第22話『晴れた心』
どうせ後から裏切られるなら今に殺される方がずっといい。
アウレリアが剣を取ったとき、エルリィは黙って腕を地につけて頭を垂れたまま動かなかった。目を瞑って覚悟さえ決めた。
「デカいし重さも普通じゃないな。こんな鉄の塊みたいなものを振り回していたのなら、そりゃあ私と同じサイズの木剣を振りたいと言うわけだ」
思わずエルリィが顔をあげた。アウレリアはまったく敵意がなかった。
「まさか殺さぬとは」
「私が殺すように見えてたのか?」
「いや、だって……」
自分は殺人鬼だ、と言いそうになって言葉に詰まった。
見透かしているアウレリアは、くすっと小さく笑う。
「それならもっと仲が悪いときに言ってくれればそうしたかもな」
「では、そなたは儂の味方でいてくれるのかや」
「当たり前だろ。命を捨てる覚悟で打ち明けてくれたんだから」
ぐるりと周囲を見渡して、明らかに異質な場所でエルリィが普通の存在でないことは理解させられてしまったが、だからといって嫌いにはなれなかった。
「お前が誰でもいいよ。たくさん殺したのが何百年前でも何千年前でも、お前はそのとき勇者に討たれて、人間として生まれ変わったんだろう?」
剣を床に突き刺す。屈んでエルリィの目線に合わせた。
「今は人間のために役立ちたいとやっていることは、間違いなく正しいんだ。私はそれを信じたいし、信じさせてほしい。誰も味方がいない辛さは分かるよ」
父親の愛情は感じていても、それがアウレリアにとって良いことではなかった。兄たちからの嫌がらせを受けてなお見て見ぬふりをして、強くなればいいという感性だけで見放されたアウレリアは、ずっと孤独を感じていた。
使用人たちとも仲が良いわけではない。嫌われてもいないだけマシといった具合で私生活について愚痴を零す間柄にもなれなかった。
「学院に来るまで私も独りだった。お前が勝手にトランクの中身を覗いたときはどうかと思ったが、おかげで寂しさは消えたよ。ありがとう、これからも力になれることがあったら、なんでも言ってほしい」
ほんの僅かでも見捨てられると疑い深く考えていたことを後悔するほど、アウレリアの表情は柔らかく、明るくて、思わず抱き着いてしまった。
「んはは! そうかそうか、儂の友達でいてくれるか!」
「おいおい……。笑うのか泣くのかどっちかにしろ」
「うれし泣きじゃ、馬鹿者! 本当にありがとう、やっと悩みが消えた!」
「それならいいんだが。あ、その代わりひとつだけ約束を」
すっ、と自然にエルリィを引きはがして真顔で言った。
「帰ったら私の本にサインを貰えないだろうか。実はどちらかというと悪役の方が好きになるタイプで。公言できないからずっと黙ってたんだが」
「ちゃっかりしとるのう……。しかし、その本が本当に儂に関わるものかどうか分からんぞ。その本に出てくる勇者に名はあるのかや。関係なかったら儂もそなたも結構な赤っ恥とか黒歴史とか、最悪の記憶になるやもしれんぞ」
それはそうだ、とアウレリアは顎を擦った。
「私の本では勇者の名はイオニア。悪役に飾られた名は黒曜石の獣だった」
エルリィは目を丸くして、言葉を忘れたようにぽかんと口を開けたまま。
奇跡を信じて良いのなら。此処はまさしく知った世界であると真実を得た。
「……その本の御伽噺は伝承ではないのかや」
「さあ。いつ誰が書いたかも分からない本を再編したものだから」
「そうか、そうか。そうであったか」
立ちあがって、はあ、と全身の力を抜いて空を見上げた。
「イオニアは儂を殺した男の名じゃ。誰が書いたかは分からずとも、その原点がどこにあるかは分かる。となれば転生の剣が展示されていた理由も納得よ」
生まれ変わって。ずっとその面影を追い続けた。本当に此処は自分の敬いを抱く勇者のいた世界なのかもおぼろげなまま。
記憶に浸るエルリィにアウレリアは思い出したように尋ねた。
「となると展示されていた転生の剣は本物ということか」
「うむ。そなたの本も、元々は伝承のために書かれたものが時代と共に人々の記憶から薄れていった結果なのじゃろう。ふふ、また見に行きたくなったわ」
己の玉座を振り返り、再び現れた己の影と目が合った。
『思うがままに。それが善くとも悪くとも』
吹っ切れたような笑みを浮かべて影は塵になって消えた。
(うむ、頑張るとも。人間に信じてもらえるように、思うがままに)
憂いはない。自分が進むべき道は、ようやく定まったから。
「あまり長居も無用じゃ、帰ろう」
「あ、そうか。私たちはこの空間に移動してるから……」
「いやあ、少し違う。領域魔法の延長と言うたろ」
周囲の景色がガラスのように罅割れて崩れ始める。
「此処は儂の心象世界、精神そのもの。入れるのは肉体ではなく魂じゃ。ひとときの夢だと思え。じゃが目は閉じた方が良いぞ、慣れないと酔うゆえな」
人前で吐くようなことがあってはまずいとアウレリアは咄嗟に目を閉じる。エルリィは「また合図してやる」と明るい声で言った。
それからしばらくして戻って来た世界の光景は時間が経っておらず、心象世界が外部の時間とは隔絶されていると分かってアウレリアはまた驚かされた。
「……本当に夢を見てたみたいだ」
「じゃろう。儂は眠るとき、ときどき心象世界に戻って眠っておった」
「どうしてだ? 寂しくならなかったのか?」
「逆じゃ。安心できた。あの世界だけは誰にも汚されぬ聖域じゃった」
どんなに辛い時でもかつての自分を思い出せる場所は、過酷な環境にすら耐えうる精神力をもたらしてくれる。だが、いつしか世界が変わり始めて、少し前から自分の影が現れるようになった。
何かを訴えかけるような目で、ただ玉座から見つめ続けた。此処にお前の席はないとでも言われている気がして、いつしか不安ばかりが募るようになった。自分の居場所は不安定でいつも揺らいでいて。
「もう二度と、あの心象世界は現れぬであろうよ。今になって思うのじゃ。あの世界のカタチは儂の迷いそのものだったのではないかとな」
「迷い、か。まあ、お前の立場は複雑すぎるから当然にも思えるが」
ふらついたエルリィはベンチに座り込んで脱力して、心配そうな顔をしたアウレリアにニヤッと強気に笑って元気に振る舞った。
「今日からはもう帰らなくて良いと思うとせいせいする。そなたのおかげじゃ、来てくれて助かった。────そのついでに、ひとつ頼まれてくれんか」
嫌な顔をするなあ、とアウレリアは彼女の企みを察しながらも、隣に座って空を見上げて、ゆっくりと目を瞑った。
「あまり無茶な要求以外なら構わないよ」
「うむ。ならば言うが────儂の代わりになってくれんか?」




