第26話『守るべき子供』
背筋が凍り付くのを感じて、エルリィの表情が固まった。
言葉に詰まっているのを見てローゼは続ける。
「人間と魔獣の魔力構造はまるで違う。我々が白であれば、あちらが黒のように相容れない魔力を持つ。精霊と契約するときは自分の血液を与えるものだが、それが魔獣には適用されないことは既に実験で証明済みだ。何千年と続いてきて、私たちがお前の想像よりもずっと馬鹿でないとは思わなかったか?」
心臓の鼓動が速くなり、極度の緊張感に襲われて冷や汗が滲む。
自分のひと言が運命の天秤を大きく動かす気がして言葉が選べない。
「私は前に、知性を持った魔獣が存在する話はしたと思う。そういう御伽噺もある。確か────黒曜石の獣と言ったか。それはそれは、大層な存在だったらしい。御伽噺のふりをした伝承……という説もあるほどに」
黒曜石の獣は数多の本能に生きる魔獣たちを、その存在だけで服従させてきた怪物。勇者によって討伐されるまで実に人類の半分近くを血祭りにあげた、まさに生ける災害。存在そのものが悪として知られる。
ただの御伽噺の中の怪物であればいい。だが、魔塔にいる考古学者たちは口々に言うのだ。その怪物は空想ではなく実在していたのではないか、と。
「近年、転生の剣について研究が進んでいてな。あれは御伽噺ではなく真実であったとする説が根強くなってきている。それが実際にそう呼ばれていたのか、あるいは違う姿を持っていたのか。……お前は、どっちだ?」
見透かしているような眼が怖い。薄水色の瞳が静かな水面のように落ち着き払っていて、それを水の中から見て溺れていると思うほど息苦しい。
「わ、儂は……その……!」
「まあ、私はなんでもいいんだが」
「……はっ?」
素っ頓狂な声が出た。ローゼは半ばどうでも良さそうに耳を触っていた。
「お前が魔獣だったとして、本来根付くはずのない善性があるのは傍目に見ても分かる。さっきもそうだが、マリアの身を案じていたお前の顔は滑稽なほど善人だった。だから何者であれ罪には問うまいが……それは私の判断でしかない」
今に煙草があれば良かったんだが、と不服そうに腕組みをする。
「ま、反応を見ればどちらかは明白だ。人間社会に興味があったか?」
「いいや。正確に言えば人間でありながら魔獣の魔力を持っておる」
「どうやって両立させている。フェルム公爵との決闘で見た魔力は……」
「魔力の質を誤魔化す程度はできる。儂は普通の魔獣ではなかったゆえ」
ぶるぶると震えていて、明らかに取り乱した様子で俯くのを見て、いささかいじめ過ぎたかとローゼも僅かばかりの反省をして肩をぽんと叩く。
「話はまた気が向いたときに聞かせろ。これでも研究者だから興味はある。今頃は会場も騒ぎになっているはずだから、そろそろ戻った方が良い」
先を歩くローゼの背中に、エルリィは尋ねた。
「儂を許すのかや。身体は本物の人間じゃとしても……中身はそなたの言う黒曜石の魔獣。否、おそらく伝承に語られる以上の怪物やもしれぬのじゃぞ」
「ん。まあ、そうかもな。お前の魔力や戦闘への慣れは異常だった」
思えばフェルム公爵家に入るよりも前、魔力測定器を三つも破壊するやんちゃぶりを見せたときから妙な予感はあった。魔眼を持っているのもそうだ。
「それでも、お前は子供だよ。たとえどんな生き方をしてきたとしても、お前が魔獣であった時間は、お前に人間の素晴らしさってものを教えなかった。……まあ、手放しに素晴らしいなんて言えないがね」
豪快に笑いながら帰り道を歩いていくローゼに、エルリィは安堵と感謝を抱く。たとえ前世が何よりも凶悪な魔獣だったとしても、それを悪として裁くのではなく本質で見てくれる者たちがいるのだ。九年ぶりに泣きそうになった。
「待ってくれ、儂を置いていくな!」
急いでローゼの隣に並んで歩く。ぎこちない関係ではあるが信頼はできた。
「そういえば、お前が魔獣だったのはいつ頃の話なんだ。いつ人間に?」
「おそらくにはなるのじゃが、五千年前。勇者によって討たれた日を境に、儂は五千年の時間を超えて、この時代に人間として生まれた」
記憶や魔力を継承していた理由は分からない。転生の剣にそんな力があるかどうかも、実際に転生した者にしか知り得ない話だ。証明は難しい。エルリィ自身に理解できるのも、自分が人間に生まれ変わったという事実しかなかった。
「儂は勇者と最期の時を過ごし、僅かではあったが言葉を交わしたのじゃ。……そのときの奴の顔と言葉が忘れられず、儂は人間に生まれ変わり、善人として生きたくなった。どんな苦境に立たされてもそうあってみたいと」
懐かしむエルリィの横顔に、ふむ、とローゼがあごを擦った。
「お前、御伽噺は読んだことがないのか?」
「興味が湧かなかったのと、儂の最初の七年は良いものではなかったから」
「……それでよくまともに育ったものだよ」
自分ならとっくにグレているな、とローゼが笑い飛ばす。
「あの御伽噺は目を通した方がいい。そもそもの著者が誰かも分からず再編したものだが、もしかしたら、お前の時代からあるのかもしれないぞ」
「そんなに古いものが? 風化してなくなっとらんか?」
ニヤッ、と笑ってローゼが頭を撫でた。
「歴史家ってのはどの時代にもいるもんさ。次の時代のために残した奴がいたのかもしれない。学院にある図書館に何冊か置いてあるから目を通しておけ」
「ん、わかった。そうまで言うのであれば読んでみるとしよう」
ようやく明るい顔に戻り、震えも消えて血色も良い。
少しは落ち着いたと分かってローゼもひと息吐く。
「このこと、他に知ってる奴はいるのか」
「アウレリアには全て伝えてある」
「そうか。なら他の誰にも話すなよ。どこから漏れるか分からない」
実際、ローゼも偶然知ってしまったに過ぎない。随分と生活に馴染んでいたからか、エルリィの警戒心が薄れてしまっているのを指摘して、話を続けた。
「もし魔獣を操れるとなったら、たとえ人間だろうがそうでなかろうが、あまり良い立場にはいられない。人間は自分たちにとって脅威と判断したら即座に排斥する方向へ舵を切るものだ。納得させるにはそれなりに準備が要る」
会場が見えてきて、そろそろ話も終わりだとローゼはひと言だけ。
「土台を整えるために可能性を模索する。私を信じてくれるか」
差し出された手を恥ずかし気に、エルリィはぎゅっと握って繋いだ。
「……うむ。ありがとう、絶対に信じるとも」




