14話そもそも無理でした。
――――翌日、学校。
昼休み。
イクトの机の上には、授業ではまず使わないノートPCが広げられていた。
画面に表示されているのは日本地図。
高速道路、一般道、渋滞予測、サービスエリア、道の駅、ガソリンスタンド、入浴施設、飲食店――ありとあらゆる情報が、次々と別タブで開かれていく。
「ここは朝混む……こっちは夕方ダメ。だったら一本裏へ逃がして……」
カタカタカタカタカタ。
「トイレ休憩できそうなのはここ。こっちは駐車場広い。給油はここで入れれば次まで余裕……。せっかくだからチェーン店じゃなくて、地元民しか知らなそうな店も……」
さらにカタカタカタカタ。
目的地周辺の駐車場。
そこから入口までの徒歩経路。
道路が混雑した場合の迂回路。
事故通行止めになった場合の第二、第三候補。
雨天時。
満車時。
営業時間。
定休日。
入浴施設。
仮眠場所。
考えられる事態を片っ端から洗い出し、一つずつ潰していく。
「あんのクソ親父……ブツブツブツブツブツブツ……」
「おー、榊ー」
担任が通りかかり、眉間にこれでもかと皺を寄せているイクトを覗き込んだ。
「なんだその顔。どうしたー?」
「昨日、家族旅行に行くことが決まりまして」
「お、いいな。どこ行くんだ?」
「日本車メーカー各社の博物館・展示施設およびサーキットです」
「車尽くしか。いいじゃないか」
先生は感心したように頷いた。
「ところで、いつ行くんだ?」
「明日です」
「Why?」
「明日、学校が終わったらそのまま出発です」
「Why??」
イクトは答えず、再び画面へ向き直った。
「……宿取ってる暇ないから、経路上に銭湯か日帰り温泉入れたほうがいいかも……」
「おい」
「っていうか、ほかに予約必要なところないかな……確認しないと。場合によっては今すぐ予約入れないとヤバいかも……」
「なんというか……」
先生は数秒考えたあと、イクトの肩を叩いた。
「頑張れ! 榊!」
「無理だー!!」
教室中に悲鳴が響いた。
「父さんの人権を捨てないと完遂できない!!」
「そこまで!?」
「まず青森から一番遠い広島まで行ってマツダ……そこからダイハツ、トヨタ、三菱、スズキ、日産、ホンダ……ホンダはモビリティリゾートもてぎ内も回ればサーキットも回収できるとして……」
日本列島を横断するルートが、画面上に恐ろしい勢いで伸びていく。
「帰りに群馬でスバル……いや待って」
イクトの手が止まった。
「…………」
検索。
公式サイト。
予約案内。
「マツダは……三か月前から予約受付。完全予約制……」
カチッ。
「日産も完全予約制……」
カチッ。
「スバル……一般・個人は六十日前の午前十時から……しかも二十日前まで……」
「…………」
「…………」
イクトはゆっくり椅子の背もたれに身体を預けた。
そして天井を見上げる。
「なるほど」
「どうした?」
「父さんが死ぬのは避けられそうです」
「どういう結論だよ」
イクトはノートPCをくるりと回し、先生へ画面を見せた。
「そもそも明日行っても入れません」
「あっ」
「というわけで――」
イクトは新しいファイルを開いた。
ファイル名。
『家族旅行計画書_Ver1.xlsx』
「ちゃんと一回予定を組み直して、予約開始日から逆算して余裕を持って行きます」
「お、おう。それが普通の旅行だぞ」
「親父に『旅行には計画というものが存在する』という概念からインストールしてきます」
「頑張れ、榊」
―――自宅にて。
「言っておきますけど、一番大変なの父さんですよ?」
帰宅後。
イクトはノートPCを父の前に置いた。
「ん?」
「各種予約に手続き、僕らの引率。現地では常にハンドルキーパー。見学が終わったら休む間もなく次の目的地へ移動」
「お、おう」
「宿にも泊まらず、ひたすら運転。ご飯は時間短縮のためにかき込む。トイレ休憩も最小限」
「…………」
イクトは指を一本立てた。
「そして母さんは現在免停中」
二本目。
「僕らは免許なし」
三本目。
「つまり――」
イクトは日本地図を表示した。
青森から広島。
そこから各地を経由して戻ってくる、見るだけで嫌になるような長大なルート。
「この全行程、運転するの父さん一人です」
「…………」
「よーく考えてみてください?」
父は地図を見る。
青森。
広島。
大阪。
愛知。
静岡。
神奈川。
栃木。
群馬。
そして青森。
「…………」
もう一度見る。
「…………」
さらに見る。
イクトは何も言わない。
母も何も言わない。
斗真も何も言わない。
やがて父が、ゆっくり顔を上げた。
「…………俺、いつ寝るの?」
「知りません」
「飯は?」
「さっき言いました。かき込んでください」
「風呂」
「銭湯を経路上に設定しました」
「宿」
「そんなものに泊まってる時間あると思います?」
「…………」
「ちなみに僕と斗真は後部座席で寝られます」
「おい」
「母さんも助手席で寝られます」
「おい」
「父さんだけ寝られません」
「おい!!」
イクトは腕を組んだ。
「これが昨日、父さんが『じゃあ決まりだな!』の一言で決定した旅行です」
「…………」
父は再び日本地図を見る。
そして――
「あ゛ーーーーーー!! 無理だこれ!!」
「気づくのが遅いんですよ!!」
「よくよく考えたらハンドル握るの俺だし! 予約とか手続きとかも俺だし! 現地でお前ら見てんのも俺じゃねぇか!!」
「だから昨日から言ってるでしょうが!!」
父はテーブルへ突っ伏した。
「旅行って……こんな大変だったっけ……?」
「普通はここまで大変じゃないです。父さんが一晩で日本縦断ツアーを錬成したからです」
「…………予定、組み直すか」
「最初からそうしてください」
「何日くらい必要?」
「まずそこから決めます」
イクトはノートPCを開く。
「あと予約が必要な施設が複数あるので、明日出発は中止です」
「えー」
「『えー』じゃない!」
斗真が横から画面を覗き込んだ。
「じゃあちゃんと計画すれば全部行ける?」
「行ける」
「おお!」
「ただし」
イクトは父を見る。
「父さんが人間として生存可能な計画にします」
「そこ基準なの!?」
「昨日の計画だと最優先事項です」
「…………」
父はしばらく日本地図を見つめていた。
青森から広島。
そこから各地を巡り、最後は再び青森へ。
運転手は――自分一人。
「…………」
父は、すっと直立した。
「?」
そのまま膝を折る。
正座。
そして両手を床につき、深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございませんでした」
「分かればよろしいです」
「親子逆じゃない?」
母のもっともな指摘を無視して、イクトはノートPCへ視線を戻した。
「じゃあ、ちゃんと組み直しますよ」
「お願いします」
「一番の難関は日産です」
イクトが画面を切り替える。
「まず予約が困難です。なので、ここを押さえてから他を決めていかないとダメです」
「日産が基準?」
「そうです。取りやすいところから予定を組んで、最後に日産が取れませんでした、では全部組み直しになりますから」
「あー……」
「だから最初に日産の予約日を確定。その日を固定点にします」
イクトは予定表の中央に『日産』と入力した。
「そこから移動時間と各施設の営業日を見ながら、前後へ組んでいきます。マツダみたいに早めの予約が必要なところは、日産の候補日に合わせて事前に候補を複数用意します」
カタカタカタ。
「で、スバル。トヨタ。ダイハツ。三菱。スズキ。ホンダ……」
「…………」
「サーキットも行くならイベント開催日との衝突も確認。休館日、予約時間、移動時間、食事、給油、休憩――」
カタカタカタカタカタカタ。
「一日の運転時間には上限を設定します。宿も取ります。最低でも一日一回はまともに飯を食います」
「最低でも!?」
「昨日の父さん案より大幅改善です」
「基準がおかしい」
斗真が横から予定表を覗き込む。
「兄ちゃん、なんか仕事みたいになってない?」
「旅行っていうのはな」
イクトは真顔で答えた。
「規模が大きくなるとプロジェクトになるんだよ」
「プロジェクト」
「今やってるのは要件定義」
「旅行の?」
「父さんが昨日、要件だけぶん投げてきたから」
「…………」
全員の視線が父へ集まる。
「……大変申し訳ございませんでした」
二度目の土下座だった。
その様子を眺めていた斗真が、ぱっと顔を輝かせた。
「わー。兄ちゃん上司みたーい」
「そして母さんは現在免停中」
「…………」
父が母を見る。
母は気まずそうに目を逸らした。
「それについては……まあ……」
「母さんの場合、原因の大半が僕と斗真なんですけどね」
「俺も!?」
「お前もだよ」
そもそもの始まりは学校だった。
イクトと斗真。
何かと学校内で話題に事欠かない榊兄弟について、学校から家庭へ連絡が入ることがたびたびあった。
問題は――
『何かありましたら、まず父へ連絡してください』
そう何度伝えても、なぜか学校は母を呼び出した。
そして母は、学校から電話がかかってくるたびに思うのである。
――うちの子に何かあったに違いない。
結果。
制限速度という概念を玄関に置き忘れる。
交差点を抜ける。
山道を駆ける。
最短ルートを突き進む。
気持ちは完全に緊急出動。
その走りは、もはや通学路ではなくスペシャルステージだった。
一度や二度ではない。
学校が呼ぶ。
母が飛び出す。
警察に捕まる。
点数が積み上がる。
学校がまた呼ぶ。
母が飛び出す。
さらに積み上がる。
そして――
見事、免停。
「何度も『母じゃなくて父に連絡してください』って言いましたよね?」
イクトが担任を見る。
「言われたな」
「何度も言いましたよね?」
「言われた」
「じゃあ、なんで母さん呼んだんですか?」
「…………」
担任は少し照れくさそうに笑った。
「だって榊のお母さまに会いたかったんだもん」
「コレですよ」
イクトは真顔で公安からの通知書を指差した。
「コレ」
「いやぁ、お母さま話しやすいし」
「その結果が免停です」
「まさか毎回そんな勢いで来てるとは思わないじゃん!」
「毎回『ずいぶん早かったですね』って言ってたでしょうが!」
「近いからかなって」
「母さん、学校から電話来るたびに『イクト!? 斗真!?』って顔色変えて家から飛び出してたんですよ!」
「…………」
「…………」
「大変申し訳ございませんでした」
「なんで今日はみんな土下座するんですか!?」
――なお、免停通知を見た父の第一声は、
「お前、子供の学校行くのになんで免許なくしてんの?」
だったという。
「そういえば」
斗真がふと思い出したように母を見た。
「母ちゃんの車って、お馬さん何頭?」
「え?」
母は少し考えた。
「お買い物車が……八百頭? カナ?」
「…………」
「テヘッ」
沈黙。
イクトがゆっくり顔を上げた。
「…………八百?」
「うん」
「馬力?」
「うん」
「お買い物車?」
「うん」
「八百馬力?」
「うん♪普段はローブーストよ?」
「…………」
イクトは額を押さえた。
「母さん」
「なあに?」
「スーパーに何秒で着くつもりなんです?」
「普通に安全運転してるわよ?」
「八百馬力で?」
「馬力と安全運転は関係ないでしょ?」
「それ自体は正論なのが腹立つな……」
斗真が恐る恐る尋ねる。
「ちなみに……なんでお買い物車に八百頭も馬がいるの?」
「だって」
母は当然のように答えた。
「余裕があったほうが運転しやすいじゃない?」
「余裕の定義がおかしい」
父がぼそっと呟いた。
「元はそんなになかったんだけどなぁ……」
イクトの視線が父へ向く。
「元は?」
「…………」
「父さん?」
「…………」
「何したんです?」
「俺じゃない」
父は即答した。
全員の視線が母へ集まった。
「…………テヘッ」
「母さん!?」
「ちょっと吸排気と燃料系とタービンとECUを――」
「『ちょっと』の範囲じゃない!!」
斗真が目を輝かせる。
「母さん、踏んだら速い?」
「速いわよー」
「母さん」
イクトが即座に遮った。
「斗真に余計な教育をしないでください」
「でもイクトも乗ってみたいでしょ?」
「…………」
「乗ってみたいでしょ?」
「…………助手席なら」
「兄ちゃん!!」
「八百馬力は気になるでしょうが!!」
父は腕を組んで頷いた。
「まあ、これで分かっただろ」
「何がです?」
「母さんが学校から電話来るたびに、異常に早く到着してた理由」
「…………」
イクトは母を見る。
八百馬力。
子供に何かあったと思えば冷静さを失う。
学校までの道は熟知。
そして現在、免停中。
「……むしろ今まで免停だけで済んでたの奇跡じゃないですか?」
「安全運転はしてたわよ?」
「その台詞、免停中の人が言っても説得力ないんですよ」
「スーパー行って帰ってくるから、お買い物車だヨ?」
「用途でしか定義してない!!」
イクトは頭を抱えた。
八百馬力。
企業秘密のエンジンルーム。
子供が絡めば緊急出動。
そして現在、免停中。
「……サーキットの女神、公道の破邪神……」
ボソッ。
「んー?」
母の顔がこちらを向いた。
「イクトちゃん、何か言った???」
笑顔だった。
とてもいい笑顔だった。
「…………」
イクトの額に汗が浮かぶ。
「サーキットでは女神のように美しい走りをする母さんだな、と」
「後半は?」
「…………」
「ねぇ、後半は?」
「気のせいです」
「破邪神って聞こえた気がするんだけど?」
「空耳です」
「公道の、まで聞こえたヨ?」
「母さん聴力良すぎません!?」
斗真が腹を抱えて笑っている。
「兄ちゃん終わったwww」
「笑ってないで助けろ!」
母はニコニコしたままイクトの背後へ回った。
ぽん。
両肩に手が置かれる。
「イクトちゃん?」
「はい」
「お母さんね?」
「はい」
「安全運転だヨ?」
「はい」
「分かった?」
「でも免停――」
「イクトちゃん?」
「安全運転です」
「よろしい♪」
解放されたイクトは、無言でノートPCへ向き直った。
そして旅行計画書の備考欄へ入力する。
『運転手:父のみ』
「なんで太字にしたの?」
「安全対策です」
「イクトちゃん???」
「父さーん!! 旅行計画の続きやりますよー!!」
「俺を盾にするな!!」




