辛い過去
ホテルの豪華な朝食とも、しばらくはお別れだ。ビュッフェ形式で本当に美味しかった。
さぁ、出発だ。
次はここから街道沿いを南東に進み、港町『ルナポート』を目指す。およそ十日の道のりだ。
「いやぁ、いい街だったな。苦い思い出もできたけど……」
「僕は満喫できたよ。料理も酒も本当に美味しかった」
トーマスは満面の笑みだ。
「私もカジノ楽しかったー! 次はルナポート名物のボートレースだよ! 今から楽しみ!」
エミリーはカジノで少し取り返したらしく、ここでは珍しく大負けはしなかったようだ。そのおかげか、足取りも軽い。
街道沿いでは、時折馬や鹿の魔物に出くわした。その度にトーマスに解体の方法を教わる。レトルコメルスで買ったばかりの解体用ナイフが、少しずつ手に馴染んできた。
日も暮れ始めた頃、野営の準備に取り掛かる。
「トーマスは、野営や料理の技術は誰に教わったんだ?」
ふと、疑問に思ったことを口にした。
「うん、前にノースライン出身だって言ったけど、正確に言えば、ノースラインが管轄する山岳地帯の出身なんだ。標高が高くて、冬は雪で集落が孤立するからね。雪が降る前に狩りをして、冬支度をするのが当たり前の生活だったんだよ」
火に薪を焚べながら、トーマスは穏やかに語る。
「なるほどな、生活の一部だったのか」
「そう。野営や狩り、解体は父さんに、料理と肉の加工なんかは母さんから教わった。兄妹の中でも一番上だったから、毎日忙しかったけど、充実してたかな」
トーマスがこれほど頼りになる理由が、すとんと腹に落ちた。
「家族は、山に残して旅に出たのか?」
トーマスは少しだけ遠い目をして、穏やかに答えた。
「いや、家族はもう全員いないんだ。家族だけじゃない、僕は民族の生き残りなんだよ」
「え……?」
「僕が一人でノースラインの街に下りている時に、突然火山が噴火したんだ。千年以上も噴火していなかった山で、その兆候すら全くなかったのにね。粘度の低い溶岩が、一瞬で村を飲み込んだ。僕が戻った時には、故郷はもう固まった溶岩の下だった。家族の遺品も、思い出の品も、何一つ残ってない。……それが、六年程前の話かな。この赤茶色の髪も、もう多分僕だけなんだ。僕らの民族特有の色だからね」
「そうだったのか……ごめん。辛い事を思い出させたな……」
「いやいや、自然が相手だったからさ。誰かを恨むこともできない。今はもう受け入れて、家族から受け継いだこの技術で生きていくって決めたんだ。だから狩猟者になった」
「……やっぱりトーマスは強いな。オレも、その技術に感謝して学ばせてもらうよ」
いつからそこにいたのか、エミリーが近くの岩に腰掛けて、じっとオレ達の話を聞いていた。
「みんな、辛い過去の上で生きてるんだね。……だから、仲間三人で助け合って行こうよ」
「……うん。ありがとう、エミリー」
エミリーの言葉に、トーマスは笑顔で小さく頷いた。
焚き火の炎がパチパチと音を立て、三人の間に沈黙が流れる。
トーマスの過去はあまりにも重い。それを乗り越えて前に進もうとする彼の強さに、オレは胸を打たれていた。そして、恥ずかしくなった。いつまでも過去を引きずっている自分が。
「……オレも、母さんを亡くしてる」
ぽつりと漏れた言葉に、二人がこちらを向くのが気配で分かった。
「時々夢に見るんだ。母さんが死んだ日のことを……。あれは、オレが五歳の時だった。本当は悪夢なんかじゃなく、あの日は、オレにとって幸せな一日になるはずだったんだ」
オレは、今まで誰にも話したことのない、心の奥底にしまい込んでいた記憶の蓋をゆっくりと開けた。
「あの日は、家族三人でハイキングに行く約束をしてたんだ。ギルドの依頼で忙しい父さんにずっとお願いして、やっと空けてもらった一日だった。楽しみすぎて前の晩は眠れなかったくらいだ」
焚き火の揺らめきの中に、あの日の光景が鮮やかに蘇る。
「家から少し離れた山に向かって、三人で手を繋いで歩いた。父さんと母さんの間にオレ。それだけで、もう楽しくて仕方がなかったんだ。山の中腹の開けた場所で、母さんが作ってくれたお弁当を食べた。外でみんなで笑いながら食べるご飯って、あんなに美味しいんだなって、今でも覚えてる」
そこまで話して、一度言葉を切る。トーマスもエミリーも、ただ黙ってオレの話に耳を傾けてくれていた。
「弁当を食べた後、母さんと二人で川遊びをしたんだ。小さい魚やカニを捕まえて母さんに見せたら、すごく優しく微笑んでくれて……でも、腹がいっぱいになったオレは眠くなって。母さんは『お腹いっぱいになったもんね。寝たらいいよ』って、頭を撫でてくれた。それが……母さんの温もりに触れた、最後の記憶だ」
声が震えるのを止められない。
「……次に目を覚ましたのは、母さんの悲鳴だった。何が起きたのか分からなかった。気が付いたら、父さんが傷だらけの腕で俺を抱きしめて泣いてて……すぐ側に、母さんが倒れてた」
オレは膝の上で固く握りしめた拳を見つめた。
「父さんは、母さんが魔物に襲われたオレを庇って死んだんだって言った。オレは……自分のせいだと思った。ハイキングに行きたいなんて言わなければ。あの時、昼寝なんてしなければ……母さんは死ななかったんじゃないかって……」
溢れそうになる涙を堪え、顔を上げる。二人は、ただ静かにオレの目を見てくれていた。その優しい眼差しに、今まで張り詰めていた何かが、ふっと緩むのを感じた。
「……ごめん、暗い話しちまって」
「ううん」とエミリーが首を振る。
「話してくれてありがとう。ユーゴが抱えてたもの、少しだけ分かった気がするよ」
トーマスも静かに頷いた。
「僕たちは仲間だ。一人で背負う必要はないんだよ」
そうだ、オレはもう一人じゃない。
心の奥にあった重たい澱が、少しだけ軽くなった気がした。
「……ありがとう、二人とも」
その夜以降、もう悪夢を見ることはなかった。




