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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第4章 第9話:怖くない剣


 翌朝、第一訓練場の掲示板には、本戦進出者の名前が貼り出されていた。


 朝の中庭よりも早く、人は訓練場へ流れていた。剣術大会の予選一日目が終わり、学園中の関心は次の組み合わせへ向いている。誰が勝ち残ったのか。誰と誰が当たるのか。首席候補は順当に残ったのか。昨日噂になった者の名前はあるのか。


 白い紙の前に、生徒たちの頭が並ぶ。


 ざわめきの中に、いくつもの名前が浮かんでいた。


「ラウルは当然だよな」


「セレナも残ってる」


「ロックハートも勝ち残ったって」


「ダリオもいる」


「グレイスさん、やっぱり残ってる」


「あの勝ち方、何だったんだろ」


「ほとんど動いてないのに勝ったよね」


「教師推薦、伊達じゃなかったんだな」


 リゼ・グレイスの名前が、昨日より自然に口にされている。


 それは良いことなのか、悪いことなのか。


 アルト・レインフォードには、まだ判断できなかった。


 昨日、リゼは勝った。


 基礎剣術の範囲で、戦場の剣を出さず、相手を壊さず、静かに勝った。


 それは、リゼが自分で決めた理由に沿った勝利だったはずだ。


 学園の中で制御する。


 そのための一戦。


 けれど、目立った。


 派手に動かなかったからこそ、逆に目立った。


 強さを隠そうとした制御が、見る者に違和感として残った。


 そして、オルド・ハイマン監察官も見ていた。


 拍手していた。


 その姿を思い出すと、アルトの左手首は今朝も少し熱を持った。


 痛みはない。


 声もない。


 でも、怖さは残っている。


 アルトは布の上から手首を押さえ、掲示板を見上げた。


 本戦進出者一覧。


 ラウル・ヴァレンシュタイン。


 セレナ・アイゼンベルグ。


 リゼ・グレイス。


 カイ・ロックハート。


 ダリオ・エルム。


 他にも数名。


 そして、次戦組み合わせ予定の欄。


 カイ・ロックハート 対 ラウル・ヴァレンシュタイン


 その文字を見た瞬間、横から大きな気配が近づいた。


「来たな」


 カイ・ロックハートだった。


 声量は抑えている。


 だが、声の奥にある熱は抑えきれていない。


 彼は掲示板を見上げ、ラウルの名前と自分の名前を見て、拳を握った。


「次、俺とラウルか」


「うん」


 アルトが答える。


「早かったね」


「遅いよりいい」


「怖くない?」


 カイは少しだけ黙った。


 以前なら即座に「怖くねえ」と言っただろう。


 でも、今日は違った。


「少し怖い」


 正直な答え。


 アルトは目を瞬いた。


 カイは掲示板を見たまま続ける。


「昨日のままだったら、また流される。わかってる。だから怖い」


「うん」


「でも、届かせたい」


「うん」


「一回でいい。あいつの剣を、ちゃんと動かしたい」


 その言葉には、昨日までの勢いとは違う熱があった。


 勝つ。


 それだけではない。


 届かせたい。


 相手に自分の剣を認めさせたい。


 負けるかもしれないことを知った上で、それでも前を見る声だった。


 リゼ・グレイスが二人の隣へ立った。


「おはようございます」


「おはようございます」


 アルトが返す。


 カイも短く言う。


「おはよう」


 リゼは掲示板を確認し、カイとラウルの組み合わせで一度視線を止めた。


「想定より早く当たりました」


「そうだな」


「現時点での勝率は高くありません」


「知ってる」


 カイはすぐに返した。


 怒らない。


 事実として受け取っている。


 リゼは少しだけ頷いた。


「良好です」


「何がだよ」


「現実認識です」


「負けるって言われて良好なのか」


「負けるとは言っていません。勝率が高くないと言いました」


「似てるだろ」


「違います」


 ミリア・ファルネーゼが遅れてやってきた。


 金色の髪を朝風に揺らしながら、掲示板を見て小さく息を吐く。


「あら。カイさん、早速ね」


「おう」


「緊張している?」


「少し」


 ミリアは柔らかく微笑んだ。


「それも良好ね」


「今日は皆、怖いって言うと良好にするな」


「怖さを無視しないのは大事なのよ」


 カイは少し不満そうにしたが、反論はしなかった。


 アルトは掲示板を見ていた。


 カイ対ラウル。


 それは大きな試合になる。


 カイの成長が試される試合。


 ラウルが彼をどう見るかが決まる試合。


 でも、アルトの胸にはもう一つ、昨日から続く問いが残っていた。


 リゼの剣は怖いのか。


 セレナに問われた言葉。


 あなた、あの人の剣を怖いと思わないの?


 怖いです。


 でも、怖いだけじゃありません。


 昨日はそう答えた。


 だが、一晩経って、その答えはまだ胸の中で揺れている。


 怖いだけじゃない。


 では、何なのか。


 見ていたい。


 なぜ。


 リゼの剣の何を見ていたいのか。


 アルトは左手首に触れた。


 熱、少し。


 痛みなし。


 声なし。


 現在地は、第一訓練場前。


 朝。


 リゼさん、ミリアさん、カイといる。


 掲示板に本戦進出者と組み合わせがある。


 感情は、心配。緊張。考えたいことがある。


 リゼがすぐに気づいた。


「銀環反応は」


「痛みなし。熱、少し。声なし」


「原因は」


「昨日のセレナさんの質問を考えていました」


 リゼの目がわずかに動く。


「私の剣が怖いか、という問いですか」


「はい」


 カイが眉を寄せる。


「あいつ、そんなこと聞いたのか」


「昨日、休憩場所で」


「やっぱり変なやつだな」


 ミリアが静かに言う。


「でも、悪い問いではなかったわ」


「悪くないのか?」


「ええ。鋭すぎるけれど」


 リゼはアルトを見た。


「回答を修正しますか」


「修正というか、もう少し考えたいです」


「必要であれば、私から距離を取ることも可能です」


 アルトはすぐに首を横に振った。


「違います」


 声が少し強く出た。


 リゼが黙る。


 アルトは息を吸った。


「怖いから離れたい、じゃないです。怖いと思うから、ちゃんと考えたいんです」


 ミリアが小さく頷いた。


 カイは腕を組みかけ、やめる。


「じゃあ、考えればいいだろ」


「うん」


「俺はラウルのこと考える」


「うん」


「お前はリゼの剣のこと考えろ」


 単純な言い方だった。


 でも、不思議と背中を押された。


 リゼは静かに言った。


「私は、本戦まで基礎動作の確認を行います。昨日の試合後、視線が増えています。今日以降、より制御が必要です」


「はい」


 アルトは頷いた。


「僕も見ます」


 リゼは一拍置いた。


「はい」


 その返事は、昨日より少しだけ穏やかだった。


 午前の授業は、剣術大会の熱を引きずったまま進んだ。


 教室でも、組み合わせの話題は消えない。


 ノエル・バートンは、カイ対ラウルの欄を写した紙を見ながら、少し興奮した様子だった。


「カイ君、もうラウル君と当たるんだ」


「そうだ」


 カイが短く答える。


「緊張する?」


「少し」


「そっか」


 ノエルは頷いた。


「でも、昨日の一歩、よかったと思う。僕は剣は詳しくないけど、前みたいに全部突っ込んでいる感じじゃなかった」


 カイは少し意外そうにした。


「見てたのか」


「見てたよ。皆見てたと思う」


「そうか」


「だから、応援するね」


 カイは一瞬、どう答えればいいかわからない顔をした。


 それから、ぼそっと言う。


「おう」


 ティナ・ベルが横から顔を出す。


「リゼさんもすごかったよね。私、何が起きたかわからなかった」


 リゼは少しだけ視線を向ける。


「基礎範囲内です」


「その言い方、昨日から皆真似してるよ」


「不適切ですか」


「ううん、ちょっと面白い」


 リゼは困ったように瞬きをした。


 アルトは少し笑った。


 リリア・ノースが静かに言った。


「静かな剣だった」


 教室の空気が少し変わる。


 リリアの言葉は、いつも短い。


 でも、的確だ。


 リゼは彼女を見る。


「静か、ですか」


「音が少なかった。でも、何かが終わっていた」


 リゼは少しだけ考えた。


「ありがとうございます」


「褒めたつもり」


「受け取りました」


 ティナが笑う。


「リゼさん、受け取り方も真面目」


 その会話は、学園のものだった。


 リゼの剣について話している。


 でも、戦場の英雄としてではなく、昨日の試合を見た同級生として。


 そのことに、アルトは少し救われた。


 ただし、教室の外では別の視線もあった。


 休み時間、廊下の奥に王宮式の濃紺の外套が見えた。


 オルド・ハイマン監察官。


 彼は学園長と共に歩いており、生徒たちへ穏やかに会釈していた。昨日の試合を見ていた時と同じ、丁寧な微笑み。


 アルトの左手首が熱を持つ。


 リゼがすぐに立ち位置を調整した。


 アルトの左側。


 少しだけ前。


 しかし、完全には隠さない。


 ミリアも自然に会話を続ける形で、周囲の視線を散らす。


 カイは拳を握りかけ、深呼吸した。


 オルドは遠くからアルトたちを見た。


 ほんの一瞬。


 その視線は、アルト、リゼ、カイ、ミリアの順に滑る。


 昨日の面談で言われた言葉が胸に戻る。


 学園内関係者の影響。


 リゼ・グレイスの護衛能力と影響力。


 友達が、報告書の中で別の言葉に変換されていく。


 アルトは手首を押さえた。


「痛みなし。熱、中。声なし。現在地は第一校舎廊下。リゼさん、ミリアさん、カイといる。オルド監察官が見えた」


 声に出して言う。


 リゼが頷く。


「良好です」


 ミリアが尋ねる。


「感情は」


「怖い。見られるのが嫌。でも、今は倒れない」


 カイが低く言う。


「倒れたら起きればいい」


 昨日の稽古の言葉。


 アルトは少し笑った。


「うん」


 オルドは通り過ぎていった。


 廊下の空気が少しだけ戻る。


 だが、彼の視線は残った。


 王国史の授業で、ロウ教師は予定通り授業を進めた。


 今日の内容は、王国初期の騎士叙任式における「剣の誓い」だった。


「剣を持つ者は、何を斬るかだけでなく、何を斬らないかを誓う必要がある」


 ロウ教師は黒板にそう書いた。


「戦場では、斬らなければ生き残れない場面がある。しかし平時においては、剣の価値はしばしば“止める力”に宿る。自分の衝動を止める。相手の暴走を止める。場にそぐわない力を止める」


 アルトはノートに書いた。


 何を斬らないか。


 止める力。


 リゼの剣。


 昨日、リゼは相手を壊さなかった。


 カイに教えたのも、前へ出る力だけではなく、止める力だった。


 自分の戦場反射も、止めようとしている。


 怖いだけじゃない理由。


 それは、もしかしたらここにあるのかもしれない。


 リゼの剣は、斬った過去を持っている。


 それは怖い。


 でも今、彼女は斬らないために剣を握っている。


 壊さないために。


 戻るために。


 制御するために。


 アルトはノートの端に書いた。


 怖いだけじゃないのは、リゼさんが止めているから。


 授業が終わると、アルトはその一文をしばらく見つめていた。


 リゼが気づく。


「また、私の剣ですか」


「はい」


「熱は」


「少し。痛みなし。声なし」


「続けられますか」


「はい」


 アルトはノートの端を見せた。


 リゼは文字を読む。


 怖いだけじゃないのは、リゼさんが止めているから。


 その灰銀の目が、少しだけ揺れる。


「止めているから」


「はい」


 アルトは言った。


「リゼさんの剣は怖いです。たぶん、怖くないって言ったら嘘になります」


「はい」


「でも、リゼさんは今、それを止めている。だから、僕は怖いだけじゃないって思うんです」


 リゼは黙った。


 カイが少し離れた席から聞いていたが、口を挟まなかった。


 ミリアも同じく、静かに見守っている。


「昨日の試合も、カイへの稽古も、リゼさんは相手を壊さないようにしていました」


 アルトは言葉を探しながら続けた。


「だから、僕は……リゼさんの剣が怖くないんじゃなくて、怖いのに信じたいんだと思います」


 言ってから、自分でも胸が熱くなった。


 怖いのに信じたい。


 それが一番近い気がした。


 リゼは長く黙っていた。


 やがて、低く言う。


「信じる対象として、適切かは不明です」


「不明でも、僕はそう思いました」


「危険評価では、私の剣は警戒対象です」


「はい」


「戦場反射が出る可能性もあります」


「はい」


「それでもですか」


 アルトは頷いた。


「それでもです。リゼさんが一人で止めきれない時は、僕も名前を呼びます。ミリアさんも、カイも、きっと呼びます」


 リゼの表情がわずかに変わった。


「私を、戻すために」


「はい」


 ミリアが静かに言う。


「友達ですもの」


 カイも短く言った。


「呼ぶに決まってるだろ」


 リゼは二人を見て、それからアルトへ視線を戻した。


「確認しました」


 いつもの言葉。


 だが、その声は少し掠れていた。


 昼休み、四人は中庭ではなく、第一訓練場近くの芝生に座った。


 午後に本戦前の確認練習があるため、移動を短くするためだ。


 周囲にも出場者が多く、模擬剣を持った生徒たちが緊張した顔で弁当を食べたり、足運びを確認したりしている。


 カイは昼食を早く食べようとして、リゼに止められた。


「速度過多です」


「午後ラウル対策するんだろ」


「消化不良状態では対策効率が低下します」


「飯まで戦術か」


「はい」


 カイは渋々速度を落とした。


 ミリアが焼き菓子の袋を見ながら言う。


「今日は面談後用ではなく、試合前用ね」


「試合前には食べない」


 カイが即答した。


 三人が彼を見る。


「何だよ」


「成長しています」


 リゼが真面目に言う。


「さすがに覚えた。食ったら動きにくい」


「非常に良好です」


 カイは少し得意げだった。


 その時、セレナ・アイゼンベルグが近づいてきた。


 昨日と同じように、足音が少ない。


 しかし、今日は真正面から来たため、誰も驚かなかった。


 彼女は手に水筒を持ち、アルトたちから少し距離を置いて立ち止まった。


「ここ、座っても?」


 ミリアが微笑む。


「どうぞ。ただし、あまり詰めすぎるとカイさんが緊張します」


「俺かよ」


 カイが言う。


 セレナは少しだけ目を細めた。


「では、少し離れるわ」


 彼女は芝生の上に腰を下ろした。


 不思議な光景だった。


 セレナは首席候補の一人で、観察眼の鋭い相手だ。


 警戒すべき人物でもある。


 だが、今は同じ昼休みに座っている。


 学園では、そういうことも起こる。


 セレナはアルトを見た。


「昨日の答え、考え直した?」


 アルトは少し驚いた。


「覚えていたんですか」


「聞いたのは私だから」


「はい。考えました」


「じゃあ、聞かせて」


 リゼがわずかに姿勢を整える。


 アルトは左手首に触れた。


 熱、少し。


 痛みなし。


 声なし。


 現在地は、第一訓練場近くの芝生。


 昼。


 リゼさん、ミリアさん、カイ、セレナさんがいる。


 怖いけど、言える。


「リゼさんの剣は怖いです」


 アルトは言った。


 セレナは黙っている。


 リゼも。


「でも、怖いだけじゃありません。リゼさんは、今ここで止めています。戦場の剣を、そのまま出さないようにしている。相手を壊さないようにしている。カイに教える時も、倒れても起きるために教えています」


 セレナの目が細くなる。


「あなたは、それを信じるの?」


「はい」


「戦場で作られた剣を?」


 アルトは少し息を呑んだ。


 セレナはやはり気づいている。


 リゼの剣が、普通の学園の剣ではないことを。


 リゼは黙っている。


 ミリアも止めない。


 カイは少し険しい顔をしているが、口を挟まない。


 アルトは答えた。


「信じたいです」


「信じたい、なのね」


「はい。完全に安全だと思っているわけじゃありません。怖いです。でも、リゼさんが止めようとしていることも見ています」


「止められなかったら?」


 セレナの問いは鋭かった。


 アルトの左手首が熱くなる。


 痛みはない。


 声もない。


 でも、胸がざわつく。


 止められなかったら。


 リゼが戦場へ戻ってしまったら。


 相手を壊してしまったら。


 アルトは一瞬、答えを失いかけた。


 その時、カイが口を開いた。


「止める」


 単純な言葉だった。


 セレナがカイを見る。


「あなたが?」


「俺も。アルトも。ミリアも。先生も」


 カイは真っ直ぐ言う。


「リゼが戻れなくなりそうなら、呼ぶ。止める。倒れたら起こす」


 リゼが少しだけ目を伏せた。


 セレナはカイを見て、次にアルトを見る。


「あなたたちは、それを友情と呼ぶの?」


 ミリアが穏やかに言った。


「少なくとも、私たちはそう覚えている途中です」


「途中」


「ええ。完成しているわけではありません」


 セレナは少し黙った。


 その沈黙は観察の時間だった。


 やがて、彼女はリゼを見た。


「あなたは、彼らに止められることを許すの?」


 リゼはすぐには答えなかった。


 灰銀の瞳が、セレナを見返す。


 セレナの問いは、リゼの中心に触れている。


 戦場では、止まることは死に直結したかもしれない。


 誰かに止められることは、危険だったかもしれない。


 けれど今、彼女は学園にいる。


 友人たちの前で剣を握る。


 出場理由を見失ったら戻ると、記録帳に書いた。


 リゼは静かに答えた。


「許可します」


 カイが目を丸くする。


 アルトも息を止めた。


 リゼは続けた。


「私が出場理由を見失い、戦場反射が優位になった場合、友人および教師からの停止呼びかけを受け入れます」


 セレナはわずかに眉を上げた。


「ずいぶん形式的ね」


「形式化することで実行可能性が上がります」


「でも、意味はわかったわ」


 セレナは水筒を閉じた。


「あなたたちは、互いに危険で、互いに制御装置なのね」


 ミリアが少し苦笑した。


「表現は鋭いけれど、近いかもしれないわ」


 アルトはその言葉を考えた。


 互いに危険。


 互いに制御装置。


 友達という言葉より冷たく聞こえる。


 でも、完全に違うわけでもない。


 自分の銀環は、三人を巻き込む危険がある。


 リゼの剣にも危うさがある。


 カイの突撃も危ない。


 ミリアも、誰かを守るために社交戦へ踏み込みすぎるかもしれない。


 それでも、互いに止める。


 戻す。


 待つ。


 それを、たぶん友達と呼んでいる途中なのだ。


 セレナは立ち上がった。


「答えは聞けた。ありがとう」


 アルトは少し戸惑いながら頷く。


「はい」


 セレナは一歩歩きかけ、止まった。


「リゼ・グレイス」


「はい」


「あなたの剣は怖いわ」


 空気が少し張る。


 セレナは淡々と続けた。


「でも、怖いものを怖いまま制御できるなら、それは学園で見る価値がある」


 リゼは静かに答えた。


「評価として受け取ります」


「ええ」


 セレナは去っていった。


 カイがその背中を見ながら言う。


「変なやつだな」


 ミリアが微笑む。


「でも、敵とは限らないわ」


「味方か?」


「それもまだわからない」


「やっぱ変なやつだ」


 アルトはリゼを見た。


「リゼさん」


「はい」


「大丈夫ですか」


「警戒は継続しています」


「怖い可能性は?」


「あります」


「でも?」


 リゼは少しだけ目を伏せた。


「少し、軽くなりました」


 その言葉に、アルトは胸が温かくなった。


「よかった」


「理由は不明です」


 ミリアが柔らかく言う。


「言われたからではないかしら」


「何を」


「怖いものを怖いまま制御できるなら、見る価値がある。そう言われたこと」


 リゼは少し考えた。


「可能性があります」


 カイが言う。


「俺も見るぞ」


「あなたは次戦準備をしてください」


「見るし準備もする」


「過負荷です」


「昨日より強くなってるから大丈夫だ」


「根拠が弱いです」


 そのやり取りに、アルトは笑った。


 午後の訓練は、本戦前の軽い調整だった。


 カイはラウル戦へ向けて、リゼと短時間だけ動きを確認した。


 前へ出る。


 止まる。


 戻る。


 押し返さず、流す。


 剣を届かせる。


 だが、焦るとすぐに前重心になる。


 リゼは何度も止めた。


「前に出すぎです」


「わかってる」


「わかっているだけでは不十分です」


「体がわかってねえんだろ」


「はい」


「もう一回」


 カイは汗を流しながら続けた。


 その姿を、ラウルが遠くから見ていた。


 今日は近づいてこない。


 ただ、静かに見ている。


 相手を知ろうとしている目だった。


 リゼはそれに気づきながらも、訓練を続ける。


 アルトは見学位置からカイを見ていた。


 怖い。


 カイは負けるかもしれない。


 むしろ、ラウルとの現時点の差を考えれば、その可能性は高い。


 それでも、カイは逃げていない。


 怖いと言った。


 届かせたいと言った。


 負ける前に負け方を知り、今も足を調整している。


 応援したい。


 その気持ちが、はっきりしてきた。


 同時に、リゼの姿も見ていた。


 彼女はカイの訓練を指導しながら、自分自身の動作も抑えている。


 模擬剣を振る時、速すぎない。


 鋭すぎない。


 でも、必要な場所へ正確に置く。


 怖い。


 だけど、怖いだけではない。


 止めているから。


 戻ろうとしているから。


 アルトは左手首に触れた。


 痛みなし。


 熱、少し。


 声なし。


 感情は、緊張。応援したい。見ていたい。


 ミリアが隣で静かに言う。


「今日はずっと考えているわね」


「はい」


「答えは少し見えた?」


「怖くない剣なんじゃなくて、怖いまま信じたい剣なんだと思いました」


 ミリアは少し目を細めた。


「とてもアルトさんらしい答えね」


「リゼさんに言うには、重いですか」


「もう少し時間をかけてもいい。でも、きっと伝えていい言葉よ」


 訓練が終わる頃、夕鐘が鳴った。


 カイはへとへとになり、芝生に座り込んだ。


「今日は転んでねえ」


 すぐにそう言う。


 リゼが確認する。


「膝接地は二回」


「転倒じゃねえ」


「転倒未満です」


「ならよし」


「ただし、ラウル戦では未満で済まない可能性があります」


「わかってる」


 カイは空を見上げた。


「でも、昨日よりは届く」


「はい」


 リゼは頷いた。


「昨日よりは届く可能性が上がっています」


 カイは満足そうに笑った。


「それでいい」


 アルトはカイの隣へ座った。


「応援します」


「勝つところを見ろ」


「うん。でも、負けても見ます」


 カイは少し顔をしかめた。


「縁起悪いな」


「ごめん。でも、どっちでも見たい」


 カイはしばらく黙り、それから小さく言った。


「じゃあ、負けても格好悪くないようにする」


「うん」


「いや、負けねえけど」


「うん」


 リゼがそのやり取りを見ていた。


 アルトは彼女へ向き直る。


「リゼさん」


「はい」


「今日、少し答えが出ました」


「私の剣についてですか」


「はい」


 リゼの表情が少し硬くなる。


 だが、逃げない。


 アルトはゆっくり言った。


「リゼさんの剣は、怖くないわけじゃありません」


「はい」


「怖いです」


「はい」


「でも、僕は怖いから見たくないんじゃなくて、怖いまま信じたいんです」


 リゼが動きを止めた。


 アルトは続ける。


「リゼさんが止めようとしているから。戻ろうとしているから。戦場の剣を、学園の中で制御しようとしているから」


 左手首が淡く光る。


 痛みはない。


 声もない。


「だから、僕は見ていたいです」


 リゼは長く黙った。


 夕鐘の余韻が訓練場に残っている。


 カイもミリアも、何も言わない。


 リゼは静かに息を吸った。


「怖いまま、信じる」


「はい」


「それは危険な判断です」


「はい」


「しかし」


 リゼは自分の右手を見た。


 剣を握っていた手。


 昨日、相手を壊さずに勝った手。


 カイに倒れ方を教えた手。


「私には、その言葉が必要だった可能性があります」


 アルトの胸が温かくなる。


「必要?」


「はい」


 リゼは小さく頷いた。


「怖くない、と言われた場合、私は否定したと思います」


「うん」


「危険ではない、と言われた場合も、否定しました」


「はい」


「しかし、怖いまま信じたい、であれば」


 リゼは言葉を探すように少し間を置いた。


「否定しきれません」


 ミリアが静かに微笑む。


 カイは少し難しそうな顔をしている。


「よくわかんねえけど、いいこと言ったんだな」


「たぶん」


 アルトは少し笑った。


 リゼも、ほんのわずかに口元を緩めたように見えた。


「確認しました」


 その声は、いつもより柔らかかった。


 夕方、中庭へ戻る途中、掲示板の前に人が集まっていた。


 明日の本戦第一試合の正式告知が貼り出されている。


 カイ・ロックハート 対 ラウル・ヴァレンシュタイン


 時間は午前第三試合。


 カイは掲示を見上げ、拳を握った。


「明日だ」


「はい」


 リゼが言う。


「今日は早く休んでください」


「素振りは?」


「軽く。疲労を残さない範囲」


「何回」


「二十回」


「少なくないか」


「質重視です」


「わかった」


 素直に頷くカイに、ミリアが微笑む。


「本当に成長したわね」


「だから何でも成長にするな」


「でも今日は特に」


 アルトは掲示板を見ていた。


 明日、カイがラウルと戦う。


 怖い。


 でも、見届ける。


 リゼの剣についても、少しだけ答えを持てた。


 怖いまま信じたい。


 その言葉は、アルト自身にも向いている気がした。


 銀環も怖い。


 王宮も怖い。


 白鐘礼拝堂の夢も怖い。


 でも、怖いから全部閉じるのではなく、怖いまま誰かを信じる。


 怖いまま、ここにいる。


 夕鐘の光が、掲示板の紙を少し赤く染めていた。


 夜。


 男子寮の自室で、アルトは紙片を書いた。


 今日は、本戦進出者と組み合わせが貼り出された。


 カイはラウルさんと当たる。


 カイは少し怖いと言った。


 でも、届かせたいと言った。


 前より、ちゃんと自分の怖さを見ていると思った。


 リゼさんの剣について、昨日からずっと考えた。


 セレナさんに、怖くないのかと聞かれたから。


 リゼさんの剣は怖い。


 怖くないと言うのは嘘だと思う。


 戦場で作られた剣で、止められなかったら危ない。


 でも、怖いだけじゃない。


 ロウ先生は、剣は何を斬らないかも大事だと言った。


 止める力。


 リゼさんは今、止めようとしている。


 相手を壊さないように。


 戦場の反射をそのまま出さないように。


 学園の中で制御するために。


 だから僕は、リゼさんの剣を怖いまま信じたい。


 怖くない剣だから信じるんじゃない。


 怖さを知って、それでもリゼさんが止めようとしているのを見ているから、信じたい。


 昼、セレナさんとまた話した。


 彼女は、止められなかったらどうするのかと聞いた。


 カイは、止めると言った。


 僕も、ミリアさんも、先生も、きっと呼ぶ。


 リゼさんは、友人と教師からの停止呼びかけを受け入れると言った。


 形式的だったけど、でも大事な言葉だった。


 セレナさんは、怖いものを怖いまま制御できるなら、学園で見る価値があると言った。


 リゼさんは少し軽くなったと言った。


 午後、カイはラウル戦のために訓練した。


 まだ危ない。


 でも、昨日より届く可能性が上がっているとリゼさんが言った。


 カイは嬉しそうだった。


 夕方、リゼさんに、怖いまま信じたいと伝えた。


 リゼさんは、怖くないと言われたら否定した、でもその言葉は否定しきれないと言った。


 左手首は何度か熱くなった。


 でも痛みはなかった。


 声もなかった。


 怖いまま考えられた。


 アルトはペンを止めた。


 窓の外には夜の鐘楼が見える。


 明日、カイはラウルと戦う。


 リゼも本戦へ進む。


 セレナは見ている。


 オルド監察官も、おそらく見ている。


 怖いものばかりだ。


 でも、怖いものを怖いまま見つめる練習を、今日した。


 アルトは最後に一行を書いた。


 怖くないから信じるんじゃない。


 怖いと知って、それでも戻ろうとしている人を見ているから、信じたい。


 紙片を折り、引き出しへしまう。


 左手首を胸の上に置く。


 熱はほとんどない。


 ただ、薄い光が布の下で揺れている。


「現在地は、男子寮の自室。夜。僕はアルト。明日はカイがラウルさんと戦う。リゼさんの剣は怖い。でも、怖いまま信じたい」


 銀環は淡く光った。


 痛みはなかった。


 その光は、剣の刃を消すものではなく、刃を握る手がまだここに戻れると示す、小さな灯のように手首の奥で静かに揺れていた。


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