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みなしご令嬢はかく語りき─前世魔王の人間賛歌─  作者: 智慧砂猫
Chapter.2

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第6話『やり直す機会を』

 ほんの僅かな間宵はあったものの、エルリィはすぐに自分の名前を書いて血判を押した。時間を巻き戻す魔法を単独で行使できる人間がいない以上、不必要な注目を集めてしまうのは避けたい。簡単に口を割るとも思わないが、念のためだ。


「これで良いのじゃな?」

「ああ、契約は成立だ。どれ、面白いものが見れるぞ」


 羊皮紙がひとりでにふわりと舞いあがって、宙で燃え尽きた。

 細かくなった灰が降り、焦げた臭いが周囲に漂う。


「くさいのう」


 鼻をつまんでひらひらと手を振る。ローゼがそれを見てくすっと笑う。


「煙草の匂いは平気なのに」

「どっちも大概じゃ。我慢しておるに過ぎん」


 ふん、と不愉快そうに口先を尖らせて踵を返す。


「もう用は済んだじゃろ、マリアのところへ行く」

「いいのか。クラリスの退学については聞かなくても?」


 惹かれそうな話題を振られても、エルリィは下らないと肩を竦めた。


「そなたが決定を覆すとは思えん。儂なりの方法で退学処分は撤回させる」

「暴力や脅迫は感心しないが」

「誰がするか! そも、脅迫まがいのことはそなたもするであろう!?」

「はっはっは。そう怒るなよ、若いのにしわが増えるぞ」


 腹が立つ、と話を聞くのはやめてずんずん歩きながら学院長室を後にする。外で待っていたナタとエリオットが、その様子を見て心配そうな顔を浮かべた。


「おいおい、大丈夫だったのか? 何か問題が?」

「エルリィ氏。我々にできることがあれば手伝いますぞ」


 並んで歩きながら、エルリィが中で何があったのかを二人に伝える。


「特に何もないが、マリアの傷を治すよう言われた。かなりひどい怪我のはずじゃ、儂だけで対応したい。二人にはすまんが、また待ってもらえるかのう」


「エルリィ氏、我々ではお役に立てないのでしょうか……」


 申し訳なさそうなナタに、エリオットが割って入った。


「違うぞ、子猫ちゃん。彼女が言いたいのはつまり、マリアを刺激したくないって話さ。見られたくないものがあるのに、いきなり数人で押しかけて見つかってしまったとしたら、君も嫌な気持ちにならないかい?」


「あ。なるほどぅ、それは納得ですな! さすがはエリオット氏!」

「なんかむず痒い呼び方だな……。先輩って呼んでくれないか」


 二人を半ば置き去りにエルリィは医務室へ急いだ。プライドの高い人間が、顔に傷を付けられる。まともな状態でいられるはずがない。


 そして、案の定、医務室の前では騒ぎが起きていた。部屋の中で叫び声が聞こえ、マリアが暴れているのだと分かる。保健医まで放り出されて、完全にお手上げという状態。たまさかその場にいた生徒たちが野次馬になっていた。


「はいは~い、どいてどいて。申し訳ないが解散してくれ、邪魔だ」

「部外者は下がってもらいますぞ。我々は学院長殿の許可もありますゆえ」


 二人が此処は任せてくれと眩い笑顔で親指を立てる。エルリィはわざと無視して医務室に入って扉を閉め、誰も入れないように鍵を掛けた。


「それだけ暴れておるのを見れば元気そうじゃのう」


 ぜえぜえと肩で息をして、部屋のあらゆるものを散らかしていたマリアが、入って来たエルリィを仇の如く睨みつけた。


「あんた……なんであんたが此処にいるのよ、笑いに来たの?」

「儂がそなたのように理由もなく他者を見下すとでも」


 足下に落ちていた花瓶の破片を蹴って端に追いやった。


「学院長殿から頼まれて、そなたの傷を治すために来たんじゃが」

「ふざけないでよ!」


 机にあった本をエルリィに投げつける。だが、当たることもなく目の前でびたっと動きを止めて、ごろんと床に転がった。


「何をしても儂には当たらぬぞ。まずは落ち着け」

「落ち着けるわけないでしょ……! みなさいよ、この傷を!」


 顔に巻かれていた包帯を取って、傷跡だらけの顔を見せつけて怒鳴った。


「あの女が、私に何をしたか聞いたんでしょ!? あいつ、自分の顔をいきなり傷つけ始めて、そしたら私までこんなふうに……ううっ……!」


「そなたが悪さをするからじゃろ。何をしたらそこまでされる?」


 マリアは都合が悪くなったのか、顔を逸らして視線を落とす。


「あんたの悪口を言ったのよ……。魔女の血が入ったろくでもない女だって。だからつるむのはやめとけばって、馬鹿にしたの」


 ああそう、とエルリィは乾いた笑いが出てしまう。


「まあ、血が入っとるかは知らんが特徴はあるゆえ否定はせん。儂と仲良くなっても得することなど少ないじゃろうよ。最近は皆の見る目も変わってきたが」


 あのフェルム公爵を相手に決闘しただけに留まらず、引き分けという結果にまで持っていったという話が広がって以来、エルリィは一目置かれる存在になった。それでも、見目から嫌う者はまだ一定数いる。マリアもそのひとりだった。


 会話をしたからか、マリアは次第に冷静さを取り戻していく。荒かった呼吸はゆっくりになり、気が抜けたようにベッドに座り込んだ。


「その痛みで少しは悪さをするのに懲りたかや」

「……当たり前でしょ。あんたはいいわよね、綺麗な顔があって」


 自虐的に鼻を鳴らして、マリアが冷たい声で言った。


「何もしなくても、あんたは最初から全部持ってた。あんたたちは。私はお化粧だってして、少しでも自分を綺麗に見せる努力もして、それでやっとエリオット様に声を掛けられたのに。ただ顔が綺麗ってだけで持て囃されて気分いいでしょ。こっちがどれだけ必死になってるかも分からないくせに」


 ぼろぼろと泣き始めて、両手で顔を覆って喚いた。


「私だって悪いところはあったって認めるわよ。でも、何もここまでされることがあったの……!? ただ悪口を言っただけで手も出してないのに!」


「そういう考えじゃからエリオットも振り向いてくれんのじゃ、小娘」


 冷たく突き放して、エルリィは腕を組んで呆れた顔でため息を吐く。


「自分だけを見てもらうために周りを蹴落とす、その考えは良くないと思うが否定はせん。そうしてのしあがる人間もおるじゃろう。しかし、こと人間関係においてはそうもいかん。そなたはエリオットの何を見てきた?」


「……何をって、何よ。平民ってことは知ってるわ。でもそれの何が」


 ぱん、と頬を叩かれた。マリアは唖然として頬を押さえながらエルリィを見る。悲しそうな瞳に見つめられて、ばつが悪そうに目を逸らしてしまう。


「エリオットは軽いように振る舞っているだけで真面目な男じゃ。それでも二度もそなたに応えたのは期待もあったからではないか。なのに変わりもしなかったのは、そなたではないか。なぜ見目には気を配れるのに他人には出来んのじゃ」


 マリアは反論ができず、ただぐすぐす泣いて、自分の悪い部分から目を逸らし続けている。二度と治らない傷のために、なにをいまさらと。


 そんな彼女の目の前でエルリィは膝を突き、やんわりと手を握った。


「まだやり直せるとしたら、そなたは考えを改められるか?」


「できっこないわ。学院のお医者様は魔塔から派遣されたエキスパートなのよ。それでも傷跡が残った。時間が経ち過ぎたから、って……」


 もう諦めた顔だった。どうしようもない現実。起きてしまったことの殆どは、覆しがたい未来への歩みを定められている。だからこそ、エルリィの力が必要だった。彼女こそが、その不可能を可能にしてしまう力を持っていたから。


「必ず綺麗な顔に戻してやる。もう泣かなくていい、笑えるようにしてやる。じゃから、せめて他人に向ける優しさとか気配りくらいは覚えよ。そうすればきっとエリオットも振り向いてくれるであろうさ。じゃから一度でいい、儂を信じろ」

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