第4話『背負った期待』
食堂まで、ウルスラと手を繋いで歩く。
広い屋敷は煌びやかで、美しくて、何もかもが新鮮だ。
壁に掛かった風景画の繊細で大胆な色使いで表現された美しさは、立ち止まって見惚れた。人間は素晴らしい。魔王としてありとあらゆる魔獣を率いていた頃は、人間の文化になど目を向けたこともなかったと振り返り、自分に呆れた。
きっと転生前も、さぞや美しい絵画が飾られていて、そこにある風景は焼き尽くされた村にあった長閑な景色の一枚だったのかもしれないと。
自分が人間になってみて初めて分かることはまだ多い。エルリィは、かつての自分がいかに愚かであったかを、ただ歩くだけで思い知らされてしまった。
「こちらです、お嬢様。お入りください」
「あ、……もうウルスラはついてきてくれないのか?」
「ただのメイドですので」
やはり淡々としている。さきほどの笑顔は偶然だったのだろうか。もっとウルスラと仲良くなれればいいな、と思いながら意を決して食堂に入った。
待っていたロドリックは愛らしい姿のエルリィを見て頬を緩めた。
「綺麗になったな、エルリィ。自分で椅子には座れるか?」
「うむ、問題ない……です!」
「ははは、今は気を遣わなくていいんだぞ」
「いいえ。儂がそうしたいのです」
人間には敬意を払うべきだ。邪な心を持っている人間ならば話は変わるが、ロドリック夫妻には恩がある。もし拾われていなければ、今もまだ薄暗い部屋の片隅で、いつまでも終わらない掃除を繰り返していたのだから。
「ふむ、君が言うなら構わないが」
「とにかく食事にしましょう、あなた。エルリィもお腹が空いてるはずよ」
食べないことには慣れているだけで、空腹は誤魔化せない。前世ですら食べたことのない豪勢な食事を目の当たりにして、腹がぐうっと鳴った。
「おお、すまないな。はやく食べなさい、まだ温かい」
「あっ……ありがとうございます」
ナイフとフォークの使い方は完璧だ。小さく細い手でも十分に動かせる。4歳頃までは手の動きもおぼつかなかったが、今は慣れたものだと得意げにステーキを切り分けた。なにより肉が柔らかい。昔食べていたものは火が通り過ぎていたのか、あるいは質が悪かったのか。味も酷ければ触感も革靴を食べている気分だった。
では、パードリグ公爵家で出されたものはどうか。肉は柔らかく、口の中で蕩けるようだ。子供の歯でも簡単にかみちぎれる。たっぷりと広がっていく油はしっとりとしていて嫌味がなく、ニンニクを使ったソースが味わい深い。エルリィは世の中にはこれほどまでに食事を楽しむ文化があったのかと驚愕してしまった。
「お、美味しすぎるぅ……」
七年も生きた甲斐があると感動しながら、味わって咀嚼した。これなら何枚でも食べられそうだった。愛らしい光景にはパードリグ夫妻も、連れてきてよかったと心からエルリィを歓迎する。
「君には、その量だと足りなさそうだ。もっと用意させよう」
ざそや抑圧されてきた食生活だったろう、がっつく姿から飢えを感じた。
手元のベルをちりんと鳴らすと、執事が入ってくる。
「彼女に料理の追加を頼む」
「かしこまりました」
呼び出された執事は主人の前で紳士的に振る舞い、用意された服に身を包んで必死に肉を喰らう少女の姿を見て冷めた視線を密やかに送った。
(……む、儂はこの者に歓迎されていないようじゃのう)
所詮は孤児。それもひどく薄汚れた、彼らから見れば底辺の人間。ともすれば歓迎されないのが普通であって、夫妻とウルスラの優しさが身に沁みた。
「気分が優れないかね?」
「あ……いえ。歓迎して頂けない方もいるのだなと思うたので……」
執事やメイドの中には、なんの身分も持たない孤児から跡継ぎを選ぶのをよく思わない者も多い。冷ややかな視線は屋敷に入ったとき、既に感じていた。
しかし、だからといってロドリックが彼らを非難することはなかった。
「君の言うとおり、見たところ執事も歓迎はしていないようだ。かといって君を特別扱いして彼らを責めたりはしない。この意味が分かるかな?」
前世の経験がなければ、みだりに頷いていたことだろう。ロドリックがどう答えるかを見ているのはエルリィも気付き、ゆっくり力強く頷いてから。
「結果でねじ伏せる。それ以外にないと思うております」
子供とは思えない鋭い眼差しにスマートな返答。ロドリックは自分の見る目を疑っていなかったが、想像を超えてくる七歳児には驚嘆させられる。
「公爵家の者は皆が気高い人間だ。君が彼らに認められるためには、彼らを納得させるだけの理由がいる。すなわち、公爵家の人間に相応しいという結果だ。過程は要らない。彼らが仕えるべき主人としての自分を見つけなさい」
さながら試練のように与えられたそれは、エルリィにとってなんら難しい問題ではなかった。言葉や行動ひとつで変えられるものがあると、ある男から強く学んでいたので、自分にもできる絶対的な自信があった。
追加の料理がワゴンに乗せて運ばれてきたとき、ウルスラが心配そうに『何も問題はないか』という目つきをエルリィに向けた。無表情で、愛想らしい愛想もないが、根底にある優しさが隠しきれない気の良い娘であるとエルリィは微笑む。
「さて、エルリィ。食事が済んだら、部屋も用意してあるからゆっくり休むといい。結果を見せろとは言ったが、今日くらいは疲れを取るべきだろう」
「ありがとうございます。絶対に期待に沿ってみせよ……みせます」
恩に報いるため、必ず公爵家の人間に相応しい言葉と行動をと胸に刻んだ。
「あなたはやっぱり見る目があるわね、この子なら上手くやれるわ」
クリスティがエルリィを前に褒める。ロドリックも同調して頷く。
「でなければ君と結婚はしていないだろう。エルリィも必ず、私たちの期待を超えてくれる。公爵家の跡を継ぐのだから当然ではあるがね」
自慢の娘に育ってくれるよう祈りを込めた眼差しに、エルリィは少し照れくさくなって、食事に集中するふりをして顔が赤いのを誤魔化す。
(この調子で褒められ続けると、儂は馬鹿に育ってしまいそうじゃ……)




