第8章 第15話:削られた受領印
削られた印は、声を出さない。
ただ紙の上で、読めないまま残っている。
王都封印管理室の受領印写し。
灰色封箱が王都南門管理口から封印管理室へ移された時に押されたはずの印。
その印の中央部分が、不自然に薄い。
古い紙だから擦れたのではない。
湿気でにじんだのでもない。
誰かが、必要な線だけを削ったように見える。
アルト・レインフォードは、机の上の拡大写しを見ながら左手首に触れた。
痛みはない。
熱は少し。
声もない。
けれど、受領印の削れた部分を見ていると、胸の奥がざらついた。
「痛みなし。熱少し。声なし。現在地、学園長室」
アルトが小さく言うと、隣のリゼ・グレイスが頷いた。
「確認しました」
リゼの声は静かだった。
前回、灰色封箱の受領前外装確認補助欄に残された「灰銀一七」の印が確認された。
それは彼女の戦時識別符号だった。
その事実は消えない。
だが、その印が示す範囲も、前回は確認された。
外装確認補助。
箱が護送中に外装上無事だったことの参考情報。
中身の保全や、到着後の所在や、正式目録登録を保証するものではない。
今日は、その先を見る。
灰色封箱が王都南門管理口を出た後、封印管理室へ仮置きされた時の受領印。
そこに削られた痕がある。
もし、その受領印が意図的に削られているなら、箱が見えなくなった場所は、リゼの確認印の先にある。
学園長室には、いつもの面々が揃っていた。
学園長は机の奥に座り、ユリウス・エインズワースとエレオノーラ・ヴィンスフェルトが記録を担当する。
クラウス・ヴァイゼルは、王宮封印管理室の古い印影台帳を持参していた。
ロウ教師は窓際に立っている。
ミリア・ファルネーゼは、エリアナ・ルクス・ヴェルグラントの斜め横に座っていた。
カイ・ロックハートは後方の補助席にいる。
今日はオルド・ハイマンはいない。
王宮監察局補助室からの面談ではなく、学園側の内部確認だからだ。
それでも、机の上には彼が置いていった写しがある。
王宮から来た紙。
王宮の中で削られたかもしれない印。
エリアナはその写しを見ていた。
淡い亜麻色の髪は整っている。
しかし、薄紫の瞳は暗い。
怒りを隠していない。
けれど、怒りだけで線を引こうともしていない。
ミリアが静かに尋ねた。
「状態は」
エリアナは一度、息を吸った。
「身体異常なし。感情、怒り。疲労。削られた印を見ることへの嫌悪があります」
エレオノーラが記録する。
ミリアは頷く。
「続けられる?」
「はい。続けたいです」
リゼも自分から言った。
「身体異常なし。感情、重い。私の確認印の先にある記録を確認します。継続可能です」
アルトも言う。
「痛みなし。熱少し。声なし。聞けます」
学園長が頷いた。
「始める。今日の目的は、受領印の削損可能性を確認し、責任範囲を整理することだ。犯人を決める日ではない」
ロウ教師が続ける。
「疑いを疑いとして扱え。怒りを消すな。だが、空白に人名を入れるな」
カイが小さく頷いた。
「空白に人名を入れない」
エレオノーラが確認範囲を読み上げる。
「本日の確認対象。王都南門管理口後の灰色封箱受領印写し、封印管理室臨時受領符号、王宮文書院整理印との照合、監察局補助室照会印との時系列比較。注意事項。リゼさんの外装確認補助印を、個人手帳類三点消失の判決としない。受領印削損を、特定個人の犯行として断定しない。エリアナさんの母の手帳との関連は可能性として扱う」
全員が頷いた。
クラウスが最初の写しを中央へ置いた。
「これが、王都封印管理室の臨時受領印写しだ。前回オルド・ハイマン上席監察官が持参し、学園長室内限定閲覧資料として一時保管している」
写しには、薄い四角い印があった。
外枠は残っている。
上部の「王都封印管理室」の文字も、かろうじて読める。
しかし、中央下部にあるはずの受領担当符号が削れていた。
アルトには、そこだけ紙が呼吸を失っているように見えた。
クラウスは細い指示棒で印の端を示す。
「自然摩耗なら、外枠や周辺文字にも同程度の劣化があるはずだ。だが、ここは中央下部だけが削れている。紙繊維の方向から見ても、後から擦った可能性が高い」
エレオノーラが記録する。
「受領担当符号部分に意図的削損の可能性高。自然摩耗とは判断しにくい」
エリアナが低く言った。
「また、名前ですか」
クラウスは頷く。
「おそらく、担当者を示す符号だ。氏名そのものではなく、受領班や担当番号の可能性もある」
ミリアがすぐに整理する。
「つまり、削られたのは“誰が受け取ったか”を示す部分かもしれない」
「そうだ」
リゼは資料を見る。
「私の印は残っています」
その声は静かだ。
「王都南門管理口で外装確認補助をした私の識別符号は残っている。ですが、その後に受け取った側の符号が削られている可能性があります」
エリアナがリゼを見る。
リゼは続けた。
「この場合、個人記録類小型封箱が所在未確認になった経緯は、私の確認印だけでは説明できません」
クラウスが頷く。
「その通りだ」
アルトは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
リゼの責任が消えたわけではない。
彼女が運んだ事実も、確認した事実も残る。
だが、全部を彼女に載せることはできない。
リゼの印は、判決ではない。
今日、紙そのものがそれを示し始めている。
エリアナはしばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「安心したくありません」
全員が彼女を見る。
エリアナはリゼを見ていなかった。
机の上の削られた印を見ている。
「リゼさん一人の責任ではないとわかることに、安心したくありません。誰かの手帳が消えた可能性は残っています。受け取った誰かが見えなくなっただけです」
ミリアが頷く。
「ええ」
「でも」
エリアナは一度目を閉じた。
「リゼさんだけに怒りを向けることも、できません」
リゼの瞳が揺れる。
エリアナは顔を上げた。
「あなたの印は、残っています。受け取った側の印は、削られています。その違いを、私は見ます」
リゼは深く頷いた。
「はい」
「あなたが運んだことは消えません」
「はい」
「でも、受け取った側が見えないことも、消しません」
「はい」
エレオノーラが記録する。
カイが後方で小さく言った。
「怒りの向きが変わるって、こういうことか」
ロウ教師が頷く。
「向きが変わるというより、増える。単純な矢印ではなくなる」
カイは眉を寄せる。
「単純じゃない方がしんどいですね」
「そうだ。だが、単純にすると誰かを潰す」
カイは真剣に頷いた。
「はい」
クラウスは次の資料を出した。
「ここで、印影台帳と照合する」
古い台帳の写しが机に広げられる。
封印管理室臨時受領符号一覧。
戦後一年目から五年目までの暫定符号。
その中に、削られた印の外枠と似たものがいくつかあった。
クラウスは三つの候補に印をつける。
「候補は三つ。封印管理室臨時保管班、文書院移管前整理班、監察局照会預かり班」
生徒会室ではなく学園長室であることを忘れるほど、空気が静まった。
監察局照会預かり班。
また、監察局。
エリアナの指が硬くなる。
アルトの左手首も熱を持つ。
「痛みなし。熱中より弱い。声なし。“監察局”で反応しました」
リゼが確認する。
「継続可能ですか」
「はい」
ミリアがエリアナへ声をかける。
「状態は」
「身体異常なし。怒り。警戒。王宮全部を同じ箱に入れそうになっています」
「言えたわ」
「はい」
ロウ教師が低く言った。
「候補を候補として扱え」
クラウスも頷く。
「監察局照会預かり班は候補の一つだ。削られた印がそれだとはまだ言えない。さらに、監察局照会預かり班が受け取ったとしても、そこで消えたとは限らない」
ユリウスが時系列表を机へ置いた。
「時系列を確認する。灰色封箱、王都南門管理口到着。リゼの外装確認補助印。封印管理室臨時受領。ここまでは記録あり。その後、正式目録登録が確認されているのは四箱。個人記録類小型封箱のみ正式目録未確認。旧閲覧台帳には、封印管理室臨時閲覧印、王宮文書院整理印、監察局補助室照会印。閲覧者名欄に削損あり」
エレオノーラが補足する。
「今日の受領印削損は、封印管理室臨時受領段階または直後の担当符号に関わる可能性」
ミリアが言う。
「つまり、削られている場所が二つある」
クラウスが頷く。
「受領段階の符号と、後の閲覧者名欄。二か所だ」
カイが低く言う。
「偶然で二か所削れるか?」
ロウ教師が見る。
カイはすぐ言い直す。
「偶然とは考えにくい可能性がある、です」
「よし」
クラウスは苦い顔で言った。
「私も、偶然とは考えにくいと思う。ただし、誰が削ったかはまだ不明だ」
エリアナが静かに言った。
「二度、消されています」
ミリアが確認する。
「“消されています”と断定する?」
エリアナは少し考えた。
「削られている可能性が二か所あります」
「それなら記録できるわ」
エレオノーラが記録する。
エリアナは続ける。
「でも、私の感情としては、二度消されたように感じます」
ミリアが頷く。
「それも記録しましょう」
エレオノーラのペンが走った。
「エリアナさん、受領印および閲覧印の削損可能性について、感情として“二度消されたように感じる”と発言」
アルトはその記録を聞いて、少し胸が痛くなった。
二度消されたように感じる。
でも、記録上は削損可能性二か所。
感情と記録を分ける。
分けることは、冷たくすることではない。
エリアナの痛みを薄くすることでもない。
むしろ、痛みを違う言葉で上書きしないための手順だった。
リゼが資料を見つめていた。
アルトは小さく声をかける。
「リゼさん」
「はい」
「状態は」
「身体異常なし。感情、重い。私の印だけが残っていることへの圧迫感あり。ですが、受領印削損により、責任範囲を再確認できています」
ミリアが頷く。
「良好よ」
リゼは続けた。
「私の印が残っているため、私の関与は追跡可能です。受領側の印が削られているため、受領側の関与は追跡困難になっています」
クラウスが頷く。
「その整理は正しい」
リゼは一度、エリアナを見る。
「私は、自分の印が残っていることを消しません」
「はい」
「ですが、削られた印の確認を求めます」
「はい」
「私だけで終わらせないためではなく、箱の道を正しく追うために」
エリアナは少しだけ息を吐いた。
「はい」
学園長が腕を組む。
「次に王宮へ求めるものは明確だな」
ユリウスが頷く。
「受領印原本の提示。高精度写しの追加。封印管理室臨時受領班、文書院移管前整理班、監察局照会預かり班の該当日担当記録。個人記録類小型封箱の仮置き棚番号。正式目録登録漏れの理由」
エレオノーラが記録する。
クラウスが加える。
「削損前の写しが存在するか。台帳複本。受領日の日報。棚卸し記録」
ミリアが言う。
「そして、本人関係者への共有範囲。王宮側がまた“複写制限”を理由に見せない部分を作らないよう、伏せる場合は理由と範囲を明記」
ユリウスが頷く。
「入れる」
エリアナが静かに問う。
「王宮は出しますか」
学園長が答えた。
「出し渋るだろう」
正直な答えだった。
「だが、こちらには削損可能性のある写しがある。灰銀一七の印も、受領印も、王宮側が持ち込んだ資料だ。見えない部分だけを都合よく隠すことは許さない」
エリアナの瞳が少しだけ揺れた。
「許さない」
「そうだ」
学園長は頷く。
「ただし、怒鳴る必要はない。手順で詰める」
カイが小声で言う。
「手順で詰める、怖いな」
ロウ教師が言う。
「剣より効くこともある」
リゼが真面目に頷いた。
「確認しました」
カイが少し笑う。
「リゼ、そこ確認するんだ」
「はい。手順は重要です」
その小さなやり取りで、少しだけ空気が緩んだ。
だが、机の上の受領印は重いままだ。
クラウスは最後の資料を出した。
「もう一つ、気になることがある」
全員の視線が向く。
「受領印の削損部分だが、完全に消されているわけではない。下に、わずかな線が残っている」
彼は拡大写しをさらに一段大きくしたものを置く。
削られた部分の下に、細い曲線と、斜めの線。
「これは、受領班符号の一部かもしれない。ただ、王宮封印管理室の一般符号とは少し形が違う」
ユリウスが眉を寄せる。
「では?」
クラウスは少しだけ声を低くした。
「臨時受領印の上に、別の受領印が重ねられていた可能性がある」
室内が静まる。
アルトの左手首が熱を持つ。
痛みなし。
声なし。
リゼが言う。
「上書き」
「そうだ」
クラウスは頷く。
「最初の受領印を押し、その後に別部署の預かり印を重ねた。後からその重なった部分だけを削った可能性がある」
ミリアが整理する。
「つまり、箱は封印管理室で受領された後、すぐに別部署の預かり扱いになった可能性がある」
「ある」
クラウスの声は重い。
「それが文書院か、監察局か、別の封印関連部署かはまだわからない」
エリアナが小さく言った。
「だから、正式目録に入っていない」
クラウスは頷く。
「仮受領のまま別部署預かりになれば、正式目録登録が遅れる、または抜けることがある。もちろん、本来は記録されるべきだ」
カイが低く言う。
「本来は、ばっかりだな」
ロウ教師が答える。
「本来は、を積み上げて崩れた場所を見るんだ」
カイは少し唇を噛んで頷いた。
「はい」
エレオノーラが記録する。
「受領印に重ね押しの可能性。封印管理室仮受領後、別部署預かりとなった可能性。正式目録未登録との関連要確認」
リゼはゆっくり息を吸った。
「私の護送後、箱は王都に入り、封印管理室で仮受領され、その後、別部署預かりになった可能性があります」
クラウスが頷く。
「そうだ」
「その場合、個人記録類小型封箱の所在未確認は、護送中ではなく、王都内処理で発生した可能性が高まります」
「高まる。ただし、断定はまだしない」
「はい」
エリアナはリゼを見た。
怒りはまだある。
しかし、怒りの位置が変わっていた。
リゼだけに向けるものではない。
王都の中。
封印管理室。
文書院。
監察局。
別部署預かり。
複数の棚。
複数の手。
そして、削られた印。
「リゼさん」
エリアナが静かに呼んだ。
「はい」
「あなたの印は、残っています」
「はい」
「削られた印は、別にあります」
「はい」
「私は、あなたの印だけで終わらせません」
リゼの瞳が揺れた。
「ありがとうございます」
「感謝されることではありません」
エリアナはいつものように言った。
そして、少しだけ続ける。
「でも、受け取ってください」
リゼは頷いた。
「はい。受け取ります」
学園長が資料を閉じた。
「今日の確認はここまでだ」
アルトは少しだけ息を吐いた。
左手首の熱はまだある。
でも、痛みはない。
声もない。
クラウスが資料をまとめながら言う。
「この受領印を追うには、王宮内の資料だけでは足りない可能性がある」
ユリウスが顔を上げる。
「どういう意味ですか」
「灰色封箱の元になった接収物の現地記録、つまり北西街道側の臨時保護集積所記録と照合する必要がある。箱の外装、二重封帯、角の擦れ、封紙の状態。それらは現地側の搬出記録に残っている可能性がある」
リゼの表情が硬くなる。
エリアナも。
アルトの左手首が熱を持つ。
北西街道。
鳴らさぬ谷。
灰銀突破点。
まだ正式にはその名を口にしていないが、戦場へ戻る道が近づいているのがわかる。
学園長は静かに言った。
「現地確認か」
クラウスは頷く。
「王宮資料の中だけでは、削られた部分を王宮の言葉でしか追えない。現地側の記録、遺構、旧白鐘関連施設の残存物を確認すれば、箱の元情報や接収時の状態を照合できるかもしれない」
ロウ教師が窓の外を見る。
「戦場へ戻る道だな」
その言葉に、リゼの呼吸が一瞬止まった。
アルトがすぐに言う。
「リゼさん」
「はい」
「現在地」
「王立学園、学園長室」
「名前」
「リゼ・グレイス」
「今は」
「王立学園の生徒です。現地確認の可能性を聞いています」
リゼは自分で続きを言った。
「一人では行いません」
エリアナも静かに言った。
「私も、一人で決められたくありません」
アルトは左手首に触れる。
「僕の銀環を道具にしないでください。でも、僕の声を外さないでください」
学園長は三人を見た。
「現地確認については、次回整理する。王宮主導では行わない。学園主導で、安全計画を立てる。今日はそこまでだ」
三人はそれぞれ頷いた。
「はい」
資料が封じられる。
受領印の写しは、学園長室内限定保管箱へ戻された。
鍵が閉まる音がした。
勝手に開けない。
でも、開けないままにはしない。
その音に、アルトは胸の中でそう繰り返した。
学園長室を出ると、廊下には夕方の淡い光が伸びていた。
窓の外で青い布が揺れている。
鐘は鳴らない。
でも、遠くから生徒たちの声が届く。
カイが布包みを取り出した。
ミリアが尋ねる。
「名前は?」
カイは今日、少しだけ悩んだ。
リゼの印。
削られた受領印。
エリアナの怒り。
現地確認。
いろいろな言葉がある。
やがて、彼は言った。
「残った印と削られた印を間違えない用」
リゼが静かに頷いた。
「適切です」
エリアナも頷く。
「はい。今日は、それがよいです」
アルトも言った。
「僕も、そう思います」
カイは少しほっとして布包みを開いた。
小さな焼き菓子と、香草パンの欠け。
アルトは成分を読み上げる。
「焼き菓子は小麦、卵、乳、林檎、杏。香草パンは小麦、卵、乳、蜂蜜、香草候補二、香草候補三。蜂蜜減量版です」
エリアナが頷く。
「確認しました」
廊下の窓辺で、五人は少しずつ食べた。
香草パンは硬くなっている。
けれど、噛めばまだ香りが戻る。
甘さは弱く、苦味が強い。
エリアナは欠けを口に入れ、ゆっくり噛んだ。
「苦いです」
カイが少し慌てる。
「すみません」
「いいえ」
エリアナは首を横に振った。
「今日は、これくらい苦くてよいです」
ミリアが静かに微笑んだ。
リゼは窓の外を見ていた。
夕方の光が、灰銀の髪に触れている。
「私の印は残っていました」
リゼは言った。
「はい」
アルトが答える。
「受け取った側の印は、削られていました」
エリアナが続ける。
「はい」
「その違いを、記録します」
ミリアが頷く。
「ええ」
カイが言う。
「残ってる印を見たら、そっちだけ見たくなるけど、削られた方も見る」
リゼは頷いた。
「はい」
エリアナも言った。
「削られた方を見るのは、怖いです」
「はい」
リゼが静かに答えた。
「ですが、見ます。一人では、見ません」
アルトは左手首に触れた。
痛みなし。
熱少し。
声なし。
削られた受領印は、まだ完全には読めない。
だが、削られていることはもう見つけた。
灰銀一七の印は残っている。
それも見つけた。
残ったものと削られたもの。
どちらかだけでは、道は見えない。
王都の紙の上で途切れた道は、やがて北西街道へ戻る。
鳴らさぬ谷へ。
白鐘北礼拝堂跡へ。
灰銀突破点と呼ばれた場所へ。
アルトは、その名前をまだ知らないまま、左手首の奥で遠い震えを感じた。
痛みはない。
声もない。
けれど、鐘の鳴らない場所から、まだ届いていない何かがこちらを見ている気がした。




