第2話『納得できない』
もう既に五分遅刻だ。急いで会議室に向かうと、既に同グループの衣装担当たちで話が始まっていた。扉が開いた瞬間に会話は途切れて、視線が集まる。
「遅いでござるよ、クラリス氏。まあ始まったばかりではありますが」
「ごめんね、ナタ。ちょっと立て込んでて……」
白組衣装担当のナタは少々変わり者だ。普段は臆病で誰とも喋らないが、衣装担当を誰が決めるかでは、誰よりも率先して立候補した。ひとえに『クラスメイトが自分のデザインした衣装を着ている姿で興奮したい』という不純な動機からではあったが、少なくとも熱意は本物だ。
「その眼鏡は見えとるのかのう、ナタよ」
「でゅふふ……きちんと見えてますぞ。魔法の瓶底眼鏡にござる」
「顔を隠したい根性だけは立派なもんじゃなあ……」
絶対に眼鏡は外さない。大きな瓶底眼鏡がトレードマークだと言い張るナタは愛らしさ溢れる桃色のポニーテールを揺らして、むふふ、と頬を薄っすら紅くする。既にデザイン案の描かれた紙が何枚も机に広げられていて、どれがエルリィに似合うかを妄想して楽しんでいた。
「皆さま、私語は慎んでくださいませ。意見交換会のときだけでいいので」
ぱん、と手を叩いて皆を静かにさせようとしたのは、いかにもなお嬢様の雰囲気を漂わせる少女。振る舞いも淑やかで、真剣に注意する。
「別に良かろう、私語くらい。体育祭を楽しみにしとるんじゃから」
「いけませんわ。大切な意見交換の時間を雑談で済ませるおつもりですか」
「……貴族のふりをするのはやめよ。見てて痛々しいぞ」
「憧れてますのでやめません。あなたこそ公爵家の自覚がないんですの?」
ずばっと切り返されてエルリィも口を噤む。
明らかに悪くなった空気にナタが宥めに入った。
「まあまあ。よいではありませぬか、アニエス氏。拙者たちがやるべきは衣装のデザインを仕上げて、我が白組を盛り上げることでござる」
「ふん。言われなくてもですわ。……で、お二人のデザインは?」
ついにきたか、とクラリスがおずおずと手を挙げた。
「実は、その、信じてもらえるか分からないけど捨てられちゃって」
「便器にぶち込まれとったわ。二年のマリアとやらに詰められてのう」
エルリィが悪気なくけらけら笑う。アニエスは納得しなかった。
「だからなんですの。提出しなければ意見交換会に何しにきたのです?」
「文句は儂らではなく、二年に言えという話じゃが」
「でしたらお帰りくださっていいですわ。ナタちゃんと決めますから」
なんとも図々しい物言いだとエルリィが睨みつけた。
「儂らに責任があると。こうして来てやっただけでもマシじゃろ」
「相手にしなければよかった話ですわね」
「それができれば誰も人間関係で苦しみはせぬ。そなたも同じ目に遭うか」
わざと机に脚を乗せて挑発する。そもそもから同じ担当になったのも気に入らない。アニエスはいったい誰に憧れたのか高圧的で冷たく、人に寄り添った態度を取らない。元々の性格がそうであったとも否めないが、些か出すぎた態度を矯正する必要がありそうだとエルリィは強気な姿勢で迎えた。
「よう吠える犬の真似をして褒めてくれる者はおらんぞ。尻尾を丸めていた方が幾分か愛嬌もあるというもの。教育しなおしてやろうか?」
あまりの態度にアニエスは怒り任せに机を手で強く叩いた。
「曖昧な態度を取るからそんな目に遭うのでしょう! 自分たちの失態を棚に上げておいて、その態度はなんですの!?」
これにはナタもクラリスも間に入れず、気まずさに黙り込む。
エルリィも、もはやこれまでとばかりに席を立った。
「あとは勝手にやるがよい。クラリス、帰るぞ」
「え……でも、衣装の相談が……」
「儂らに必要ないと言ったのじゃ、それくらい出来よう」
ふん、と鼻を鳴らして、アニエスを小馬鹿にする。
「正義は振り翳せばよいものではない。痛い目に遭わねば分かるまいよ」
「なんですって。そこに座りなさい、逃げるおつもりですか!」
足首に咬みつく犬のようだとエルリィがぎらりと睨んだ。
「二度も三度もしつこいのう、木っ端風情が。もはや儂に構うでない」
「っ……なんという無礼な言葉遣いを! それでも公爵────」
「格下に淑やかな振る舞いを要求されるほど低い身分ではない、口を開くな」
全身を貫く殺気がアニエスの口を閉じさせた。
場が静まり返ると、エルリィはクラリスの手を引いて出て行った。
「良かったのかなあ。アタシたちが悪くないのは確かだけど」
「放っておけ。要らぬと啖呵を切ったのじゃ、自分でやるじゃろ」
心底うんざりな気分を抱えさせられて、ふくれっ面で言った。
「半端者ゆえ見逃してはやるが、そなたの状況を見ておらぬがゆえに言えるのじゃ。自分が同じ立場でなければ正義の基準が自分にあると勘違いしておる」
「……でも、あの子が同じ目に遭ったら可哀想だよ」
「可哀想? そなたはあれが可哀想だと言うのか?」
思わずエルリィは足を止めて、クラリスに語気を強くする。
「他人の痛みも分からぬ者じゃ。経験しなければ成長もできぬであろう」
「だけど……。ううん。違うよ、エルリィ」
おどおどしているのは相変わらずだが、クラリスの声はハッキリしていた。
「痛みを知らない方が幸せだよ。少なくとも、アタシはこの痛みを他の子が知らないままでいてほしいなって、思うの。あなたみたいに皆が耐えられるわけじゃない。強く見える子ほど、簡単に壊れてしまうことだってあるから」
受けた痛みの深さは中々に癒えるものではない。腕をぎゅっと抱きしめて小さく震えるクラリスに、何も言える言葉が出てこなかった。
「も、もちろん、エルリィの言うこともわかるよ。だけどアタシも悪かったんだ。あんな人たちを相手にしてなかったらって、あながち間違ってないと思う」
「じゃからと言うても……。いや、よい。もう今日はやめよう」
胸の中が掻き回されたように、もやもやとして気分が悪い。
今はとにかくクラリスから離れたかった。
「儂は先に帰る」
不満が、ずっと湧いてくる。なぜクラリスはあんな者たちを庇うのか。マリアにしろ、アニエスにしろ、悪いのはあちらのはずなのに、と。
答えが出ないまま寮に戻ってきて、勢いよく部屋の扉を閉めてため息を吐く。もたれかかった扉に、頭を軽くごつんとぶつけて、天井をみあげた。
「お疲れのようだな。何かあったのか?」
部屋にアウレリアがいるとは思わず、びくっと跳ねる。
「脅かすでない。……ちょっと色々とな」
「はは、そういう顔してる。聞かせてくれるか、気持ちが楽になるかも」
「うむう。まあ、それなら聞いてもらうとするかのう」




