第14話『侮辱』
エルリィとアウレリアは準備を終えたら、ふたりで眠った。
すうすうと静かな寝息を立てて、ぐっすり朝まで。
そんな穏やかな時間も、陽が昇った頃には打ち砕かれることになる。
午前七時、学院長室で煙草を優雅に吸っていたローゼのもとへ駆けてくるいくつかの足音にうんざりしながらも灰皿にもみ消す。飛び込んできたのはエルリィで、待っていましたとばかりにローゼはくるりと椅子を前に向けた。
「やあ、おはよう。よく眠れたかね?」
「……どういうことじゃ」
「どうもこうもない。昨晩の深夜、パードリグ公爵邸で火災が起きた」
業務的に、淡々と、ローゼが語った。
「時刻は深夜二時。邸内に忍び込んだ何者かが火を放ったようだ。邸内を巡回していた執事の証言では体格が華奢に見えたらしいから、犯人は女だった可能性が高い。幸いにも死亡者は出ていない。とはいえ重症者がいる今だと、そうも言えないか。逃げ遅れた人間の救助のために命を擲ったメイドがいるそうだ。名前は確か……そう、アベル・マーキュリーだったか。魔法医師が付いているが状態が悪すぎて、治ったところで表面的なものだと────あっ、おい! どこへ行く!」
話を最後まで聞かず、エルリィは駆けだした。道中ですれ違ったアウレリアたちに挨拶もしないまま、手続きさえ無視して学院の外へ出た。退学になっても構わない。そんなものよりも家族の方がよほど大事だと。
パードリグ公爵邸の火事は、幸いにも酷いものではなく、広大な面積から言えば骨折程度の些細なものだ。しかしながら厨房やメイドたちの寝室など、出火したと思しき場所はいくつかあり、炎に囲まれて逃げ遅れた者たちがいた。その救助に携わったアベルが最後まで邸内に残ったせいで逃げ場を失ってしまったのだ。
「お嬢様!」
「ウルスラ、状況を聞かせよ。アベルはどこじゃ?」
「離れの空き部屋で治療を……ですが……」
悲しそうに唇を噛んで俯くウルスラに感情移入はしない。
「細かい話はあとで聞く。まずはアベルのところへ行きたい、案内せよ」
「っ……はい。こちらです」
他の使用人たちはエルリィの淡々とした様子に、ひそひそと陰口が叩かれた。従者ひとりのために涙を流さないまでも、せめてひと言くらいはあってもいいだろうに。なんと共感性に欠けた御方か。大人になるにつれ、より恐ろしくなられた。どの言葉もエルリィを傷つける刃になった。
気にしてウルスラが彼らを見たが、エルリィは振り返りもしなかった。
「放っておけ、時間の無駄じゃ」
「ですが彼らは……」
「評価など後から覆せる。問題ない」
普段使いされていない離れは火災から免れ、いつでも客人が泊められるように整理がされており、埃も積もっていない。大体の家を持たない住み込みのメイドたちは、しばらくを離れで過ごしていた。
エルリィを見るなり姿勢を正して深く頭を下げ、通り過ぎるのを待つ。行き届いた彼らの教育にはウルスラの出来の良さが窺えた。
「よくぞこれほどのメイドたちを纏めておるものよ。もう慣れたものかや」
「慣れはしませんね。厳しく躾けなければなりませんから、嫌でも嫌われ役を買うことになりますので。理解してくださってる方々は良いのですが……」
全員を納得させるには、まだまだ遠い。エルリィからしてみれば十分にも映るが、ひとりひとりを相手にするウルスラとしては難しい仕事だった。
「それだけにアベルがこんなことになってしまって……。誰も残っていないか確認してくると言って、中に入っていくとは思わなかったんです」
「うむ。賢明とは言えん判断ではあるが、そのおかげで死者はおらん」
仕事をさぼって話していたメイドが、よくもそこまで変われたものだと感心さえする。そしてアベルの眠る部屋に入って、ベッドで横たわる彼女の包帯に包まれた痛ましい姿を見て慰めの言葉も出てこなかった。
「エルリィお嬢様ですね。私は魔塔から派遣されました、医療魔法使いのドナートです。今はアベル様に痛み止めの魔法薬の投与を済ませたところで……」
ニコニコと話をして手を差し出してきたので、エルリィはジッと顔を見た。
「ドナート……。うむ、名は覚えたゆえ、もう帰って構わぬぞ」
「え、はい? 何を仰います、この状態で患者を置いてはいけませんよ」
慌てるドナートが、エルリィに患者の状態を説明しようとする。
だが、手で制されて口を噤んだ。
「儂は帰れと言うておる。その酷い状態の患者を前にして、笑顔で挨拶することが礼儀の男から聞くべきことはひとつもない」
かあっ、と顔を真っ赤にしてドナートが明らかに腹を立てた顔になった。相手が公爵令嬢といえども、魔塔に所属した瞬間から彼らには貴族たちをも恐れない階級社会で生きるようになる。たかが魔法使いの見習いに言われては腹も立った。
「あなたに粗相のないよう振る舞おうとしたに過ぎません、不躾だったことは謝罪しましょう。ですが、魔法医師でもない学生の身分で何を偉そうに仰るのです。私は魔塔から派遣された医師なのですよ、ご令嬢」
「それがアベルの傷が治せない理由か?」
これだから素人は、と呆れて鼻を鳴らす。
「あのですね……。まず、時間が経ちすぎています。それに元々が酷い重症でした。生命維持をするのが精一杯です。煙の吸い過ぎによる火傷も、魔法薬による体内からの治療も試みたうえで彼女の命は長くないと言っているのです。治癒魔法の知識がないあなたには分からないのでしょうが、これ以上の見込みは────」
プッ、とエルリィが噴き出して言葉に詰まった。ここまで説明してやっても、まだ侮辱するのか。ドナートは怒りを通り越して呆れてくる。公爵令嬢ともなると、ここまで傲慢になれるのだなと。
「何度も言わせるでない。これまでの処置はご苦労であったが、あまり偉そうにするな。儂とて我慢の限界はある。もう一度だけ言う、出て行け」
振り向きもせずに追い払おうとすると、ドナートは怒り任せにエルリィを罵った。ほんの一瞬でも憚ることなく、声を大きくして。
「ぐっ……だったら勝手にするといい! 子供だからと調子に乗りよって、生意気な態度を取って後悔しないことだな、世間知らずめ! お前のような子供に何ができるかが見物だ! 医師ですら救えない命をどう救うのかがな!」
エルリィは優しく、火傷していないアベルの手に触れてから立ちあがる。
「じゃあ、もし治せたら、貴様は魔塔を去るのかや」
「……は? 何を言ってる?」
「そこまで啖呵を切ったのじゃ。その無礼の責任を持てるのか」
ドナートの白衣を掴んで引っ張り、顔を近づけてギラついた眼差しで笑う。
「儂への侮辱はまさしくパードリグ公爵家への侮辱に他ならぬ。儂がアベルの傷を元通りにしたら、貴様には相応の償ないをしてもらおう」




