第27話『変わっていく環境』
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ユヴェルトハイト・エーデ子爵によるパードリグ公爵邸放火事件の全容は明らかとなり、爵位剥奪と共に絞首刑が言い渡された。余波はエーデ子爵家全体に広がり、エーデ子爵夫人は都市への出入りを禁じられて追放を受けた。行く当てもないままに荷物を纏めて、他の領土に渡ったところでどう扱われるかは目に見えている。
そこへ手を差し伸べたのはパードリグ公爵、ロドリックであった。自分の領地での在留を許可し、小さいながら住む場所を与えた。住民からの批判は受けるであろうがどこにも行けないよりはマシだったし、住めばいつかは認められる日がくる。それらの全ての意向は、裏に愛娘であるエルリィの存在が強かった。
娘のマリアは当該者でないかぎり子供には罪を問わないという国の指針のもと追放を受けることはなかったが、エーデ子爵の起こした事件は大きく取り沙汰され、閉鎖的な学院内でも瞬く間に噂が広がってしまった。
「……」
沈黙したまま、自分の机を見下ろすマリアの瞳には、消せないインクで書かれた罵詈雑言の数々が目に入り、汚れて悪臭を放つ雑巾が机の中に押し込まれて、濁った液体を滴らせていた。今まで高飛車な態度を取ってきたつけがやってきたとばかりに嫌がらせが始まった。
騒ぎの発端とも言える取り巻きだった女子生徒二名に関しても、まるで自分たちは無関係かの如くマリアから距離を取るようになった。それどころか、あんなやつとつるんでいたのが恥ずかしいと言いふらすまでに至るほどだった。
────分かっている。自分の蒔いた種なのだから。
椅子に鞄を置いて、ひとまず掃除をしようと机の中の雑巾を引っ張り出す。悪臭に顔を顰めながらも、その手にぎゅっと掴んで廊下にある水道まで持っていこうとして誰かに足を引っかけられた。
汚れた雑巾が顔や服にべちゃっと不快感を張り付ける。マリアはそれでも、吐き気すら忘れるほど絶望の中にあった。最初からクラリスに手を出していなければこうはならなかった。自分の些細な嫉妬心のせいで、と。
「うわ、きたね」
「あっちいこ、気持ち悪い」
くすくす。けたけた。嫌な笑い声が耳の中にべったりとこびりついて剥がれない。泣きそうになるのをぐっと堪えて、立ちあがろうとしたときだった。
「立てるか。職員室行こうぜ」
「……エリオット様」
「それやめてくれる?」
周りがざわつくのも無視してエリオットがマリアの手を引いて立たせた。
「汚ねえなあ。自分たちは安全な場所から他人を嗤うだけかよ」
「いいんだよ、だって私がやったことだからさ」
自分のやったことが跳ね返ってきただけ。そうやって受け入れようとするマリアをまっすぐ見て、エリオットはムッとした顔で言った。
「良くないだろ。こいつらが気に入らないからやってもいいってのは、お前がしてたことを肯定してるのと同じだ。こんな連中なんか許すな」
そう言ってマリアを教室から連れ出した。職員室に向かう途中、マリアは戸惑った様子で、憤慨するエリオットに尋ねる。
「どうして私なんか助けたのよ。あいつら、絶対にエリオットのことも」
「ああ、顔と成績が良いだけの男は敵が多いからな。でも、だからってお前があんな目に遭うの放っておいたら、俺はただの駄目男になっちゃうだろ」
落書きをしているところは見ていた。もちろん、そのことは既に担任の教員にも伝えたが、対応を検討しておくと言われて後手に回った。そして教室に戻れば、あの様である。なんとも腹が立って仕方がなかった。
「職員室にいって事情を説明したら運動部の使ってるシャワー室を借りよう。着替えはアンネマリー先生に頼めばいい」
「……ごめん。もういいよ」
ぱっと手を振り払って、マリアは足を止めた。
「私、退学する。クラリスにもエルリィにも悪いし……エリオットにだって迷惑がかかるわ。さっきの教室の空気を見てれば分かるよ」
「分かんねえよ。言わせておけばいいだろ、あれくらい────」
諭そうとするエリオットに被せてマリアは拒絶をみせた。
「無理だってば! 私は自分のやったことの馬鹿さ加減がようやくわかった。学院に通ってたって、皆と仲良くなれないどころか普通の生活も送れないんだよ。同室の子と仲良くないの知ってるでしょ。今は口も利かないだけで済んでるけど、そのうち何されるか分かったものじゃないんだから」
我が身可愛さに学院に居続けて、周りに迷惑を掛けるのはごめんだ。既に子爵令嬢などではないが、そうであったときから名前に誇りはある。愚かにも世間知らずで他人を貶めたのだから、自分が犠牲になるのは当然だろう。マリアはそうやって、自分の価値を正しい位置に置こうと強い決断をした。
「なんじゃあ、面白い話が聞こえてきたのう」
「昼間から学院内で痴話喧嘩とは先輩と言えどもどうかと思うが」
エルリィとアウレリアが職員室の帰りに二人を見つけて寄ってきた。どうやら何かあったようだと察して顔を見合わせ、エルリィが尋ねた。
「そなたの父親の件から半月以上過ぎた。何かあったみたいじゃのう」
「ごめん。あんたには、いくら謝っても……」
「謝罪など求めておらぬが。ま、聞かずとも何が起きたのか分かる」
エルリィは自分の抱えていたノートをアウレリアに渡して言った。
「ちょっと二年の教室を見てくるゆえクラリスに渡しておいてくれぬか」
「ああ。私も後で行った方がいいか?」
「いやあ、構わぬ。ひと騒ぎ起こしてくるだけじゃ!」
アウレリアは分かっていたとばかりに普通に頷く。マリアとエリオットは状況が呑み込めないまま、エルリィがさっさと二年の教室に向かっていくので引き返す形で後を追いかけた。
教室はまだざわついていて、事件の当事者とも言うべきエルリィは教室の扉を思いきり蹴って壊したうえで、全員を瞬時に黙らせた。
「マリアの席はどこじゃ?」
「え、私の……ぁ、あっちにあるけど」
「うむ。そうか、これかや」
入学したばかりのときを思い出すなあ、とエルリィが懐かしんで机をなぞる。他人をどこまでも嘗めた人間のやることだ、と。
「此処におる者は誰に許されてこれをやった?」
エルリィが唐突に放った殺気は教室にいた全員を臆病にさせた。今にも尻尾を丸めて逃げ出そうとするほど弱腰になる者もいて、エリオットやマリアも彼女の殺気にあてられて息を呑んだ。
「そなたらはよくすれ違うたびに儂を悪魔の子と呼び、蔑んでおる。にも拘わらず自分たちは何様のつもりか知らぬが、その汚らしい口と手を使ってマリアを責めるのかや。なんとも醜い底辺の人間じゃ。もし次にマリアに要らぬことをしてみろ。────ただでは済まさんぞ、貴様ら」
エルリィがばんっと汚れた机を叩いた瞬間、新品のように元に戻った。何かしらの魔法を使ったのは分かるが、誰にも何をどうしたか分からない。それがなおさらに恐怖心を煽った。
「ま、儂が言いに来たのはそれだけじゃ。せいぜい清く正しく学生生活を送ることじゃのう。どのような身分の連中か知らんが、息の仕方が分からないのであればいつでも教えてやる。そうでなければ椅子に座って静かに生きよ」
エルリィはそれだけ言って、教室を去り際にマリアの肩をばしっと叩く。
「胸を張って生きよ。誰が許さなくとも儂が許してやる」
「……うん。ありがとう、エルリィ」
「うむ! ではまた会おう、もうすぐ体育祭ゆえな!」




