第13章 第4話:本人意思の再確認
本人意思確認は、王立学園の医務室で行われることになった。
王宮ではない。
中央記録局でもない。
封印管理室でもない。
王の鐘の前でも、第二保管層の扉の前でもない。
王立学園医務室。
窓から午前の光が入り、薬草の匂いがあり、廊下の向こうから生徒たちの足音が届く場所。
アルト・レインフォードが帰ってきた場所。
その部屋に、机が一つ置かれた。
机の上には、王宮から届いた文書がある。
本人意思確認再実施要請書。
ただし、その文書には赤い訂正線が多く入っていた。
王宮側が最初に送ってきた文面には、いくつか危うい言葉があった。
保護移送に関する本人意思の整理。
王宮保護処理に対する事後確認。
王の鐘接続未遂に関する本人理解確認。
それらは、ミリア・ファルネーゼとユリウス・エインズワースによって訂正された。
整理ではなく、確認。
事後確認ではなく、本人発声確認。
理解確認ではなく、本人意思確認。
後から同意に変えられる余地を、一つずつ削った。
最終的に残った表題は、短かった。
アルト・レインフォード本人意思再確認。
その下に、条件が並んでいる。
場所、王立学園医務室。
本人の体調を優先。
医師の停止権あり。
本人の途中停止権あり。
誘導質問禁止。
回答拒否を不同意または未回答として扱い、同意とは扱わない。
本人発声または本人筆記を優先。
部分抽出禁止。
後整理による同意化禁止。
リゼ・グレイスは、その文面を三度確認した。
署名欄には名前がある。
王宮本会議代表、ナイル・ヴァート。
封印管理室副管理官、レアナ・フィス。
監察局補助室上席監察官、オルド・ハイマン。
王立学園側立会人、ユリウス・エインズワース。
記録者、ミリア・ファルネーゼ。
医務責任者、王立学園医務官。
そして、本人欄は空白だった。
まだ埋められていない。
それは正しい空白だった。
本人が答えるまで、誰も書かない空白。
リゼはその空白を見て、静かに息を吸った。
王宮が作った空白とは違う。
責任を逃がすための空白ではない。
本人の声を待つための空白。
アルトは寝台の背を起こした状態で座っていた。
医師の許可した範囲だ。
体力はまだ戻っていない。
顔色は白い。
喉には薄い布が巻かれ、左手首にも新しい布がある。
だが、黒布はない。
口元を塞ぐものはない。
白布児記録の灰色封箱は、隣室の保全棚に移されている。
見えない。
けれど、近くにある。
母記録はまだ開かれていない。
アルトは今日、それを読むのではない。
今日確認するのは、王宮が勝手に作った「本人意思」を、本人の声で確認し直すことだった。
カイ・ロックハートは、医務室の外で待機する予定だった。
だが、アルトが小さく「近くにいてほしい」と言ったため、部屋の隅に椅子を置かれた。
ただし、発言は求められた時のみ。
声量は小さく。
立ち上がらない。
カイは両手を膝に置き、真剣な顔で座っている。
その表情があまりに必死なので、ミリアが一度だけ「呼吸して」と言った。
カイは「してます」と小声で答えた。
エリアナ・ルクス・ヴェルグラントも、部屋の壁際にいた。
香草袋は今日も胸の前。
机に置かない。
アルトの近くにも置かない。
彼女自身が持っている。
アルトが匂いを望んだ時だけ、少し近づく。
それも事前確認のうえで。
ロウ教師は扉の近くに立っている。
腕を組み、部屋全体を見ていた。
王宮側立会人が無意識に言葉を急かした時、止める役割でもある。
学園長は本来、中央に座るべきだったが、今日は一歩引いた位置にいる。
「本人意思確認は、本人の声を中心にするためです」
そう言って、学園長はアルトの視界に入りすぎない場所を選んだ。
ナイルは机の向こう側に座っていた。
王宮代表として。
だが、彼の前に王宮紋の大きな札はない。
小さな名札だけが置かれている。
ナイル・ヴァート。
レアナも、オルドも同じだった。
肩書きより先に、名が見える。
アルトはそれを見た。
リゼはすぐに説明した。
「王宮側立会人は、氏名を表示しています。肩書きのみではありません」
アルトは小さく頷いた。
ミリアが記録する。
本人、立会人氏名表示を確認。
医師がアルトの脈と呼吸を確認した。
「会話は短く。質問は一つずつ。アルト君、途中で止めたい時は、手を上げる、首を横に振る、または“止めて”と言ってください。声が出にくければ、指で布を叩いても構いません」
アルトは掛布の上で右手の指を一度動かした。
「……はい」
ミリアが記録する。
停止方法確認。
ナイルは一度、深く頭を下げた。
「アルト・レインフォードさん。王宮本会議補佐官、ナイル・ヴァートです。本日の確認は、あなたを王宮へ連れ戻すためのものではありません。過去の文書に記された本人意思確認済という記載を、本人の声で確認し直すためのものです。嫌な質問があれば、止めてください」
アルトはナイルを見た。
目に緊張がある。
だが、逃げていない。
「……わかり……ました」
オルドが続いた。
「監察局補助室上席監察官、オルド・ハイマンです。私は、過去の分類語に関与しました。その責任を持って、この場にいます。あなたの答えを整理して別の意味に変えません」
アルトの視線が少し揺れる。
オルドを見る目には、まだ警戒があった。
それは当然だった。
オルドは、それを受け止めるように頭を下げた。
「警戒されることを受け入れます」
ミリアがその言葉も記録した。
レアナが言った。
「封印管理室副管理官、レアナ・フィスです。白布児記録、王の鐘、第二保管層に関する確認が必要な場合、私が答えます。ただし、あなたが答えたくない場合は、答えなくて構いません」
アルトは少しだけ息を吸った。
「……はい」
リゼは、アルトの左側にいた。
いつもの護衛位置。
ただし、今日は少し後ろ。
答えを代わらないための位置。
名前を呼べる距離。
けれど、言葉を上書きしない距離。
ミリアが机の横に座り、記録板を開いた。
「これより、アルト・レインフォード本人意思再確認を開始します。記録者、ミリア・ファルネーゼ。誘導質問禁止。本人発声優先。途中停止権あり。確認します。アルトさん、開始してよいですか」
アルトは右手の指を少し握った。
喉が動く。
「……はい。始めて……ください」
ミリアが記録する。
本人、開始許可。
最初の質問は、ユリウスが読み上げた。
紙ではなく、アルトの顔を見て、ゆっくり。
「アルト・レインフォードさん。あなたは、王宮保護移送に同意しましたか」
部屋の空気が少し硬くなる。
王宮保護移送。
第10章で紙の上に現れた言葉。
存在しない馬車。
正式に完了した誘拐。
黒布。
夢歩き。
黒い馬車。
アルトの呼吸が浅くなった。
医師が手を上げかける。
リゼが声を低くした。
「アルトさん。現在地、王立学園医務室。移送中ではありません。答えは一語でも構いません。止めても構いません」
アルトは目を閉じた。
少しだけ時間が流れる。
カイは拳を握っている。
だが、声は出さない。
エリアナは香草袋を胸に当てている。
ミリアは筆を止め、待っている。
アルトは目を開けた。
「……同意……していません」
ミリアがすぐに記録する。
アルト・レインフォード、王宮保護移送への不同意を発声。
ユリウスが確認する。
「全文として記録します。王宮保護移送に同意していません」
アルトは頷いた。
ナイルが、自分の文書へ同じ言葉を書いた。
手が少し震えていた。
次の質問。
ユリウスは一度、医師を見る。
医師が呼吸を確認し、頷いた。
「アルト・レインフォードさん。あなたは、第二保管層への保管に同意しましたか」
アルトの指が掛布を掴んだ。
第二保管層。
ここ。
さむい。
こえ。
ぼく。
ひとりではない。
白い棚。
黒布。
声が出なかった場所。
リゼは何も言わず、ただ左側にいた。
カイも黙っていた。
沈黙は圧力ではなかった。
待つための沈黙。
アルトは、喉を震わせた。
「……同意して……いません」
声が掠れる。
ミリアが記録する。
第二保管層保管への不同意を発声。
レアナが深く頭を下げた。
「封印管理室として記録します」
アルトは、レアナを見た。
怒っているのか、怖いのか、わからない。
リゼは断定しなかった。
レアナは続けなかった。
謝罪の長さで本人の負担を増やさないためだ。
医師が水を差し出した。
「一口」
アルトは小さく頷き、水を飲んだ。
飲み込む時、少し眉が寄る。
カイの顔が歪んだ。
だが、彼は声を出さず、椅子の端を握った。
ミリアが小声で言う。
「良好」
カイは涙目で頷いた。
次の質問は、ナイルが読むことになっていた。
彼は紙を見た後、紙を置いた。
そして、アルトを見た。
「アルト・レインフォードさん。あなたは、王の鐘になることに同意しましたか」
王の鐘。
部屋の温度が下がったように感じた。
実際には下がっていない。
窓からの光は変わらない。
薬草の匂いもある。
だが、アルトの顔色がさらに白くなる。
銀環の布が、ほんの少し震えた。
クラウスが測定具を確認する。
「銀環反応、微弱。強制接続反応なし。ただし情動反応あり」
医師が言う。
「止めますか」
アルトは、すぐには答えなかった。
右手の指が、掛布を叩く。
一度。
止める合図ではない。
何かを確かめるような動き。
リゼは言った。
「アルトさん。あなたは王の鐘の前にいません。ここは王立学園医務室です。王の鐘は沈黙しています。答えたくない場合は、答えなくて構いません」
アルトは、ゆっくり息を吸った。
喉が鳴る。
痛そうだった。
それでも、彼は声を出した。
「……同意して……いません」
そこで一度、声が途切れる。
ミリアは書き始めず、待った。
アルトは続けた。
「僕は……王の鐘に……なりたく……ありません」
部屋の中で、誰もすぐには動かなかった。
それは、短いけれど完全な言葉だった。
ミリアが記録する。
王の鐘化への不同意。
「僕は、王の鐘になりたくありません」と発声。
ナイルが、唇を引き結んで書いた。
レアナも書いた。
オルドも。
誰も、情緒反応とは書かなかった。
本人意思。
不同意。
そのまま記録された。
カイが小さく言った。
「うん」
医師がカイを見る。
カイはすぐに口を閉じた。
「すみません」
アルトの目が、カイの方へ動く。
少しだけ、呼吸が戻る。
カイは声を抑えて言った。
「聞いた。ちゃんと」
ミリアがそれも記録しそうになり、少し考えてから、関係者反応、声量小、とだけ書いた。
次の質問は、オルドが担当した。
彼は文書を手にしながらも、なかなか読み上げなかった。
リゼは彼を見る。
「質問内容」
オルドは頷いた。
「はい」
彼はアルトへ向き直った。
「アルト・レインフォードさん。あなたは、銀環反応対象、保護管理対象、孤独音候補などの分類語で扱われることに同意しますか」
カイの眉が跳ねた。
ミリアがすぐに手を上げる。
「質問が広すぎます」
オルドは即座に頭を下げた。
「訂正します」
リゼも言う。
「分類語を複数まとめて本人へ提示すると、負荷が高いです」
「はい。私の誤りです」
オルドは深く息を吸い、文書に線を引いた。
その場で質問を分ける。
「アルト・レインフォードさん。あなたは、あなた自身の名前ではなく“銀環反応対象”という分類だけで扱われることに同意しますか」
アルトは、少しだけ眉を寄せた。
答えは早かった。
「……同意……しません」
ミリアが記録する。
名前ではなく銀環反応対象のみで扱うことへの不同意。
オルドは次を読む。
「あなたは、“保護管理対象”という分類だけで扱われることに同意しますか」
「……同意……しません」
「あなたは、“孤独音候補”という分類で扱われることに同意しますか」
アルトの呼吸が乱れた。
孤独音。
王の鐘。
白布児記録。
母の願い。
この子を、孤独な音にしないでください。
エリアナが香草袋を胸に当て、声を出す前にリゼを見た。
リゼはアルトを見ている。
代わりに答えない。
待つ。
アルトは、少し時間をかけて言った。
「……同意……しません」
それから、かすれた声で続けた。
「僕は……孤独な音では……ありません」
カイが両手で口を押さえた。
ミリアが筆を走らせる。
孤独音候補分類への不同意。
「僕は、孤独な音ではありません」と発声。
エリアナの目に涙が浮かんだ。
彼女は香草袋を握りしめ、小さく言った。
「はい」
アルトはエリアナを見る。
エリアナは続けた。
「あなたは、孤独な音ではありません」
ミリアが記録するか迷い、白鐘関係者反応として短く記した。
オルドは、深く頭を下げた。
「分類語を、あなたの名前の代わりにしません。監察局記録にも、そのように訂正します」
アルトは、少しだけ頷いた。
次に、ユリウスが別の紙を開いた。
そこには、アルトの名前に関する確認事項が書かれている。
出生名、エルディア・レインフォード。
本人応答名、アルト・レインフォード。
この質問は、全員が慎重になった。
母記録に近い。
白布児記録に関わる。
王宮が「正名」として上書きしようとした部分でもある。
ユリウスは、医師とミリア、リゼ、そしてアルトの様子を確認してから、ゆっくり言った。
「アルト・レインフォードさん。出生名エルディア・レインフォードについて、今、確認してもよいですか。嫌であれば、後日にします」
アルトは、すぐには答えなかった。
視線が、隣室の保全棚の方へ向く。
白布児記録は見えない。
けれど、そこにある。
エルディア。
母がつけたのか。
王宮が記したのか。
まだすべてはわからない。
アルトは、唇を震わせた。
「……確認……します」
ミリアが記録する。
出生名確認、本人許可。
ユリウスは質問を短くした。
「あなたは、出生名エルディア・レインフォードを消したいですか」
アルトは驚いたように瞬きをした。
王宮は、アルトを消そうとした。
エルディアへ戻そうとした。
だが、今の質問は逆だった。
消したいか。
アルトは、少しだけ考えた。
「……消したく……ありません」
ミリアが記録する。
出生名エルディアを消したくない。
ユリウスは次を問う。
「では、現在、あなたは何と呼ばれたいですか」
アルトの視線が、リゼへ向く。
リゼは何も言わない。
カイへ向く。
カイは口を押さえたまま、涙目で頷くだけ。
ミリアへ。
ミリアは筆を構えて待っている。
エリアナへ。
香草の匂いが少し届く。
アルトは、声を出した。
「……アルト……です」
少し間を置いて、続ける。
「今の僕は……アルトって……呼ばれたいです」
ミリアが静かに記録した。
本人応答名、アルト。
現在、アルトと呼ばれたいと発声。
ユリウスは頷いた。
「出生名エルディアを消さず、現在の本人応答名としてアルトを使用する。これでよいですか」
アルトは頷いた。
「……はい」
ナイルが王宮側文書へ同じ言葉を書く。
レアナも封印管理室記録へ記す。
オルドも監察局記録へ。
ミリアは、正式文書の欄に丁寧に書いた。
出生名、エルディア・レインフォード。
本人応答名、アルト・レインフォード。
本人希望、現在はアルトと呼ばれたい。
リゼはその文字を見た。
どちらかを消さない。
一つに削らない。
本人が保持する限り、外部が勝手に完成させない。
それが、今ようやく公式記録に入った。
最後の確認は、学園長が行った。
彼は静かに前へ出る。
威圧しない距離で立ち止まり、アルトを見た。
「アルト・レインフォード君」
「……はい」
「あなたは、今後、どこで過ごしたいですか。王宮、学園、その他。答えたくなければ、後日にできます」
医務室が静かになる。
この問いは、第2章から何度も形を変えてきた。
護衛対象の少年。
銀環反応を持つ少年。
王宮に狙われた少年。
誘拐された少年。
保管された少年。
王の鐘にされかけた少年。
それでも、彼が最初から持っていた願い。
僕は、学園に残りたいです。
アルトは、目を閉じた。
長い沈黙。
誰も急かさない。
王宮側も、学園側も、友人たちも。
やがて、アルトは目を開けた。
声は弱い。
けれど、確かだった。
「……アルト・レインフォードとして……」
ミリアの筆が構える。
アルトは続ける。
「学園に……残りたいです」
その言葉が、医務室に落ちた。
リゼの胸の奥で、何かが静かに震える。
第2章で聞いた言葉。
あの時、彼はまだ多くを知らなかった。
自分の出生名も。
王の鐘も。
白布児記録も。
母の筆跡も。
王宮の空白も。
それでも、学園に残りたいと言った。
そして今、すべてを奪われかけた後で、もう一度言った。
学園に残りたい。
ミリアが、丁寧に記録した。
アルト・レインフォード、本人意思。
アルト・レインフォードとして、学園に残りたい。
学園長は静かに頷いた。
「本人意思、確認しました」
ナイルが王宮側文書に署名した。
「王宮本会議代表として、確認しました」
レアナ。
「封印管理室として、確認しました」
オルド。
「監察局として、確認しました」
ユリウス。
「王立学園として、確認しました」
リゼはアルトの左側で言った。
「リゼ・グレイスとして、確認しました」
カイが我慢できず、小さく言った。
「友達として、確認しました」
医師が彼を見る。
カイはすぐに背筋を伸ばした。
「小声です」
医師は少しだけ笑った。
「許可します」
エリアナも静かに言った。
「帰る場所として、確認しました」
アルトは全員を見た。
疲労で目が重そうだった。
それでも、視線は逃げていない。
ミリアが最後に文書を読み上げる。
「本人意思再確認結果。アルト・レインフォードさんは、王宮保護移送に同意していません。第二保管層保管に同意していません。王の鐘になることに同意していません。銀環反応対象、保護管理対象、孤独音候補等の分類のみで扱われることに同意していません。出生名エルディア・レインフォードを消すことは望んでいません。現在の本人応答名として、アルト・レインフォードを希望しています。今後、アルト・レインフォードとして王立学園に残ることを希望しています」
ミリアは顔を上げた。
「アルトさん。読み上げ内容に、間違いはありますか。疲れていれば、後で確認できます」
アルトは、ゆっくり瞬きをした。
喉が痛むのか、少しだけ眉を寄せる。
それでも、声を出した。
「……間違い……ありません」
ミリアが記録する。
本人、読み上げ内容に誤りなしと発声。
医師が即座に言った。
「ここまでです。終了」
学園長が頷く。
「本人意思確認を終了します」
ミリアが最後の行を書く。
終了時刻。
本人疲労あり。
医師判断により終了。
追加質問禁止。
王宮側立会人全員が署名する。
今回は、本人欄は空白のままではない。
ただし、アルトに今すぐ署名させることもしない。
体力がない。
手も震えている。
ユリウスが言う。
「本人署名は後日、体調回復後。現時点では発声確認と立会人署名で保全します」
ナイルが頷く。
「王宮側、異議なし」
レアナも。
「異議なし」
オルドも。
「異議なし」
ミリアがすぐに言う。
「異議なし、立会人名つきで記録します」
全員が頷いた。
医師がアルトの枕を下げる。
「よく頑張りました。眠ってください」
アルトは小さく息を吐いた。
緊張がほどけたのか、身体の力が抜ける。
リゼは一歩近づいた。
「アルトさん。確認は終了しました。現在地、王立学園医務室。あなたは学園に残る意思を伝えました。記録済みです」
アルトの目がリゼへ向く。
「……リゼさん……」
「はい」
「……聞いて……くれて……ありがとう……」
リゼは、わずかに息を止めた。
聞いてくれて。
それは、リゼだけではない。
ここにいる全員が、アルトの声を聞いた。
王宮も。
学園も。
友人も。
記録も。
リゼは答えた。
「あなたの声を確認しました」
アルトは、少しだけ笑った。
今度は、リゼもそれを笑顔に近い反応ではなく、はっきりと思った。
笑った。
アルトは、疲労に沈む直前、かすれた声で言った。
「……僕は……アルトです……」
ミリアの筆が、最後にもう一度動く。
本人、自己名確認。
僕は、アルトです。
アルトは眠りに落ちた。
医務室に静けさが戻る。
誰もすぐには動かなかった。
カイは両手で顔を覆っていたが、声は出していない。
肩は震えている。
泣いている。
しかし、声量は制御中。
エリアナは香草袋を握りしめ、目を閉じている。
ミリアは記録板を閉じず、乾ききるまで待っている。
ナイルは文書を見つめたまま、深く頭を下げた。
「王宮は、この記録を受け取ります」
リゼは彼を見た。
「受け取るだけでは不十分です」
ナイルは顔を上げる。
「はい。従います。訂正します。再発を防ぎます」
リゼは少しだけ頷いた。
「言葉として記録します。行動で確認します」
「はい」
オルドも静かに言った。
「監察局も同じです」
レアナ。
「封印管理室も」
学園長が文書を受け取り、ミリアの記録と照合した。
「王立学園は、アルト・レインフォード君の在学継続意思を受け入れます」
ユリウスが学園側の印を押す。
その音は、王の鐘とは違っていた。
誰かを呼び出す音ではない。
本人の声を受け取った印の音。
リゼはその音を聞いた。
カイが小声で言う。
「学園に残れるんだな」
ミリアが答える。
「残る意思が確認されたわ」
「よかった」
「ええ」
リゼは寝台で眠るアルトを見た。
喉はまだ痛む。
身体はまだ弱い。
母の記録も、王宮の空白も、これからだ。
それでも、今日一つ、紙の上の嘘が本人の声で訂正された。
王宮保護移送に同意していません。
第二保管層保管に同意していません。
王の鐘になることに同意していません。
アルト・レインフォードとして、学園に残りたいです。
その言葉は、医務室の白い光の中で乾いていく。
もう、黒い蔦が文字を削ることはない。
ミリアが記録板を閉じた。
「本人意思再確認、終了」
医務室の窓から、学園の庭が見えた。
まだ植えられていない香草の鉢。
片付け途中の青印。
遠くで卒業式の準備を再開する生徒たち。
学園は、少しずつ日常へ戻ろうとしている。
リゼはアルトの左側に立ったまま、静かに記録した。
アルト・レインフォード。
現在地、王立学園医務室。
本人意思、学園に残りたい。
確認済み。
本人、ここにいる。




