第8話『希望通りに』
期待はどんどん膨らんでいく。魔法についての知識はほとんど完璧だが、魔法学院はどちらかといえば人間関係に重きを置く場所だ。エルリィには都合が良い。なにより貴族令嬢のお茶会は退屈で、うわさ話に花を咲かせることだけが趣味のような人間の集まりに顔を出さないで済むと思えば、それもまた良かった。
寮に入ればロドリックやクリスティに会えないのは寂しく思うが、だからといって転生した体で人間の生き方を楽しまなくては損をする。子供らしい振る舞いをさせてもらえなかった分、学院では自由に過ごそうと楽しみが湧く。
昼は傍にウルスラを連れて散歩をするなどして時間を潰し、夜がやってくると待ちに待ったロドリックからの報告がある。そわそわする姿をウルスラに笑われたが、エルリィはそれくらい、今は子供らしい感情でいっぱいだった。
「お嬢様、夕食のお時間ですので呼びに参りました」
別のメイドがやってきて、ウルスラに目配せしてから声を掛けた。
「呼びに来てくれてありがとう。ところであなたに頼みがあるのだけれど」
「あっ、はい。なんでしょうか」
屋敷にいるメイドたちの顔は全員把握している。目の前の女がウルスラと同期で、いつも仕事は雑にこなして、サボる癖があるのは分かっていた。
だから、エルリィは穏やかに微笑みを浮かべて────。
「この部屋にある本を全て片付けておいてちょうだい」
「えっ、私がですか……」
ぎょっとしたメイドは、自分の口にした言葉にハッとして両手で塞ぐ。
目の前にいる穏やかそうな娘の冷ややかで怒りに満ちた瞳に、間違っても口にしてはならなかったと謝罪の言葉を述べようとして、肩を優しく叩かれた。
「静かに。あなたの謝罪は聞きたくないの、興味がないから。仕事を雑にすることは適当ではないでしょう。次はないから注意しなさい」
たかがメイド、いくらでも替えが利く。なにも専属でもないのに特定の人物を重用する理由はない。成果を挙げられないのであればいないのと同じだ、とエルリィは小さく耳もとで囁き、その場で動けないメイドを残して行く。
「なにもあそこまで脅かさなくても良かったのでは?」
さすがに怖がらせすぎではないかとウルスラが尋ねると、エルリィはふふんと無邪気に、だが自信に満ちた鋭い眼つきで答えた。
「十分に甘やかしたわ。これまでのことを考えれば手緩い処分だけど、十分に釘を刺されたのだもの。他のメイドたちにも良い見せしめになったはずよ」
「まあ、そこは否定いたしませんが……」
ウルスラはまだ暗い顔をするので、彼女の手を優しく握った。
「気にすることないわ。せっかく来てくれた新しいメイドたちにも仕事を押し付けてるのよ。それは雇い入れたお父様に対する侮辱も同然だと思わない?」
わざわざ選んで公爵家に迎えたメイドを苛めて、自分たちは働く手間を減らす。あるいは働かずに給金を貰うというのだ。公爵家の顔に泥を塗るだけでなく、公爵家の金を盗んでいるのと変わらない。これを侮辱と思わない方がおかしいとエルリィは断罪する。それに見合った働きをしていないのだから、と。
「地位や名誉は人柄では賄えないものよ、ウルスラ。あの子たちが公爵家のメイドという優れた地位を保ち続けるためには、それに見合った振る舞いを身に付けなくてはならないわ。私がこの九年間で成し遂げたようにね」
あどけない笑顔から放たれたとは思えない言葉。微笑んだ瞳の深くから輝く不気味なまでの力強さ。長年、傍に仕えてきた人間でさえ慣れない。
「さあ行きましょ。お父様も待ちくたびれてしまうわ!」
「はい、お嬢様」
少しばかり食堂へ急ぐ。ウルスラを外で待たせ、エルリィは意気揚々と良い報告が聞けそうな予感に扉を開く。
機嫌の良さが窺えるエルリィを見て、ロドリックは新聞を折った。
「遅かったな。呼びに行かせたのだが、何かあったか?」
「いいえ、なにも。粗相があったので軽い教育をしてさしあげたのです」
また問題を起こしたメイドがいるらしいとロドリックは眉をひそめた。
「たまには私に頼っても良いのだぞ。君ばかりが彼女たちの相手をしてやる必要はない。娘が優秀すぎると手間が掛からないのは嬉しいが少し退屈だ」
褒められて悪い気はしない。エルリィも頬が緩む。
「お父様に次期公爵として据えられたのであれば、その期待に応えられるよう行動するのは当然です。跡継ぎがメイドの教育もできないとあっては、お父様にも恥を掻かせてしまいますから。地位や名誉に甘んじるつもりはありません」
席に着き、真剣な眼差しで返す。胸中では普通に喜んでいて、今にも父親に甘えたい気持ちすらあったが、公爵令嬢としての外観を取り繕った。
「うむ、それは素晴らしいことだが……いや、いい。とりあえず料理が冷めてしまわないうちに食べよう。今日は君のために好物をたくさん用意させた」
「ありがとうございます、お父様。とても嬉しいですわ」
知っていたが、知らないふりをして微笑んだ。
「ところで、学院の件はどうなりましたか?」
「あぁ、もう話は通してある。入学の試験も必要ないそうだ」
「……魔法を学ぶ場所で適正試験すらしないのですか?」
「とうに試験期間は過ぎているらしいが、私の名前を聞いて二つ返事だよ」
眉をひそめて、ワイングラスに口をつけた。
エルリィも考えは同じだ。ステーキを切り分けながら、小さく息が漏れた。
「魔法学院が基礎を学ぶ場といえど、名前ひとつで試験もなしに通過とは驚きます。卒業までに実力をつけておけば構わないという考えでしょうか」
「さてな。私は学院を通らずに戦地へ出たから、連中の考えは分からん。未だ魔獣の脅威は消えていないのに、さては安全な場所にいて平和ボケしたか」
期待よりかは幼稚じみた場所なのかもしれないと少しがっかりもしたが、自分で入れてほしいと言った手前、あれこれと手続きを済ませたあとでやめたいなどと迷惑を掛けたくはない。水で喉を潤してもやっとした気分を腹に押し込む。
「ああ、それでエルリィ。デビュタントを祝うパーティだが、今年は同年代の子も多いそうだ。学院に入れば遊ぶ暇もないだろうが、念のため面識を持っておいて損はない。放っておいても向こうからやってくるから面倒ではあるがね」
「努力致します。今後の公爵家のためにも味方は増やしたいですから」
粛々と食事が進み、内心ではがっつきたい気持ちも堪えて談笑も重ねた。
本当は舞踏会にも他の家門にも興味はないが、公爵家のためならば仕方ない。不満はあれど、今は目の前の料理の味に没頭して忘れる。
「そういえば、お父様。学院に入るのは私だけですか? 他の家門のご令嬢などもいらっしゃったりするのでしょうか?」
せっかく自由に振る舞えそうなときに、他の令嬢がいるのは面倒だ。基本的に学院が公平性を保つために身分を明かさない仕組みであるのは知っているが、当然、そこには顔見知りがいてもおかしくない。
「何か不安があるのなら気にしなくていい。学院内で身分を明かすことは禁じられているし、誰かが何かの都合で君の身分を知ったとしても、外部に漏らせば処分を受けるのは君ではない。規則さえ守れば誰も困らないのだ、わかるね?」
「……ええ。肝に銘じておきますわ、お父様」




