第29話『戦場の痛み』
店の名前と場所を聞いたら、エルリィは仕方なく学院長室へ向かう。おそらく学院始まって以来の歴史の中で、良いにしろ悪いにしろ、こうも繰り返し呼び出されたのはきっと自分だけに違いないと苦い気持ちになる。
学院長室で待っていたローゼはといえば逆に機嫌が良かった。
「不気味なくらい機嫌が良いのう……」
「ハハハ、そう見えるか?」
書類の山があっても気にしない、煙草も吸っていない。あのローゼが。
「色々とあってな。エーデ子爵と繋がっていた魔法使いたちが魔塔にもいてな。芋づる式に、そいつらが闇市場に通っていたことも分かった。要は一斉検挙だ。闇市場自体の排除には至らなかったが、しばらくは大人しいだろう」
何もかも都合よく事が運べて機嫌が悪い人間がいるはずもない。そうして、今は煙草に頼らなくても良い気分だった。
「なんじゃ、儂に礼でも言うために呼び出したのかや」
「もちろんそれもある。パードリグ公爵もいたく感激されていたが……」
そこでようやく、ローゼが真剣な顔になった。
「問題は魔獣を討ち払ったことだ。あれは少々まずかった」
「……? まずいというのは?」
「子供に倒せる魔獣じゃないってことだよ」
引き出しから記録魔石を取り出して、机に転がす。
「エーデ子爵の尋問を行った際に、奴が大型の魔獣を駆り出した件があがった。そして、それを討伐したのはアウレリア・オムニスであったのも知られた。あいつが使っていた武器については私が貸与したものと誤魔化したが……」
既に宮廷では、その話題で持ちきりだ。エーデ子爵を捕縛したパードリグ公爵令嬢および将来有望なオムニス男爵令嬢のアウレリアの魔獣討伐まで。
討伐されたものが大型の魔獣であったのが大きな問題になった。
「お前、アウレリアとは仲が良いんだろう」
「うむ。それがどうかしたのかや」
「しばらくは傍にいた方が良い」
いつものことではないか、とエルリィは怪訝な顔をする。
「目的が分からん。そなたは言葉が足りなさすぎるぞ」
「……はあ、こういうときに限って鈍感だな」
やれやれとため息を吐く。わざとらしく肩を竦めてみせた。
「オムニス男爵令嬢の家庭事情については、お前も知っているはずだ。あれは実の兄たちとの折り合いが悪い挙句、両親もそこに関与しない。そのことで、今回の件が奴らの耳に入ったとなれば果たしてどう出てくるやら」
「ぬう……。あの性格の悪いふたりがアウレリアの邪魔をすると?」
ローゼが深く頷いて、机に頬杖を突く。
「実際の仲がどうなのかはさておいて兄弟は妹が戦場に立つのを嫌がっている。体育祭の招待状も出さざるを得んから、揉めないよう見張りが必要でね」
「アウレリアが戦場に立つのを烏滸がましいとほざいたそうじゃが」
怒り気味なエルリィの言葉に、馬鹿げた話だとローゼは小さく笑う。
「それが事実なら面白い話だ。なにせあいつらは私に敬意を払う。戦場での活躍は聞いていますと頭を垂れてね。それに小さい頃の仲は良かったらしいが」
「そうなのか。もう随分と調べ上げておるのじゃな」
フッ、とローゼが鼻を鳴らす。
「私を誰だと思ってる、大体の情報は耳に入るさ。特にオムニス男爵のとこの双子は、言い方は悪くなってしまうが魔法の才能がなくて、戦場での活躍がそれなりに留まったことで父親からもあまり良く思われていなかった」
騎士の家門であるオムニス男爵家は戦場で戦果を挙げてこそ。しかし、オムニス男爵の息子たちは父親の背中を追うだけで、手が届くことはなかった。
戦場から傷だらけで命からがら帰ってきた双子は、それ以来執拗に妹であるアウレリアを苛めるようになった。その理由については双子が誰かに話すこともなかったので、ローゼも憶測では話さない。
「期待を背負わされた妹への嫉妬か、あるいは……とも考えるが、私に何か言えたことはない。ともかくアウレリアと大喧嘩でもされたら困る。待ったを掛けられるのがお前くらいだから念のためにな」
双子はいくら才能がなくとも戦場を経験し、今もなお最前線に立つ。生き残るにはそれだけの実力が必要だ。父親に魔法の才能がないからと認められなくとも、二人で力を合わせて戦って結果を出しているのは間違いない。
もし兄妹で衝突が起きたらエルリィが間に入ってくれる方がローゼとしては助かった。可愛い生徒ではあるが、家の問題に首は突っ込みたくないのだ。
「ふうむ、それで儂を呼んだのじゃな」
「ああ。なにせ事態が男爵の耳に入って大層お喜びなもので」
「……あ~、うん。まあ儂の責任でもあるか」
腕を組んで少し考えてから、それもそうかと納得して引き受けた。
「それにしても、学院長殿は戦場に立ったことがあるのかや」
「ん? あぁ、若いときにな」
「今も十分若く見えるが、よもや魔法で若作りを」
「失礼な。れっきとした三十代前半さ」
手でくるくるとペンを回して弄びながら昔を懐かしむ。
「二十代になったばかりの頃、大型の魔獣が群れを成して暴れたことがあって緊急招集が掛かった。学院を卒業してすぐのことだったんだ」
魔獣の群れを撃退したのは当時のパードリグ、フェルムなど公爵や戦場を長く担ってきた帝国騎士団や魔塔の最精鋭。そこに歴代で最も優秀な成績を収めたローゼも最前線に駆り出された。本人には痛ましい記憶だ。
「大勢の死傷者が出たよ。特に群れの中に毒霧をばらまく厄介なのがいて、吸い込むと麻痺を起こす。重症になると死に至るほどのな。初見の情報などあるはずもないから、私も結構吸い込んだ。その後遺症で視力が落ちてしまってね」
「しかし、そなたは生き残った。よほど強かったのであろうな」
珍しく讃えられて意外に思いながらも、ローゼはやんわり否定する。
「強ければ、こんな醜態をいつまでも晒していない。運良く討伐に成功して無様に生き恥を晒し続けている。魔塔主になってもあの頃から変わらんよ」
ふう、と馬鹿馬鹿しそうに息を吐き、そっとペンを置いた。
「昔の話だ。今はしがない研究者で学院の管理人といったところで、私の人生は安泰の道を歩んでいる。文句はないよ。お前のような特例にも会えた」
面白い魔法使いで、前世の記憶を持った魔獣が人間に生まれ変わったという。他人が聞けば下らない妄想もローゼの目の前では全て現実だった。
「儂が治してやろうか」
自分にならできると自負するエルリィの言葉は嬉しく思う。一方で、その言葉がどれだけ相手を傷つけるかを、この子供は分かっていないと感じた。
「必要ない」
「でも、治せばそなたは今よりもずっと」
「同情されるのは苦手なんだ」
そっと眼鏡を外して、自分のぼやけた視界でエルリィを映す。
「仲間が目の前で食われるのを見たことがあるか。どんな感情で見ればいいかも、お前には分からないだろう。私はもう何も映したくないんだよ。これは私のための傷跡なんだ。あの痛みを忘れないかぎり、私は何も視ないで済む」
自分の過去に触れてみて、ローゼは感傷に浸り過ぎたと自省する。
「もう行け。体育祭の日はくれぐれも頼んだぞ」




