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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第11章 第8話:ここにいる


 最初に気づいたのは、カイだった。


 北棟第二保管層の扉。


 黒い膜。


 白く浮かぶ古い警告。


 鐘を鳴らすな。


 そして、その下にうっすらと残る黒い王宮文言。


 王宮保護移送、正式完了。


 対象者、到着済。


 外部確認不要。


 その文字のさらに下から、銀色の線がにじんだ。


 細く、震えながら。


 消えそうで、消えない。


 カイ・ロックハートは、扉を見つめていた。


 呼びかけの間隔は、ミリアが決めた通りに守っている。


 呼びすぎれば黒蔦層が強まる可能性がある。


 香草も、近づけすぎれば対抗反応を呼ぶ。


 だから、待つ。


 待って、届く形で呼ぶ。


 それがわかっていても、カイにとっては苦しかった。


 アルトが中で寒いと言った。


 声がないと言った。


 僕、と返した。


 それなのに、扉の前で待つしかない。


 拳を握り、開き、また握りかけて、やめる。


 その時だった。


 銀色の線が、文字になった。


 ここ。


 カイは息を呑んだ。


「出た」


 声が小さく漏れる。


 ミリア・ファルネーゼがすぐに顔を上げる。


「何?」


「扉。文字」


 リゼ・グレイスが振り向く。


 クラウス・ヴァイゼルが測定具を持ち上げる。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントが香草袋を胸の前で握り直す。


 全員の視線が扉へ集まった。


 銀色の文字は、確かにそこにあった。


 ここ。


 短い。


 けれど、明確な現在地の主張。


 その下に、もう一つの線が現れかける。


 黒蔦がそれを消そうとしている。


 銀色の線が震える。


 リゼは一歩前へ出た。


 近づきすぎない。


 触れない。


 だが、視線だけは逸らさない。


「記録します。北棟第二保管層扉表面、“ここ”表示。銀色。内部者からの現在地表明可能性」


 ミリアの手がすぐに動く。


 彼女の指先は震えていた。


 だが、文字は崩れない。


「記録したわ」


 カイが息を吸う。


「アルト!」


 ロウ教師が横目で見る。


 カイは叫びすぎないように、声を整えた。


「アルト。聞こえなくても、俺たちここにいる」


 扉の銀色が一瞬強くなった。


 クラウスが測定具を見る。


「銀環系反応、上昇。冷却は高いままですが、外部呼びかけに反応しています」


 エリアナが香草袋を少し近づける。


「これは私の香草袋です。あなたを動かすためではありません。戻るための匂いです」


 黒膜の端が白く浮いた。


 「ここ」の下に、もう一つの文字列が形を結び始める。


 長い。


 途切れている。


 黒蔦が何度も食い破ろうとする。


 銀色は消えそうになりながら、また繋がる。


 ひとりではない。


 ミリアの息が止まった。


 カイは声を失った。


 エリアナの目に、抑えた涙が浮かぶ。


 リゼは、ただ見た。


 見逃さない。


 崩れない。


 その文字を、現実として受け取る。


「“ひとりではない”を確認」


 リゼの声は、低く、少しだけ掠れていた。


「内部者による関係保持表明可能性。アルトさんの本人意思継続可能性。記録してください」


 ミリアが書く。


 ここ。


 ひとりではない。


 銀色表示。


 黒蔦層による消去干渉あり。


 香草反応後に表示強化。


 外部呼びかけ反応あり。


 カイは扉の前に立ったまま、両手を握りしめた。


「アルト……」


 今度は、ただの呼びかけではなかった。


 届いたものを受け取る声だった。


「ひとりじゃない。こっちもいる。俺、いる。リゼも、ミリアも、エリアナもいる」


 ミリアがすぐに言う。


「順番に」


 カイは頷いた。


「うん。順番に言う」


 彼は息を整える。


「アルト。俺はカイ。ここにいる。お前は保管対象じゃない。アルトだ」


 少し間を置く。


 リゼが続ける。


「アルトさん。リゼ・グレイスです。現在、北棟第二保管層扉前。あなたの“ここ”“ひとりではない”を確認しました。あなたの本人意思は継続しています。あなたを鍵にしません。あなたを保管対象として扱いません」


 ミリアが続く。


「ミリア・ファルネーゼです。あなたの状態を記録しています。寒いこと、声が出ないこと、怖い可能性があること。完了という言葉で消しません」


 エリアナが香草袋を持ち上げる。


「エリアナ・ルクス・ヴェルグラントです。これは私の香草袋です。あなたを動かす鍵ではなく、戻るための匂いです。白鐘は、あなたを孤独な音として鳴らすためのものではありません」


 黒い膜が波打つ。


 銀色の文字は、消えそうで消えない。


 ひとりではない。


 その最後の「ない」が、特に強く光っている。


 まるで、アルトがそこだけを指で押さえているようだった。


 クラウスが測定具を確認する。


「黒蔦補助層、部分剥離継続。冷却反応、わずかに低下。ただし、内側の冷却はまだ強い」


 ロウ教師が低く言う。


「効いているなら続けろ。ただし、調子に乗るな」


 リゼは頷く。


「はい」


 オルド・ハイマンは、少し離れて扉を見ていた。


 彼の署名に似た偽署名が、まだ封印札に残っている。


 オルド本人は否認文を出した。


 監察局補助室の枠は弱まり始めている。


 封印管理室からも、生体収容承認なしの返答があった。


 それでも、臨時調整室の黒い枠が扉を閉じている。


 オルドは扉の「ひとりではない」を見て、低く言った。


「保管層内で、自己表明と関係表明を行っている」


 カイが鋭く見る。


「難しく言わないでください」


 オルドは一瞬止まり、言い直した。


「アルトさんは、中で自分を保とうとしています」


 カイは少しだけ頷いた。


「それなら、わかります」


 ミリアがオルドを見る。


「今のように言ってください。分類語を使うと、扉の側の言葉に近づくわ」


 オルドは頷く。


「承知しました」


 リゼは扉に向かって言った。


「アルトさん。オルド・ハイマン上席監察官が、偽署名を否認しました。あなたを閉じ込める署名は本人署名ではありません。封印管理室も、生体収容承認を否認しました。現在、臨時調整室の黒い承認枠が残っています」


 扉の奥で、銀色が細く揺れた。


 リゼは続ける。


「臨時調整室の正式完了記録を、私たちは本人確認として認めていません」


 カイが言う。


「アルトは、紙の上で終わってない」


 ミリアが続ける。


「あなたは、ここにいる」


 エリアナが言う。


「そして、ひとりではない」


 その瞬間、扉の黒膜に新しいひびが入った。


 細い。


 髪の毛ほどの亀裂。


 だが、黒い蔦の一本が、白鐘の文字から剥がれた。


 鐘を鳴らすな。


 その白い文字は壊れていない。


 黒蔦だけが浮き上がる。


 クラウスが息を呑む。


「白鐘層は維持。黒蔦補助層のみ剥離」


 エリアナの手が震える。


「本来の警告が、黒蔦を拒み始めています」


 ロウ教師が言う。


「関係の声が効く、ということか」


 クラウスは頷く。


「可能性が高い。アルト君を孤独な音として扱わせないことで、白鐘層が黒蔦側の解釈から離れている」


 リゼはその言葉を聞いた。


 孤独な音として扱わせない。


 それは、第9章の帰路で自分が言ったことでもある。


 私は、アルトさんを孤独な音にしません。


 今、その言葉は抽象ではない。


 扉の黒蔦を剥がす実際の手順になっている。


 ミリアは記録板を見ながら言った。


「では、声の順番を正式に組みましょう。全員が一斉に話すと黒蔦に吸われる。けれど、一人ずつ関係を示すと反応がある」


 リゼが頷く。


「手順化します」


 ミリアは紙を広げる。


「第一、リゼさん。本人意思と状態確認。第二、カイさん。名前と日常記憶。第三、私。感情と関係確認。第四、エリアナさん。香草と白鐘の本来意味。第五、オルドさん。偽署名否認と分類語撤回。第六、クラウス先生。外部から負荷をかけない確認。最後に全員で“ひとりではない”を短く確認」


 カイが小さく言う。


「全員で言って大丈夫ですか」


 クラウスが考える。


「短く、同時ではなく重ねる程度なら。長い一斉発話は避けましょう」


 ミリアは頷く。


「では、最後は一人ずつ短く言う形で」


 リゼが扉を見る。


「アルトさん。これから声の順番を作ります。目的は扉を無理に開けることではありません。あなたを孤独な音にしないことです」


 銀色が揺れた。


 カイが小さく笑った。


 泣きそうな笑いだった。


「聞いてる気がする」


 ミリアは柔らかく言った。


「反応はあるわ」


 第一回の同期呼びかけが始まった。


 リゼが一歩前へ出る。


「アルトさん。リゼ・グレイスです。状態確認を行います。あなたは“ここ”“さむい”“こえ”“ぼく”“ひとりではない”と伝えました。痛み、熱、冷え、声。答えられなくても、確認を続けます。あなたは王宮保護移送に同意していません。あなたは保管対象ではありません。あなたを鍵にしません」


 扉の銀色が一度揺れる。


 カイが続く。


「アルト。カイだ。歩きそうになったら名前で呼ぶ用、届いたよな。お前、触った。俺はここにいる。また保存食作る。今度は、帰ってきたら食べる用だ」


 扉の奥で、銀色が少し強くなる。


 ミリアが続ける。


「ミリアです。怖いなら怖いままでいい。寒いなら寒いままでいい。声がないなら、声がない状態として記録するわ。あなたを完了済みにしない。あなたが戻る場所を残しているわ」


 エリアナが香草袋を持ち上げる。


「エリアナです。これは私の香草袋です。白鐘は、あなたを消す鐘ではありません。静けさと声を奪うことは違います。あなたは孤独な音ではありません」


 オルドが続く。


「オルド・ハイマンです。私名義の署名は偽りです。私は、あなたを閉じ込める承認をしていません。私は、あなたを分類だけで扱った言葉を撤回します。あなたはアルト・レインフォードさんです」


 クラウスが最後に言う。


「クラウス・ヴァイゼルです。外部から銀環を鳴らしません。あなたの反応に負荷をかけません。黒蔦層のみを確認し、本来の白鐘警告を維持します」


 少し間を置く。


 リゼが短く言う。


「ひとりではありません」


 カイ。


「ひとりじゃない」


 ミリア。


「ひとりではないわ」


 エリアナ。


「孤独な音にはしません」


 オルド。


「一人として扱いません」


 クラウス。


「外部確認を継続します」


 扉の黒膜が大きく震えた。


 正式完了の文字が歪む。


 対象者、到着済。


 外部確認不要。


 その文字の端が崩れ、黒蔦の線が一本、二本と浮き上がる。


 白い「鐘を鳴らすな」は、むしろ少し鮮明になった。


 クラウスが声を上げる。


「剥離進行。冷却反応、低下傾向!」


 カイが思わず拳を上げかけ、下ろした。


「よし……!」


 しかし、次の瞬間、臨時調整室の承認枠が黒く光った。


 扉右側の三系統承認板。


 封印管理室枠は白く明滅。


 監察局補助室枠は弱く揺らいでいる。


 臨時調整室枠だけが、濃い黒を放つ。


 黒い文字が再び扉に浮かぶ。


 外部干渉確認。


 保護継続強化。


 対象反応再安定化。


 同時に、扉の奥で銀色が急激に沈んだ。


 クラウスの測定具が下へ振れる。


「冷却反応、再上昇!」


 リゼが即座に呼びかける。


「アルトさん。冷却上昇を確認しました。反応を強めなくて構いません。無理に返さないでください。あなたの“ここ”と“ひとりではない”は確認済みです」


 ミリアが続ける。


「返事しようとしすぎないで。届いているわ」


 カイが低く言う。


「アルト、無理すんな。でも、俺はここにいる」


 エリアナが香草袋を近づけすぎない距離で止める。


「香草、短くします。あなたに負荷をかけません」


 黒い文字が扉を覆おうとする。


 だが、完全には覆えない。


 さっき生まれた亀裂が残っている。


 その亀裂の奥で、銀色が弱く揺れる。


 リゼは息を整える。


 焦らない。


 急いで開けようとしない。


 アルトを鳴らさない。


 扉へ走らない。


 声の順番を崩さない。


 その時、ユリウスが新たな連絡紙を受け取った。


 管理棟から走ってきた連絡役が、息を切らしながら復唱する。


「王宮より警告文。第二保管層への外部干渉を停止せよ。王宮正式完了記録に反する行為は、保護令違反とみなす」


 北棟前の空気が凍った。


 カイが怒鳴りかける。


 だが、今度も息を吸って抑えた。


「怒っています。でも、伝達文は聞きます」


 ロウ教師が頷く。


「よし」


 ユリウスは警告文を読み取る。


「文書には王宮正式印があります。ただし、臨時調整室の三点印も併記」


 オルドの顔色が変わる。


「正式印と三点印が、並んでいる?」


 ユリウスは頷く。


「はい」


 ミリアが低く言った。


「王宮側の命令文に、三点印が表へ出てきた」


 クラウスが警告文を確認する。


「これは、単なる倉庫内処理ではありません。王宮の正式命令網に三点印が入り込んでいる」


 リゼは扉を見つめた。


 黒い臨時調整室枠が、王宮正式印を背負って強くなっている。


 アルトを閉じ込めている扉の問題は、もうこの北棟だけではない。


 王宮の記録網そのものが、三点印の言葉を正式命令として流し始めている。


 カイが静かに言った。


「友達を助けるのが、違反になるんですか」


 誰もすぐに答えなかった。


 リゼは警告文を見る。


 そして、扉に残る「ひとりではない」を見る。


 黒蔦が消そうとしても、完全には消えない銀色の文字。


 彼女は言った。


「本人意思を確認せずに閉じ込めることを、保護とは認めません。本人の“ここ”と“ひとりではない”を確認した以上、外部確認を停止しません」


 ミリアが記録する。


 外部確認継続。


 王宮警告文受領。


 正式印・三点印併記。


 カイが扉へ向かって言う。


「アルト。警告来た。でも、俺たちやめない」


 ミリアが続ける。


「声は切らさないわ」


 エリアナが言う。


「白鐘は、あなたを消す命令に従うものではありません」


 オルドが警告文を見つめ、低く言った。


「正式完了記録は、現実を示していません」


 リゼはその言葉を受けて、扉へ向けた。


「アルトさん。あなたは記録の中ではなく、ここにいます」


 扉の奥で、銀色が弱く、しかし確かに揺れた。


 その揺れは、返事のようだった。


 そして、黒膜の亀裂の中から、もう一度、同じ文字が浮いた。


 ここ。


 今度は短く、強く。


 リゼはそれを見て、深く頷いた。


「確認しました。あなたは、ここにいます」


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