第5話『契約』
魔眼の発現には、大きな苦痛による感情が必要になる。クラリスであれば、絶え間なく繰り返される虐待と孤立が、記憶の中で暗く輝き続けたエルリィの姿に重なって、感覚を共有する能力の魔眼が発現した。
ローゼは自身の経験については語らなかったが、石化の能力を持っていると聞くと納得がいかないような顔をして、口元を手で覆い隠して考え込む。
「信じられんという顔じゃのう。どういう苦悩があれば石化させる魔眼を手に入れたのか……。ああ、これはナタもエリオットも肝に銘じておけ。────誰かを殺そうと強く願っても魔眼は発現する。その多くは制御が出来ない」
痛ましい前世の記憶に、さらりと言いながら悲しい目をした。
「お前の魔眼については詳しく聞きたいところだが、その顔を見ると急いで問い詰めるのは申し訳ない。ひとまず話を変えよう」
ローゼが机の引き出しから新しい煙草を取り出して、箱の底をとんと叩く。一本がするっと飛び出す。咥えて指先で火を点けてから話を再開する。
「私が言ったのはお前だけではない。クラリスも魔眼を持っている。そして、奴はそれを使って、二年の女子生徒三人の顔をズタズタに傷つけた」
「……は? クラリスが?」
衝撃を受けすぎて、目を剥いて黙り込んでしまった。エリオットもナタも、そこまでするとは信じられずに動揺が隠せない。
「その様子だと、あの娘の魔眼については知らなかったようだな」
「いや……儂は知っておった。共有の魔眼じゃと本人から」
「だとしたら、わざと誤解させたか。確かに共有ではあるが」
ふうっ、とたっぷり煙を吐き出してから。
「奴の魔眼は共有。五感だけではない。その眼で見た相手と自分の状態を共有する。痛みどころか、傷までもだ。その場にいた二年生のマリア・エーデの顔をズタズタにしてみせた。驚くべきことに、自分の顔を躊躇なく持っていた万年筆で引き裂いてだそうだ。現場にいた他の女子生徒二名が目撃している」
覆しようもない現実を受け止められないエルリィが問い返す。
「だとして、本当にクラリスが悪いのかや。問題はマリアにもあったのでは」
「だから?」
切れ味の鋭い突っぱねられ方をして言葉に詰まってしまう。
事実は事実、とローゼの容赦のなさが胸に突き刺さった。
「相手にも問題があったからと言って、取り返しのつかない傷を付けていい理由にはならない。悪人だからという理由で悲惨な目に遭うのは仕方ない。だが、悪人だからという理由で私刑を行っていいことにはならないんだよ」
「であれば儂が決闘でしたこともそうじゃと言いたいのか」
反抗的な眼差しを受けても、ローゼは馬鹿げた奴だと鼻で笑った。
「甘えたことをぬかすな。結果的に正しければ何をやってもよいというのであれば法など要らん。暴力で解決するのは馬鹿でもできることだ。適切な手段で叩きのめす方法があるのに、機嫌ひとつで暴力に訴えれば相手と何も変わらない。場合によっては、より邪悪なものとして見られることはいくらでもある」
煙を吐きながら煙草を灰皿に捩った。
言葉が返ってこなくなると彼らにとって暗い話を続ける。
「治癒魔法で完全に傷跡が残らないようにするためには、怪我をしてから三十分以内が目処になる。マリア・エーデの顔の傷は一生残るだろう。クラリス・バックメイヤーは退学処分だ。子爵家にも頭を下げにいかなければならん」
「あの。そんな話だったらエルリィを呼ぶ意味あったんですか?」
感情的になった人間の末路とでも言いたげな冷たい言葉に、最初に手を挙げて質問を投げたのはエリオットだった。
「うむ、まあ本題がここからなんだが……ナタ、エリオットの両名は席を外すように。招待したのはエリルィだけだ、分かるな?」
これ以上は言わないという強い圧にナタとエリオットは下がった。
「頑張るんですぞ、エルリィ氏!」
「俺たちはいつでも味方だぜ、子猫ちゃん」
そう言い残して出て行った二人に、エルリィは顔をバシッと叩く。
「儂を呼んだ理由を教えてくれ。クラリスに関わることなんじゃろう」
「ああ、そうだ。凛々しい顔になったな、そっちの方がお前らしい」
上出来だ、とローゼが次の煙草を取り出すのをやめた。
「クラリス・バックメイヤーが起こした事件は重大だ。相手の顔をズタズタにしたかと思えば、奴はけろっとしていて、怪我のひとつもないんだから」
「怪我のひともない? 魔眼を使ったあとで自分に治癒魔法を?」
良く頭の回る奴だとローゼが頷く。
「どうも痛みという奴に異常に強いか、あるいは鈍いようだ。現場は間違いなく凄惨だったが、その場にいた女子生徒二名の話によると、顔をズタズタにしたあとで自分の顔に手で触れながら、どこか嬉しそうな顔をしていたと」
不可解な話だ。自分の顔を切り裂いて痛がるどころか、相手への憎悪らしいものもなく、ただ淡々と切り裂き、治すときも痛みを感じている様子はなく、むしろ恍惚の微笑みを浮かべていたのだ。
不気味な光景は想像も難しい。エルリィも眉間にしわを寄せた。
「なんにしても、本来は治癒魔法も簡単に扱えるものじゃない。クラリスは意図的にそれを学習して報復目的で魔眼を使った。紛れもない事実だ。隔離室で黙秘を続けているが、そのうち全部話してくれるだろう」
「……わかった。それで儂を呼んだ目的にどう繋がる?」
理由がなければ積極的に関わってくる人間でもない。何か良からぬ企みがあってのことだと見抜き、机の前に立ってローゼを見下ろす。
「マリアの傷を治せ」
一定の間隔で机を指先でトントン叩きながら、エルリィを見上げて言った。
「時間を巻き戻せるんだろう。マリアの傷をなかったことにしろ」
全身がざわつくのを感じて、隠していた敵意が滲む。
ローゼが気付いてニヤリとしながら椅子に体を預けた。
「公爵家の使用人は口が軽くて間抜けだ、全員クビにして総入れ替えでもした方が良いんじゃないかね。情報の価値は金貨にも勝るぞ」
「やかましい。儂の家族のことをおいそれと口にするな、死にたいのか」
ビリビリと肌を痺れさせるような殺気。家族のことになると見境がなくなるのだろうか、とローゼはじろっと観察して、フッと息を漏らす。
「これは失敬、少々の礼を欠いたな。だが命令は聞いてもらう。マリアを治療する役目をお前に与える。もちろん、時間回帰の魔法については秘匿すると約束しよう。必要であれば魔導契約を交わしてもいい」
「……魔導契約?」
初めて聞く言葉にエルリィが小首を傾げる。
「今から百年ほど前に作られた契約方法でな。互いに羊皮紙に名を書き、血判を押すだけの簡易的な契約だが、口約束でも効力を発揮する魔法が掛かっていて、もし破ったときには強力な呪いが掛かるようになっている」
引き出しから取った羊皮紙を机に置き、羽根ペンをインクつぼに差してエルリィの前に出す。どんな呪いかはあえて説明しなかった。
「契約を破棄する方法はあるのかや」
「残念ながら。ただし、契約から十年が過ぎた場合には失効する」
すぐ使えるようにするためか、契約書には既にローゼの名前があった。
「安心できないのなら私が先に血判を押してやろう」
親指の腹を人差し指の爪で僅かに擦ると、すぱっと切れて血が流れる。
そのままぎゅっと羊皮紙に押し付けた。
「後はそちらの判断に委ねよう。さあ、選ぶといい」




