第7話『新しい目標』
学院に通いたいわけではないが、魔法を完璧に扱える人間が少なすぎるのは気になった。今いる世界についてエルリィが知らないことはまだまだ多い。
屋敷の外へ出ること自体が滅多となかったので、自分と比べて魔法を扱える人間の水準が低いのは分かっていても、実際にはどこまでかは知らない。魔法学院に通うのは、それを知る最も手っ取り早い方法だ。
そして、もし自分の想像通りに程度の低い状態であれば、新たな取り組みに挑戦してみたいと思った。そのときまで胸に秘めた壮大な計画である。
部屋に戻ったら、まずは目標を紙に書く。公爵家に来たばかりの頃はつたない字を書くのが精いっぱいだったエルリィも、九年も暮らしていれば字をすらすらと書けるようになった。そのおかげで読書という趣味も身に付いた。
部屋には書庫から持ってきた古い本が山のように積んであった。広げ合った数冊を閉じて本の山に重ね置き、引き出しから紙を取り出す。
「ふむ……。なんと書いたものか」
紙に大きく目標を書くのは、小さな頃からの習慣だ。そうすれば必ず達成できるまで継続できるからで、孤児院にいたときに自分を支えるために始めたことは今でも大切な儀式のようになっている。
なのに、今回は書けなかった。目標が大きすぎるのも良くない。そこに至るまでに疲れたり、飽きたりしてしまう可能性は排除したいと悩みが湧く。
「失礼します、お嬢様。紅茶をご用意致しました」
プレートを手に入ってきたウルスラが、部屋の様子を見て唖然とした。
「お嬢様、これはなんですか」
「あら、ウルスラ。どうかしたの?」
「どうしたのではありません。昨日片づけたばかりではないですか!」
「え。あっ、うん。だって必要だったから……」
全て公爵家の使われていない古い書庫から運んだもので、ほとんどが魔導書だ。特に魔法薬に関する本が多く積んである。
「魔法薬学に興味がおありなんですか?」
テーブルに紅茶の準備をしながら、ウルスラはまた自分が片付けるのかとため息が出そうになるのをぐっと堪えた。
エルリィが来てからたった三年で専属メイドとして仕えることになり、それ以来、徹底した世話係をしているが、いつどうやって運んでいるのかと不思議になる量の本を毎日運び込んでくるので、ひどく困っていた。
「勉強スペースなら書庫にもあったではございませんか」
「私に会いに来て居なかったら、皆が困るでしょう?」
ふと思いついてさらりと目標を書いた紙を、机の中に片付ける。
ウルスラの小言が始まって、聞くふりをしながら本を開く。
「それはそうかもしれませんが、毎日のように本が積まれているので」
「まあ、此処が一番落ち着くから。駄目だったかしら」
「駄目ではないですけど……毎日、私だけで片付けるのは大変なんです」
背中がざわついて、捲ろうと頁に触れた指がぴくっと揺れて離れた。
「あなた以外は部屋に入らないということ? 他にも手の空いたメイドたちはいたでしょうに、どうして手伝わせないの?」
「すみません、声は掛けるんですが他に仕事があると言われて……」
ウルスラが強く言えないのは仕方ないことだ。ベテランのメイドではあるが、公爵家の顔ぶれは基本的に変わっていない。
エルリィを目の敵にして嫌がらせをしていた数名以外は補充されておらず、その新人のメイドは殆どの仕事を押し付けられて手が空いていなかった。
同期以上の相手は基本的にウルスラを格下扱いで、とても頼れる相手ではない。それを分かっていて、エルリィの世話をするための専属なのだから全てやるのが仕事だろう、とばかりに躱していた。事情を聞くだけで気分の悪くなる話だ。
「困った人たちね。今後はあなた以外に片付けさせなさい。私の命令だと言えば拒めないはずよ。それでも断ったら、私に言いなさい」
「わかりました。それより、温かい紅茶をどうぞ。冷めてしまいます」
休憩も必要だろうとエルリィも作業はやめて席に着く。
「あなたといると気が抜けて楽だわ。本当は話し方も、いつも通りにしたいのだけれど……もちろん、それは許してくれないのよね?」
「此処は公爵家ですから、お諦めになってください。誰が聞いているかも分かりませんから、妙なうわさが立てば弱みになりかねません」
しょんぼりしながら用意されたクッキーに手を伸ばす。
「ま、私もデビュタントになったら魔法学院で寮生活を送る予定だから、この煩わしい喋り方ともしばらくはお別れかしらね」
「公爵家から通うのではないのですね。魔法薬学は学べるのですか?」
そう言われて積まれた本を一瞥する。エルリィは肩を竦めた。
「基礎を学び直すだけで、薬学については子供の領分ではないわ。今だって知識が増えればいいと思って、個人の趣味の範囲で読書をしているだけよ」
個人的。そう、ただの個人的趣味だ。表向きは。
(人間の寿命が短すぎるから霊薬を作って永遠の命を得ようとしておるとは、口が裂けても言えんのう。こちとら前世では数百年も若かったんじゃ、小娘のままでおりたいというのがひとつの夢になってしもうたわ……)
前世を長く生きてきたエルリィには、たった十数年でそこそこ成長してしまうのに驚きを隠せない。人間がそうして年老いるのは知っていても、いざ当事者となってみると老いることに強い嫌悪感を抱くようになった。
既に作り方は心得ている。ただ、材料を手に入れるための苦労が計り知れない。何十年に一度咲く花だの、百年に一度生まれる竜の鱗だの、実在するかも怪しそうなモノばかりが揃っていてうんざりしそうだったが。
(そもそも霊薬の作成方法が古文書にあるのはいいが、この調合方法を見つけた奴は不老不死になったのか? 実在するなら見てみたいものじゃがのう)
少し馬鹿げている気もする、とクッキーでぱさついた口の中を紅茶で潤す。ふわっと広がる程よい渋みが、甘ったるさを爽やかに打ち消してすっきりする。
「それにね、学院を卒業しておけば箔もつくでしょ? 公爵家の跡継ぎたるもの、気高き鷲の如くあらねばならないとお父様も言っていたわ。これも次期パードリグ公爵となるための大切な務めのひとつよ。そう思わない?」
幼い頃から力をひけらかしては、怪物のように思われてしまう。それこそ凶兆となるのではないかと。だからエルリィは今日まで己の力を隠してきた。だが、学院を卒業して立派な魔導師の称号を得られれば、今度こそ全てが自由だ。
「爵位を授かったときには、あなたにも喜んでほしいわ」
「もちろんです、お嬢様。無事に卒業されるのをお待ちしています」




