#12 私の痛みとあなたのその優しさ
——————私の、姫路真恋の目はすっかり曇っているのかもしれない。でもいいか。
薄暗いゲーセンの2階、1階のプライズとプリクラの喧騒が少しだけ聞こえてくるから、この世界に私たちだけじゃないと分かるくらいには近くて、二人の声と、ボタンを叩く音だけがひびく空間。
1階で目があった瞬間、私にだけ分かるように、手をひらりとさせた従姉妹には感謝しなければ。少し、いやだいぶ恥ずかしいとこを見られたような気はするけれど。…いろいろ見透かされていそうだ。
というか今日のこの人は、少し隙まみれすぎやしないだろうか。急に私の目線に合わせてしゃがんでくるし、ときどきボタンのタイミングなんかを、横から手を伸ばして教えてくれる。……いや全部私が頼んだり、先にやったりしてたことだけどさ。
「……そういえば、なんか今日はいつにも増して服装がラフじゃないですか?」
そう言うと、少し気恥ずかしそうにしながら言い訳をしてくれた。
「一昨日、雨降ったろ?その日のバイト行くのにいつものシャツジャケット着たら濡れちゃったんだよ」
「ああ、それでいつもより薄いシャツなんですね、心なしか下のTシャツも薄いというかダボってしてます?」
「これは…家出るのちょっと遅れそうになって引っつかんだら、中一の時から使ってたやつだったんだよ……下に着るからまあ、いいかって…」
おお、珍しい表情だ、恥ずかしがりながら首元に生地を寄せる仕草を見ていると、もうちょっとイジメたくなるが、まだそこまで閾値がわかっているわけではないので我慢だ。私は我慢が出来る女。
……なんか今日の私、ずっとバカじゃないか?
――――――――才人のスマホには真恋の使用キャラの指南動画が映っている。
スマホでコンボや連係を調べながら、姫路に格ゲーを教えていく。
相手が何を分からないのか、どう伝えたらいいのか考えながら噛み砕いて喋るのは思ったより何倍も難しくて、世にある指南動画や俺に教えてくれた人の凄さを思い知る。
でもこれ、かなり自分にとってもいいな。なんとなくで覚えていた部分や、間違っていた知識が治るぞ。
「この詐欺飛びって、何なんです?」
「前見た動画の、安全飛びってやつと一緒だな。あー、えーと、原理で言うとだな、相手の起き上がりにジャンプ攻撃を低めで重ねることで、相手が無敵判定技打ってたら、こっちの低空攻撃はスカって着地するし、ガードしてたら低空攻撃ガードから有利時間が取れる」
ちょっと専門用語多めになったか…?塩梅が分かんねえ…
「なるほど。起き上がってる最中などの無敵判定の時には、食らい判定が無くなるのを利用してガードを強要するんですね」
「お!そうそう。そういうこと」
流石に俺より格段に頭がいいな。慣れてない指の動きは苦手らしくて、棒立ちになったりしているが、知識の必要な面での理解はめちゃくちゃ早い。
「なる、ほど。原理は分かりました。出来はしませんが。」
「あっはは…動作の終わり際を当てる都合上、有利時間はかなり長くいるし、長すぎてもスカっちゃうから、専用のレシピ…流れでやる感じだな」
口をキュッと締めながら、カチャカチャと真面目に練習する様子を見てると、こういう奴だから勉強もできるし、歩くのだって少し意識すれば人を追い抜きながら歩けるくらいに速いんだなと分かる。
「……うん。普通に才能あるよ、姫路は。」
今はまだ全然弱いけど、この飲み込みの早さとこの夏から始めた初心者だという事実があれば、すぐに上手くなると確信できる。
「教えてる人がいいからだよ。私、初心者向け解説動画とか見ても、全く意味わかんなかったですもん」
「俺は…才能がないからな。普通の人がすぐに終わらせてることをいつまでも考えて、何回もやって、やっと多少できるようになってるんだ」
だから、できない人間のことも分かるんだろう。初心者配信者が大量のコメントに教えられて、すぐに出来るようになるのを見て、視聴をやめたりしたことも何回もある。才能がある人が俺より説明うまくて、きっとランクも高い人から教わるんだから。
だから、姫路の悩んでいることを俺が、考えて教えないといけないこの状況はきっと。
「もうちょっと基礎ができてきたら、俺じゃなくて動画とか、なんだったら俺より上手くて説明上手い人はいっぱいいるし、そっちから教わったほうがいいよ。すぐに上手くなる。」
姫路は何も言わずにしっかりと最後まで言葉を聞いてくれた。
怒られるかと思ったけど、その顔はどこか優しさを感じさせるほどに凛として、俺を真っ直ぐと見ていた。
「いやです。私にどんなに格ゲーの才能が眠っていたとしても、進藤くん以外に教わる気は一切ありません」
「でも俺は」
「今は分かります。あなたが特別このゲームが上手くないことも、人に教えるのが本当に初めてなことも」
何も言えない。ただの事実だ。
「でも、だからこそいいのです。だからあのとき私は本気で戦って、本気で楽しんで、進藤くんに勝って、この関係を始められた。そうでなきゃ格ゲーは続けていません」
終業式の日のあの11本は、そうだ。俺が上手かったら確かに全く別のことになっていただろう。……ただの一期一会で終わってしまっていたのだろうか。
それは……いやだな。
「だから私に教えるのは、あなたでいいのです。進藤才人でなくては、ならないのです。」
――――――――真恋はゆっくりと顔をモニターから上げる。
向き直って彼に伝える。代わりは存在し得ないのだと。そして、私はあなたのことが……
「はー…アレを出されると弱いな。確かにあの日が別物になるのは俺だってイヤだ。」
そういってしゃがんで、うなだれる。椅子に座った私よりも低い姿勢になって、そのときに少しダボついた彼のTシャツから鎖骨が覗いて、私の良くない部分がつい、男性の肌に向けられて。奥まで事故で見えちゃったらシカタナイヨネ!
……気がついたら、全く別の、それに目が吸い寄せられてしまっていた。
普通の人間にあるはずのない、赤い痛ましい痕。
(痛そうで、可哀想だな)
気づいた瞬間にハッとする。
何を、違う。
何が。
「……その傷って、その。」
「ん?あああ!すまん汚いもん見せた!これだから首元緩いの嫌なんだよ」
「もしかして、機械入れる手術の傷……?」
「あ、ああそうだよ。別にもうきっちり塞がって見た目だけ、痛みもないから気にするなよ」
そこはいい、いいというか良かった。赤くミミズ腫れのようになった傷跡、確かケロイドだったっけ。鎖骨の下にあるアレが、もう痛まないのであれば喜ぶべきだ。
だけど、今の私の感情はなんだ。
これは私が一番嫌いな、周りからそう見られるのを嫌がって逃げて、居場所を名前も知らなかった男の子に求めることになったものではないのか。
(私は彼に、どんなものを向けた?)
私は今、
勝手な同情をした?
進藤くんに詳しく経緯を聞いてから、心室細動についても、植え込み型除細動器についても、……彼の語った状況、経過時間での生存確率も、五体満足である確率も全部調べた。だから手術痕についても知っていただろう。なのに、なのに、なのに。
なのに、私は彼に同情をした。憐れんだ。憐憫を向けた。
自分を形作っていたものが、足元から崩れる感覚がする。1本の足では、きっと立っていられなかった。座っていて良かった。
「……どうした?スマンなほんとに、汚いもん見せて……」
「ちがっ、違うの……そうじゃなくって……」
同情を【していた】
いつからとか、もう分からない。ずっとあった高鳴りも何もかもが最初からこの感情のせいだったと、半ば確信めいた物が現れた。
そりゃあ話しやすいはずです。下に見ていたのならば。同情して、付き合ってあげていたのですから。
ああ、最近特に浮かれていた私の頭はとっくに冷え切って、少し前の私の願いが叶ったのだと、突きつけてきた。
吐き気がする。胃の奥から込み上げるように嫌悪感が襲ってくる。私は、姫路真恋という存在は、どこまで愚かで、どこまで残酷なのか。
「取り乱してすいません…進藤くんの傷が汚いなんてことは、ありえません。むしろ誇るべきものでしょう」
「いや、そんな上等なもんでもないが…」
「汚いのは、私です。」
私が、最低なんです。
……その後のことはあまり覚えていない。できるだけ悟らせないように必死に、丁寧に教えてくれる彼の言葉だけを追っていた。
「今日はありがとうございました。今日教えてもらったことは、忘れないうちにノートに残しておこうと思います」
「お、おお。役に立てたなら良かったが…大丈夫か?明らかに様子がおかしいぞ。やっぱり傷見たのが悪かったんじゃないか?腫れてるからグロかったろ?」
「それは大丈夫です。お話を聞いてから少し調べましたし、親が医療関係者でして人よりは慣れていますから」
冷静に、感情を出さないように。怪しまれるだろうが、あの感情が出てしまうよりはよほどいい。
「そうなのか、まあなんかあったら、言えよ」
俺がなんかして済むことがあればだけど。なんて言って笑ってくれる彼の優しさが恐ろしいまでに痛く、突き刺さる。
「本当に大丈夫ですよ……全部、私の問題ですから。」
目の前のお人好しはきっと話せばそんなことと笑ってくれるだろう。
だけど、
もう、そんな話では、
私の頭は、かんじょうは、済まなくなってしまっている。
「それでは、また。」
「ああ、また連絡するわ」
「ええ、少し予定があったのを思い出しましたので、都合がつけばまたよろしくお願いします。」
改札に消えて行く彼を見送ったあとにタクシーを呼び、帰る。
幾度も感情が決壊しそうになってしまったが、ここで泣かれては運転手さんにも悪いだろう、などとこの後に及んで常識に縛られている自分に、何故か腹が立って。
「お母さん達が今日も遅くて良かった。絶対にみっともないところ見せちゃってたや。」
家についてスマホを確認する。
お人好しの彼が謝罪や、次の予定をかなり送ってくれている。
そんなメッセに温かくなろうとする心を、最低な私が冷たく遮る。そんな資格はもはや――いや、最初から無かったのだと、思い知らされる。
《今日はすまん》
《いえ、全てこちらのことです、進藤くんは本当に何も悪くないんです。》
《そうは言ってもだな…》
《あと、本当に私事で申し訳ないんですけど、都合がつく日が遠くなりそうです。》
《……おう。もうすぐよさこいも始まるし、あそこらへんひどく混むからなあ》
《そうですね、また予定が落ち着いたら、連絡します。》
《……今日、楽しかったか?》
《もちろん。すごく楽しかったです。》
もちろん、楽しかった。楽しすぎて舞い上がって、浮かれてしまっていた。
私は、障害を盾に使うくせに同情を嫌い、そのうえ人には同情をぶつける、最低で浅ましい人間だということを、忘れてしまっていた。
さようなら、勘違いの恋心。さようなら、心からの友達。
おかえり、誰でもない、ただ片足が動かないだけの、独りの私。
始まったばかりだった夏が、音もなく止まっていく。




