第15話『中立の立場で』
掴んだ手をドナートがバシッと叩いて払う。
「口を慎め、貴族風情が。我々魔塔の魔法使いがいなければ今日までの人々の生活はない。できもしないことで私を挑発するのはやめろ。大言壮語も程々にしておかなければ恥を掻くのは君だぞ、パードリグ公爵令嬢殿?」
ふん、と鼻で笑って見下す視線に、エルリィは叩かれた手を見てから。
「では儂の言葉に乗るという判断でよいのかや」
「やってみろ。私を此処まで侮辱したんだ、そちらこそ覚悟して────」
同意があった段階で、エルリィは彼の言葉に耳を傾けなかった。アベルの手をぎゅっと握って包み「元気にしてやるからのう」と囁いて、膨大な魔力を瞬く間に消費する。常軌を逸した魔法の行使に、ドナートは唖然とした。
「あ、ありえない……これは、時間を巻き戻して……!?」
たかが子供が、どこで覚えたのかも分からない時間を巻き戻す魔法を使った。アベルの体は火傷する前の綺麗な状態に戻っていく。ありえない。常人であれば行使するだけでも無理だ。あまつさえ行使できたとして、消耗が激しすぎて自分の命すら落としかねないほどの身体的負担も掛かる。
成熟していない子供の体にどれほどの魔力が宿っているのかという興味が湧き、自分の進退さえも数瞬の間、忘れてしまった。今、自分は奇跡を目の当たりにしている。神の領域に踏み込んだ天才を見たのだと。
「……うむ。まあこの程度か、十分じゃのう」
エルリィが包帯を外せば、アベルの焼けただれた体は綺麗になっていた。ドナートは信じられずに、すぐにその体に触れ始めた。
「どうなってるんだ、本当に時間を巻き戻したのか? いや、待て。外傷は直せても内部は……なんと。呼吸も安定してるじゃないか。少なくとも火傷は五時間は経過していたのに……あり得ない、ここまで戻せるものなのか?」
あまりに先ほどまでの険悪ぶりが消え、エルリィをそっちのけでアベルの体をベタベタと触るので、光の縄に体が縛り上げられた。
「ぬわっ! 何をする、放さないか!」
「阿呆か。乙女の体を触ることに躊躇いを覚えよ、痴れ者め」
「体を念入りに調べなければ納得がいかなかっただけだ!」
「研究者根性は認めてやるがのう。────もうその機会もなかろう」
冷めた瞳に見下ろされて、床でじたばたしていたドナートが顔を青くした。研究がどうのと騒いでいる場合ではない。目の前の奇跡に駆られて失念していたエルリィとの約束に、ぎりっと歯を噛んだ。
「ふざけたことを言うな、魔塔の魔法医師がどれほど貴重か知らないのか! そもそも私は、その分野でも研究の第一線に立っているんだぞ!」
「ほお、そうかえ。貴様の代わりなどいくらでも現れるであろうよ」
馬鹿馬鹿しいと聞く気にもなれず、足を組んで椅子に座り、手招きしてウルスラを呼んで何人かの騎士を連れてくるように言った。
「お帰りじゃ、丁重に運んでやれ」
騎士たちに捕まえられたドナートは自分は悪くないの一点張りをする。「あんなものは治癒ではない」と、エルリィが先に約束を破ったのだと主張した。
当然、その言葉に彼女は丁寧に反論をしてやった。
「儂は元通りにしたら、と前もって言っておいたはずであるが」
「そんな屁理屈が通ると思うのか! 治療行為でなければ私は認めない!」
なんとしてでも逃れようとする男に、廊下を歩いて来た誰かが言った。
「屁理屈が通るかどうかは私が決めてやろう。いかがかな、ドナート?」
やってきたのはローゼだった。どうやって屋敷に入ったのか、とエルリィが部屋の外を覗いてムッとした顔を浮かべた。
「先にルール違反をしたのはお前だ、エルリィ。そんな顔をするな」
「は~い。……それで、ローゼはこやつと知り合いなのかや」
「ああ、私は魔塔主も兼任してるからな。毎日忙しくて眠れんよ」
「まさか帰りたいって、いつも魔塔に……?」
その答えは、にやりとした顔ひとつで伝わった。
「これでも研究者なものでね。それで、患者を治したという話だが」
好機と見て、ドナートが口を挟んだ。
「スウィートレッド様! 些細な諍いから、この者は自分が治療に成功したら私に魔塔をやめろと言うのです! しかし彼女が行ったのは治療ではなく、時間を巻き戻すといった行為でありました! いくら奇跡といえど文言とは違う屁理屈で私を追い出そうとしているのです、どうか公正な判断を────」
退屈な言い訳だな、とローゼがため息を吐く。
懐から煙草を取り出してウルスラに止められた。
「此処は禁煙です」
「……うむ、まあ、火災現場で煙草は無神経だったな」
エルリィを連れ戻しに来ただけなのに余計なことに巻き込まれたと眉間にしわを寄せてうんざりした顔を浮かべたが、静かに煙草を懐にしまった。
「それで、だ。時間を巻き戻せることについては知ってるが、それが治療行為には当たるかどうか、双方の意見を仰ぎたいところだな。まずはドナート・クレイトン。お前から話を聞こうか」
これだとばかりに顔をぱあっと明るくさせたドナートが饒舌に語りだす。
「いいですか、スウィートレッド様。時間を巻き戻すというのは現在を過去へ繋ぎ、改変してなかったことにする行いです。それは治療魔法とは根本から違います。彼女がやった行いは治療という括りの中にはないのです」
「お前の言い分は理解してやろう。それで、エルリィ。お前は?」
ドナートの話には大して耳を傾けなかった。大体、何を言うか予想はついていた。双方の言い分についての判断の中心はエルリィの話にかかっている。
「儂は元に戻すと言うた。そも、あれが治療行為でなければなんなのじゃ。過去を改変することで傷を癒したのは事実ではないか。あのまま放っておけば死んでおったというのに、へらへら笑って挨拶してきおって」
「余計なことはいいんだよ、エルリィ。いちいち火に油を注ぐな」
言い分を聞き終えて諫めたら、ローゼは部屋の中を覗く。
「まだ起きてないな。気を悪くさせては申し訳ないから判断を急ぐが」
二人を交互に見て、気分を落ち着かせようと懐の煙草の箱を握りしめた。
「広義的に見て元の健康状態に戻すことを治療と言う以上、エルリィの行いはそれに等しい。私は問題ないと見るが。いや、そもそもドナート。さっきから聞いていれば随分と保身の話ばかりだが、患者の命は助かったんだろう?」
「それとこれとは違います。彼女は私の誇りを傷つけたのですよ」
「ふむ……。わかった、ならばエルリィとの件は不問にしよう」
これに不満を唱えたのがエルリィとウルスラだ。間違いなくドナートが発端であり、現状に至ったのだ。不問にすると言われて納得できるわけがない。
「ローゼ。儂ではなく、この男を信用するというのかや」
「お嬢様は間違っていません。私もこの目と耳で確かめております」
二人がローゼに詰め寄った。ドナートは後方で腕組をして嘲笑する。
「あ~、うむ。言っていることは分かるが、お前たちも攻撃的な態度を取ったならおあいこだ。治療行為に関しても、ドナートの処置があったからこそ、お前が時間を巻き戻せたのだろう。あの魔法を使っても死人であれば蘇るまい」
「むう……それはそうであるが……!」
悔しそうに俯くエルリィの頭をローゼはぽんと優しく撫でた。
「何も全部がお前の思い通りにいくことはない。それが社会という奴だ、ときには正しくとも苦い思いをすることはある。────今回はそうではないが」
目を細めて、生意気で不躾な魔法使いを憎たらしげに見つめた。
「ドナート、明日から魔塔に来なくて結構。患者の命が助かったことも喜べず、自分の誇りを優先するような男に魔法医師を名乗らせるつもりはない」




