頭の中に直接入ってくるようで不思議と聞き取りやすい。
「邪竜戦役よりも昔、まだ竜族は神域のような1つ所には集まっておらず、大陸中に散らばり各々生きていた。私は——あの地がラベンダーの丘と呼ばれるようになる前からそこで過ごしていた」
「そんなに昔から——」
モンラヴァンは元々森林地帯で、開拓者たちが森を切り拓き村を作ったのが始まりということは知っている。
その地に名前が付けられたのは、少なくとも1500年以上は前の話だ。
「長い孤独があった。しかしフローリアが私を見つけてくれた」
噛み締めるように紡がれる言葉。それは私の知らない私の記憶。
きっと今エルディオン様は、1000年より前の過去を見ているのだろう。
「……私が、見つけた」
湧き上がる切なさに胸が締め付けられる。
風の音が、私の呟きをかき消した。
*
「着いたぞ」
ふわりと、人間の姿のエルディオン様が地面に降り立つ。
私もいつの間にか彼の背の上から地面に移動していた。
「私を乗せたり降ろしたりするの、どうやっているんですか?」
「空間操作術だ。ガイウスの醜態を見ただろう? あれと同じことをしている」
固まったまま動けなくなっていたり、石畳に叩きつけられていたガイウスの姿を思い出す。
あれは……空間を操作していたってこと、らしい。
神域に新しい部屋を作ったり部屋の位置を変えるのも、理論上は同じだそうだ。
私たちが降り立ったのは森の近くだった。太陽はまだ高い位置にある。
ここはどの辺りだろうと思い、あたりを見回す。広大な花畑の向こうにレンガ造りの住宅地と小さな聖堂の屋根が見えた。
「実家の方に行ってみます」
木々の間を通り抜け、踏み固められた道に出る。
魂樹の力が弱まったせいで土地が痩せてきていて不作気味ではあるけど、やはり美しいミモザが咲いていた。
一面に花の香りが満ちていて、蜜を求めて飛ぶ蜂の羽音が心地良い。
この区画にはミモザが植えられており、その向こうにはラベンダー畑がある。
私はそこまで見事なものを見たことがないが、本来であれば夏を迎えると視界一面どころではなく、永遠に思えるほどのラベンダー畑がどこまでも続くはずなのだ。
その中に佇む、少年のエルディオン様を想像してみた。
深い孤独の中を生きていた少年——彼に出会った私は、何を思い、何を感じていたのだろうか。
今の私には、知る由もなかった。




