第10話 朝のひととき
エルダシアの街でガイウスと対峙したあの日から、前世の記憶を夢に見る日が増えた。
内容は断片的なものだけど、どうやら私たちは大陸中を巡りあまねく生命に祝福を授けて回っていたらしい。
私の隣にはいつもエルディオン様がいて、私は幸福感に包まれていた。
目を覚まし、胸に残る幸福感を噛み締める。
今の私が感じている気持ちは、過去の私が感じていた気持ちをなぞっているだけに過ぎないのかを確かめるために。
「クロト、これお土産」
「わあ、クッキーだ!」
朝食の時間、食堂でカードを並べて1人遊びをしていたクロトを見つけ、エルダシアの市場で買っておいたクッキーを渡した。
彼は大きな金色の瞳をキラキラと輝かせて喜んでくれる。
「兄上も1つ食べてみなよ」
「どれ……これは、『甘い』か」
「はい。甘いですよ」
クロトに勧められ、私の隣に座るエルディオン様がクッキーを1つ手に取った。
「なんだこれは。固めた土みたいだな」
「兄上さあ……情緒がないよね。なんだよ、土ってさあ」
ひと口齧りそう呟いたエルディオン様に、クロトは「あげなきゃよかった」と抗議している。
私も1ついただく。クッキーは甘くてサクサクとしていてバターの香りが口いっぱいに広がる。
確かに茶色いけど……どう考えても固めた土ではない。
「これが甘いの味か。口の中が忙しい」
エルディオン様は独特な表現でクッキーの感想を口にした。
難しい顔で咀嚼している。その様子がなんだかひどく浮世離れしてるように思えて、笑ってしまった。
*
朝食の後は、エルディオン様と神域の庭園を散歩するのがここ最近の日課になった。
庭園は、エルダシアの噴水広場にインスピレーションを受けて神域に新しく作られた空間だ。
エルディオン様には魔力による空間の制御がどうこうと説明をされたけど、私には全然分からない。
整えられた石畳の道の両脇には、背の低い草がまばらに生えていた。
本来なら色とりどりの花があってもおかしくない庭園だけど、ここにはお花は1本も咲いていない。
空は高く、並んだ石柱の間から差し込む光が柔らかく地面に降り注いでいる。
開けた空間の中心に円形の噴水があった。中心から魔力を含んだ水が湧き上がり、光を受けて宝石のようにきらめいている。
「お花は植えないんですか?」
「試してみたんだが……神域の魔素が濃いせいか、枯れてしまった」
神域にお花が咲かない理由って、魔素のせいだったんだ。
私は、今度魔素に強いお花を調べてみようと考えた。
「今日また、前世の夢を見ました。それで気付いたんですけど……」
「なんだ?」
朝露に濡れる柔らかな草を踏む。
どちらともなく手を繋ぐのが暗黙の了解になっていた。
「夢の中のエルディオン様は、今より若いです。私と同じくらいに見えました」
「竜は長命だが不老ではないからな。1000年も経てば多少は歳を取る」
エルディオン様の横顔を見つめる。少年ぽさが抜けきった大人の男性で、まだ『おじさん』ではないくらい。
なんとなく、人間なら25歳から30歳の間くらいに見えると思っている。
1000年前が私と同年代——17、8歳くらいなら、1000年で人間の10歳分だろうか。
そう考えるとエルディオン様の年齢は単純計算で2500歳以上。やっぱり竜ってすごく、長生きなんだな。
「出会った時は今のクロトより幼かったぞ」
「えっ」
驚いた。当たり前のことだけど……私たちって『出会い』とかあったんだ。
それに、精神はともかく見た目は15歳くらいに見えるクロトより幼いエルディオン様なんて、想像つかない。
「会ってみたかったです」
「会ってたじゃないか」
「覚えてませんから」
拗ねたふりをして唇を尖らせる。
繋いだ手を振りほどき戯れに駆け出すと、エルディオン様が「逃げるな」と捕まえてくれた。
じゃれ合うようなやり取り。
恋のときめきとはまた違った、じんわりとした幸せだった。
*
「お嬢様に書面が届いていますよ」
庭園から自室に向かう廊下をエルディオン様と歩いていると、私を探していた様子のマリエルさんが駆けてくる。
差し出したのはヴァルカイン家の紋章が刻印された封筒。
ガイウスからだった。
宛先を見ると、1度私の実家を経由してここに届けられたことが分かる。
エルディオン様と一緒に部屋に戻り、恐る恐る封を開ける。
それは私とガイウスの婚約破棄を告知する正式な書面だった。
サインをする欄には当事者であるはずの私の名前はなく、代理人としてお父様の名前と、夫になる予定だったガイウス・ヴァルカインの名前のみが署名されていた。
私に対しては、決定事項の控えを送り付けてきた形だ。
婚約を決める時も、破棄する時も、私を透明化して勝手に進めてしまう。
私は意志を持った人間で、家同士を結びつけるための道具じゃないのに。
そのことについては怒りを覚えたが、同時に安堵した。
もう、ガイウスの妻になることはない。
「あの男の家名はヴァルカインというのか?」
「そうですね。王都に本宅がある、有力貴族です」
実際の所、影響力のある大きな家らしいということ以外、何も知らされていない私には詳しいことは知らなかった。
エルディオン様が顔を曇らせる。しばらく考え込んで、口を開いた。
「フローリア。創世神話に登場する『邪竜』の名前を知っているか?」
問いの答えに考えを巡らせる。
若き竜神エルディオンと女神フローリアはどの神話においても同じ名前だ。
あとは、先代の竜神とされている銀竜と黒竜の番、その忠臣たる赤竜の番には語り部の感性や解釈により違った名前が付いている。
とある神話においては『先代の竜神の忠臣たる』赤竜の妻の方がマリエルだったことを、思い出した。
しかし、邪竜は邪竜でしかなく、特定の個人名のようなものはいずれの本にも記載されていた記憶がない。
「知りません。私が読んだ本には載っていませんでした」
「私は本物を知っているから分かるが、邪竜の名は——ヴァルカインだ」
その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。
泥の底に沈んでいた記憶が掻き回されるような感覚を覚える。
「ガイウスは……私が女神の生まれ変わりであると知っていました」
「断定するには時期尚早だが、あの男は邪竜となんらかの関わりがありそうだ」
私の中の女神を狙う闇色の瞳を思い出す。
気付いた瞬間から全てが動き出してしまいそうで——知るのが、怖いと思った。
「心配するなフローリア。全て守ると決めている」
エルディオン様が私の手を優しく握る。
その言葉は強く、まっすぐで迷いがなかった。




