第21話『御伽噺』
真剣な声色にアウレリアは手を伸ばすのを躊躇した。普段ならば微笑んでいて身近に感じさせてくれるエルリィが、いつもよりずっと鋭い眼つきをしているのに思わず息を呑んでしまった。
「怖いかや。儂の根底にあるものに触れるのが」
「あ……それは……その……」
申し訳なくなって俯き、首を擦った。言葉がどうしても出ていかない。
手を取ってしまったら何もかもが変わってしまいそうだったから。
「分かるとも。この手に触れれば、そなたは全てを知ることになろう」
アウレリアの前に立ち、エルリィは寂しそうな顔を浮かべる。
「たった数ヶ月といえども、そなたはいつでも儂と共にいてくれた。ゆえ、これは敬意の表明である。もし軽蔑されるなら今の方がいい」
もし自分の全てを晒したとして、デメリットなどないに等しい。誰かに話しても信じてもらえないだろう。エルリィがひとつだけ不安なのは嫌われることだ。仲良くなっていけばいくほど、自分のことを話せなくなる。
いつかは隠し通せなくなるのだから、誰かを味方につけたいのだ。その最初はアウレリアが良い。他の誰でもない親友になってしまった、今は。
「……それはお前にとって良いことなのか?」
「いいや、良いとは言えぬ。じゃが、進むべきときじゃと思うた」
ぎゅっと拳を握って、ただ本音を告げた。
「無邪気な子供の時間はそれなりに過ごさせてもらった。ここからは、少しずつ儂の仲間を増やしたい。でなければ、きっと儂の道は途切れてしまう。ヒトに生まれたのであれば、儂はヒトを守って生きたいのじゃ」
もう一度だけ手を差し出す。取ってもらえなければ、すっぱり諦めようと思った。得られないものに嘆くつもりはない。これまで通りの関係も無理になるとしても、裏切られたと思うよりはずっとマシだ。傷は浅い方が良い。お互いに。
「お前が何を言ってるか、私にはよく分からない」
離れた場所で授業を真面目に受ける生徒たちを一瞥して、アウレリアは立ちあがった。それからエルリィの手を優しく握った。
「だが、悪い意味じゃないのは分かる。見せてくれるか?」
「……うん」
繋いだ手の温かさを嬉しく思う。そして祈った。
どうか彼女が後悔しませんように、と。
「目を瞑ってくれ、アウレリア。儂が良いと言うまで」
「ああ、これでいいか?」
瞼の裏側を見つめて、アウレリアは待った。
握り返された手がきゅっと強まると緊張から鼓動が早くなる。
「もう良いぞ」
言われて、ゆっくり目を開いたとき、目の前の光景を疑った。
一面に広がる荒野。空に昇る深紅の月。その中にぽつんと聳える古城。
「……此処は……なんだ?」
全身から冷や汗が噴き出しそうなほどに肌をひりつかせる濃い魔力。立っているだけで精一杯で身動きが取れない。死を予感させるような場所だった。
「うむ、説明をする前に少し楽にしてやろう」
握った手からエルリィの魔力が流れ込んでくると、息苦しさが消えていく。もう何時間も鍛錬をした後のような疲れが体に重く圧し掛かった。
「ついて来るがいい、案内しよう」
「ああ……」
エルリィの数歩後ろを歩いて城へ入る。
物々しい雰囲気のある崩れかけの古城を躊躇なく進んでいく。
「どこまで行くんだ?」
「最上階。不可侵の玉座まで」
それ以上をエルリィは何も語らない。ただ黙って歩き続け、辿り着いた玉座の間を見て絶句した。天井も壁も崩れていて深紅の月明りによって照らされた玉座は、まるで血塗られているかのようだった。
「あれは……誰か座っているのか?」
極端に長い黒髪。宝石の如き美しさの赤い瞳。全身を服の代わりに雑に黒い包帯で覆って、玉座でだらしなく寛いで見下ろす女がいる。人間にも見えたそれは側頭部から黒い角を生やしていて、魔獣と同類の魔力を宿す。
「誰だ、お前によく似ているが」
「魔獣の王。あるいは黒曜石の怪物と呼ぶ」
「それって、あの御伽噺によく出てくる……?」
「さあ。そのあたりは確信がないゆえ」
御伽噺は読まないのでアウレリアの例えは分からなかったが、自分がそう呼ばれて御伽噺の悪役になっていたのだとしたら面白いと思った。
「此処は儂の心象世界。領域魔法の延長と言えばわかりやすいか」
「領域魔法って……論理的には可能な魔法とは聞いているが」
「常人では展開するのに、とても魔力が足りぬよな。儂も使うと疲れる」
とんとん肩を叩きながら、ため息を吐く。
アウレリアは不思議そうにエルリィと玉座の何者かを交互に見た。
「あの真顔で座ってる奴は知り合いなのか?」
「いいや、違う」
エルリィが玉座に近付くと、黒曜石の怪物は黒い煙となって消えた。
ひじ掛けをそっと手で触れて、懐かしむような顔をする。
「儂はあまりにも多くの命を奪った。言い訳に過ぎぬとは分かっているが、あの頃は確執もあった。儂自身、人間には酷い目に遭わされてきた過去がある。それゆえに命に興味というものがなかった。今は……想うところが多すぎる」
側頭部を手で押さえ、角をなぞるように動かして生やす。髪色は黒く染まり、顔の前を手で横切らせると瞳は深紅に彩られていく。
「名もなき黒曜石の怪物は、かくして勇者に討ち取られた。転生の剣によって胸を貫かれ。世に対する怨みも忘れ。ただ静かに眠りに就いたはずじゃった」
アウレリアは目の前にいる親友の姿がまさしく先ほどまで玉座に腰掛けていた魔獣の王と瓜二つの外見に変わって、目を見張った。だが、恐怖は感じなかった。あまりにも悲しそうな瞳をしていたから。
「本当の名前はあるのか」
「ない。知性のある魔獣は自らを名付け親にしたが、儂は興味がなくてな」
「……今もその姿を隠していると?」
「いいや。今は紛うことなき人間である。生まれ変わったのでのう」
ぱっと手を仰向けにすると、魔力によって転生の剣が形だけ再現される。
「転生の剣はまさしく魂の循環を促す剣じゃ。儂はそれに貫かれて死に、そして目が覚めたときにはエルリィという名を抱いて人間に生まれていた。じゃが、ひとつだけ問題があった。この魔力は魔獣の王であった頃そのものなのじゃ」
一定のラインを越えてしまうと魔力が黒く染まる。そうなったとき、周囲にどう認識されるかは分かっている。ただでさえ魔女の系譜として外見を揶揄されているというのに、それが真実となったときの反応は考えたくもない。
「魔力が黒いのは魔獣の証か。私もそれは聞いたことがあるが、だからといってお前が生まれ変わった魔獣の王だと誰が信じるんだ? いっそ堂々としても、お前が特殊なだけだと思われるんじゃないのか?」
エルリィはかぶりを振って否定する。
「それが出来れば苦労はせん。儂の魔力が特殊であるということは────魔獣は儂を見つけたら、襲うのではなく屈服してしまう。飼い犬のようにな」
アウレリアもこれには思考を巡らせて即座に理解を示す。
「なるほど、つまり最前線に立てば間違いなくまともな魔獣であれば、お前に服従を示してしまうのか。となると、いずれ皆が知ることになる……。だから自分の代わりになる英雄を育てようとして?」
エルリィはゆっくり深く頷いた。
「今の人類の水準は魔獣たちに劣る。もし彼奴等の中に儂のような知性を持つ者が現れたり、あるいはもっと巨大な種が現れたら成す術がなくなるじゃろう。ゆえ、魔塔なぞに入るくらいであれば、儂はもっと多くの人々を育てたい」
元の姿に戻りながらアウレリアの前に立って見上げ、やんわりと微笑む。
「出会い方こそ悪かったが、今やそなたは誰よりも信頼できる。ゆえに話しておきたかった。できれば、そなたに英雄育成機関を創設するための最初の成功例となってほしい。じゃが、もしも。もしもの話であるが」
仰向けに翳した両手に集まる黒く光る魔力が肉厚で大柄な剣となる。エルリィはそのまま跪き、アウレリアに捧げるように掲げた。
「────儂を人類の敵と呼ぶのなら、今此処で首を刎ねてほしい」




