第6話『初心を忘れず』
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公爵家に迎えられてから、時が経つのは早かった。
最初こそメイドたちの顰蹙を買うことも多かったが、家庭教師がついてからはエルリィの年寄りじみた言葉遣いは矯正され、令嬢としてのマナーも身に付いた。公爵家の跡取りとしての成長は凄まじかった。なにより皆が驚かされたのは、彼女が魔法を使えるということだった。
それが周囲に知れ渡ったのは、彼女が十六歳になりデビュタントになる日を迎える少し前のこと。ある日にふらりと厨房の前を通ったときに起きた。
「何かあったの」
厨房が騒がしいので顔を出してみると、料理長が眉を下げてエルリィに挨拶する。手には緑色に変色した芋や痛んだトマトを持っていた。
「実は、仕入れた食材が届いたときには駄目になっていて……。何日か前に酷い嵐があったでしょう。そのせいで到着が遅れて、こんなふうに」
仕入れなおすにも時間が掛かる。挙句、今日に限ってそれは許されない。
なにしろ夜にはロドリックが開くエルリィの社交界デビューのお祝いに、豪勢な食事を用意するよう言われていた。急いでも仕込みが間に合いそうになく、話し合って伝えにいこうとしていたところだった。
「これは酷いわね。ほとんど駄目になっているじゃない」
ぐずぐずに柔らかくなったトマトを片手に持ち、怒り気味に尋ねた。
「どこの商会に届けてもらったの?」
「クラトルです。いつもは良い仕事をしてくださるんですが」
「二か月前には嵐が来るのは魔塔から予測が出ていたでしょう」
「え、えぇ……それはそうなんですけど……」
「駄目よ、ゲオルグ。あなたのそういう弱気なところは問題ね」
見た目は強面なのに小心者で、強く言えない。いつも少し背中を丸めていて自信なさげな顔をしているせいで周囲からも嘗められる。特に商人は人間の本質を見抜く目利きだ。取るべき態度を正確に選んで獲物と見たに違いない。
エルリィは心底呆れ果てた顔で、トマトを箱に戻す。
「今回は大目にみてあげなさい。その代わり、二度とクラトル商会には頼まないで。配達に関しては小さいけれどテフラ商会の方が誠実よ」
「あ……わかりました。ですが、この食材はどうしましょう……」
箱にたくさん詰まった芋やトマト、生臭さを放つ魚まである。キッチンメイドたちも、どうしたものかと頭を悩ませた表情で話も進んでいない。
見かねたエルリィは箱に手をかざして小さく振った。
「今回だけよ。次から管理はしっかりしてちょうだい」
風のように舞う薄緑の魔力に包まれると、駄目になっていた食材は全てが新鮮な状態に戻っていく。芋は掘り出したばかりのように、トマトは新鮮で張りと艶がある。腐った魚も、今は嫌な臭いを放っていなかった。
「お、お嬢様……これほどの魔法が使えるんですか!?」
急に厨房がざわつく。何かそんなに凄いことをしたのだろうかとエルリィは戸惑いながらも、表面的には平静を保った。
「あまり言いふらさないでね。今回は私のお祝いをしてくれるから、その御礼みたいなものよ。晩餐を楽しみにしているわ、ゲオルグ」
厨房を後にして自室へ戻る途中、エルリィは顎に指を当てて考えてみる。
(確かに、この手の魔法はいささか過ぎたるものであったやもしれん。生活を中心に魔法が発展している割には魔石採掘が盛んで、そればかりに頼っておる。およそ魔法を使える人間の基本的な水準が低いのは問題じゃな……)
魔石を使ってできることと言えば、食材が腐らないように冷蔵庫を作り、数十年前までは蝋燭やオイルランプで取っていた灯りを電力で生成するなど、様々な技術に活用されてはいる。問題は魔石の等級によって使用期間が変わったり、そもそも高級品は一般家庭には手に入らず、定期的に低い等級品を仕入れなければならないために必要経費が嵩んでしまうことだ。
エルリィも色々調べはしたが前世と違って魔法の普及率は低く、扱える人間は非常に限られている。それもあってか、魔獣討伐にも手こずっている有様で、大群が押し寄せる度に年間で大勢の人間が犠牲になっていた。
(前世であれば勇者以外にも腕の立つ者は腐るほどおったんじゃがのう。こちらはどうにも、儂ひとりで町を滅ぼすのも容易いほどに貧弱がすぎる。お父様でさえ国の中では実力者に数えられているが、その戦果は安い……)
いつ死んでもおかしくない。魔獣たちは個体によるが、平均的には一匹に対して四人掛かりで戦わなければ、誰かが命を落とす前提になる。危険と隣り合わせの世界はぎりぎりで人類が成立している状態だ。
「何か考えておかねばならんのう……」
もう十六歳になる。十分に世界を知って幸せな暮らしの中にいると、失うのは恐ろしく感じた。魔王であった頃は誰もが畏怖と敬意を抱く支配者のエルリィでも、人間としての正しい感情が芽生えてくると手放したくなくなった。
「おや、エルリィ。部屋に戻る途中かね?」
「お父様。ええ、自室で読書でもしていようかと」
たった九年。多くを学んだと同時に、まだまだ知識不足を感じる。読書はそんな不足気味の知識を増やしてくれる、エルリィのバイブルだ。
「ウルスラから報告を受けているが、最近は魔法学に執心しているそうだな。何か気になることがあるのなら尋ねなさい。これでも上級魔導師の称号も持っている。多少は君の役に立てることがあるやもしれん」
我が子に自信たっぷりに振る舞うロドリックの『頼ってほしい』というオーラがにじみ出ている。エルリィは愛らしく微笑み、「分からないことが出てきたときはぜひ」と気を遣う。傷つけたくはないのだが、実力的には自分の方があるのが分かるだけに申し訳ない気持ちが胸の奥から湧いてきてしまう。
「あ、そうだ。ちょうど聞きたいことがあったのです」
ぱしっと手を叩いて、良い機会だとロドリックに頼みを伝えた。
「魔法を学べる場所はありますか? 魔塔ではなく、もっと子供たちが広い視野を得られるような場所がいいです。一から学ぶには最適なはずです」
「ふむ……。ないこともないが、君が通うほどの場所かどうか」
ロドリックはエルリィに魔法の才能があるのを見抜いている。まさか時間を巻き戻す魔法まで使えるとは思っていないが、魔法学院に通うには彼女の才能は突出している。魔塔で学ぶほうが遥かに有益に見えた。
「基礎を忘れてしまえば、どれほどの研鑽を積もうとも前に進めなくなるとは、幼いころにお父様が仰ってくださったのではありませんか。それに、いきなり魔塔で学ぶだなんて、良く思われないに決まっています……」
魔法使いたちの頂点を目指す優秀な人々のための塔。そこへ公爵家の娘がいきなり入って来たとなれば、警戒されてしかるべきだ。目障りだと邪魔をされるのも考えられる。というより、その手の話がよく耳に入ってきたのが大きい。
「ウム、真面目なのは素晴らしいことだ。君もすっかりパードリグ公爵令嬢として馴染んでいるな。……わかった、あとで入学の手続きを進めておこう。ちょうど四月も目の前だ」
「まあ、ありがとうございます。お父様は本当にお優しいですね!」
何も得たのは知識や作法だけではない。狡賢く知恵を働かせることまで、エルリィはやってのけた。ロドリックがどうすれば喜ぶかを観察、熟知して、愛らしい娘として振る舞うことで彼の親心をくすぐった。
「はは、そこまで喜んでもらうと急がなければならんな。それでは、そろそろ戻りなさい。私もやるべきことが山積みだ。夕食のときに会おう」
「はい。お待ちしていますわ、お父様」




