第1話『嫌がらせ』
春が過ぎ、夏が訪れる前。新入生にとっては初めての行事。殆どの運動不足な魔法使いのためと称された祭典。────そう、体育祭が開かれる。
クラス混合で行われ、くじ引きで赤組と白組に分けられるため、グループでは『みんなの気持ちをひとつに』というスローガンのもと、お揃いの衣装制作が決まった。デザイン案は何人かが担当して意見を持ち寄ろうという話になった。
白組に振り分けられたクラリスも、デザイン案を担当する一人だ。スケッチブックいっぱいに描いた自分の案を披露するのが楽しみで抱きしめながら校舎を歩き、四階にある会議室を借りて意見交換に向かう途中だった。
「ねえ、そこの君。ちょっといいかな?」
呼ばれたクラリスは足を止めた。
(青いバッジつけてる。ってことは先輩だ、どうしたんだろ)
三人の女子生徒ともが二年生を示す青いバッジを胸に付けている。クラリスには関りのない人たちで、少し嫌な気配を感じ取ったが断り切れなかった。
「なんでしょう、先輩」
「ちょっと話がしたくてさ。一緒に来てくれない?」
ニヤニヤと笑った顔。好意的な雰囲気はなく、どちらかといえば侮辱や、侮蔑。そういった黒い感情に気付いたとき、クラリスが周囲を見渡す。四階はほとんど職員専用のフロアで生徒の出入りはほとんどない。
(困ったなあ。これは逃げられそうにないかも……)
やはり断るべきかと思ったが、どうせ断っても引っ張られそうな気がして、スケッチブックが破れたりするのは嫌だと彼女たちに従った。
連れていかれたのは近くの女子トイレだった。人の出入りがないので目につきにくく、お話をするにはもってこいの場所だ。
「あの。アタシ、皆と意見交換会があるので……」
「大丈夫だって。すぐ終わるからさ。聞きたいことがあるの」
「なんでしょう?」
「ほら。最近エリオット様と一緒でしょ、君」
ニコニコしているわりには目が笑っていない。
隅に追いやられて嫌でも察してしまう。
(またこれか……。孤児院から出れば変わると思ったのに……)
どこか根暗で、周囲との関係も限られた枠の中だけで済ませてしまう。エルリィとアウレリアがいればそれでいいと都合よく考えていた。結果として、イジメの標的にされた。孤児院時代から何も変わらないのか、と泣きたくなった。
「なんで新入生が私らに断りもなしにエリオット様に近付いちゃったのかな。他の二人も目障りだけど、まあ悔しいけど綺麗じゃない? でもあんたは違うでしょ。大して美人でもないくせに周りをちょろちょろしていい気になってさ」
エドワルドの事件以来、エリオットは度々クラリスを気に掛けていた。特にエルリィたちとは別行動を取っていて独りのときは、よく声を掛けた。だからか、それが逆効果とばかりに、女子生徒の敵として認知されてしまった。
分かっている。エリオットどころか、エルリィたちとも釣り合わない。彼らは別格の美男美女だ。どれほど厄介な人間であっても認めざるを得ない部分はある。だから都合の良い自分が標的にされたのだとクラリスは理解している。
「……別にいい気になんてなってないよ。それに、エリオット先輩は手を貸してくれただけで、アタシのことなんか気にも留めてな────」
ばんっ、と顔の横に伸びてきた手が壁を叩く。
露骨な威嚇をして、女子生徒はにんまり笑った。
「そういう話してんじゃないのよ。エリオット様の手を煩わせてる証拠じゃん。いい迷惑してるんだから、ちゃんと断りなよ。それくらいできるでしょ」
そういう話だろうと思いつつも、刺激しないように注意を払う。
「わかりました。エリオット先輩にはもう会わないよう伝えておきますから、行かせてくれませんか。他の人を待たせてしまってるので……あっ!」
大事そうに抱えていたからか、隙を突いてスケッチブックを奪われた。
「あの、あの……! それだけは返して、このあと使うから……!」
「何言ってんの。ねえちょっとそいつ押さえててよ、うるさくてさ」
取り巻きの二人がクラリスを捕まえる。
「あらこれ、体育祭の衣装デザイン? ふ~ん、すごいね。私らはこういうの描けないしさ。尊敬しちゃう。────あっ、ごめん。手が滑っちゃった」
わざと投げられたスケッチブックが便器の中に落ちた瞬間、クラリスは顔が青くなった。口をぱくぱくさせて、言いたいことも言えなかった。
「明日も此処に来てよ、えーと、誰ちゃんだっけ。誰でもいっか。もし来なかったらどうなるか分かってんでしょ。友達にも迷惑掛けたくないよね?」
けらけら笑う女子生徒たちの声など届いてもいない。
「……アタシは誰にも迷惑を掛けたくないとは思ってるよ」
クラリスの言葉は静かで透き通っていて、淡々としていた。
「でも、やって良いことと悪いことがあるでしょう」
「は? なによ、あんた私らに文句でも────」
瞳孔の開いた敵意の眼差しにゾクッとして言葉が途切れた。
おどおどしていた一年生の顔ではない。
「そんなにエリオット先輩が好きなら友達になればいいじゃない。仲良くなれたらチャンスがあるかもしれないのに。もしかして、あなたたちって友達同士で抜け駆けするのは良くないとか思ってる?……あぁ、違うか」
嘲って、心底馬鹿馬鹿しそうに笑いながらクラリスが地雷を踏む。
「あなたたち、不細工だもんね。相手にされなかったら、って縮こまってるんでしょ。エリオット先輩に捨てられたなんて恥ずかしくて言えないか!」
豹変したように攻撃的なクラリスに腹を立てた一人が胸倉を掴んだ。
「てめえいい加減にしとけよ。そのマシなツラを傷だらけにしてやってもいいのよ。どうせこっちは何かあっても、パパがもみ消してくれるから」
「……また貴族か。エドワルドと何も変わんないなぁ」
冷静に。冷静に。落ち着きはらったまま、クラリスは言った。
「それができるのって平民だって確信したからかな。じゃあ、喧嘩を売るべきじゃなかったね。だって見る目がないもの」
こつん、こつん、と靴音が近付いてくる。彼女たちは勘付かれてはいけない、とクラリスの口を咄嗟に塞いで叫ばせないようにして息を殺す。
残念ながら、近付いて来た誰かは逃がしてはくれなかった。
「フムフム。おなごは化粧直しに時間が掛かるとは聞いておったが、随分と派手じゃのう。────それとも、普段とは事情が違うのかや」
普段と何も変わらない雰囲気に見えるが、エルリィは冷淡で、わざわざ怒りを面に出さないことの方が多い。特に睨みつけもしないときは、ただ侮蔑を込めている。この程度の人間が、と呆れ果てたように。
「わ、私らは何もしてないから……じゃあ」
「そうか、名も名乗らずに行くのか。人間にしては躾ができておらぬな」
エルリィの背後で冷気が渦巻き、分厚い氷の壁が道を閉ざす。
「ひとりでも名乗れば通してやろう。そうでなければ、此処でひと晩を過ごしても構わぬぞ。大事になって困るのは儂らではないゆえ」
クラリスを私怨で苛めたことがバレたら困る。かといってエルリィに名前を知られるのはリスクが高い。既にパードリグ公爵令嬢であることは、誰も口にしないだけで知れた事実だ。敵に回せば潰されるのはどちらか、見え透いていた。
少しの迷いのあと、せめて今は場を離れる方が先だと主導していた女子生徒が嫌々名乗った。引き攣った笑いで気丈に振る舞う姿が滑稽に映る。
「マ……マリア。これでいいでしょ、早く塞いだ道開けて」
「まあ良いじゃろう。他の二人はコイツに感謝するんじゃな」
氷にひびが入り、がらがらと音を立てて崩れた。マリアたちは無言のまま悔しそうな表情で小走りに逃げていく。ばたばたと足音は遠ざかっていった。
「大丈夫じゃったか?」
「うん。……でも、アタシのスケッチブックが」
汚れてしまったスケッチブックを見て、エルリィも複雑な表情を浮かべた。
「あれは拾いようもないのう。これから意見交換会じゃというのに」
「ごめんね。エルリィのデザイン案もあったのに、迷惑掛けちゃった」
「いや、構わぬ。それよりも驚いたことがあるのじゃが……」
腕組をして、聞いていいものかどうかと迷う。
クラリスは察したように微笑んで、自分から話した。
「そうだよ。アタシは『共有の魔眼』。アタシが知っている人間を対象に、指定した五感の共有ができる。それでエルリィに助けを求めたんだけど……ごめん。スケッチブック、来るまで守り切れなくて」
悔しさに全身が震え、申し訳なさでエルリィを見れない。成績優秀でも、なあなあで済まそうとして、いつも失敗する。根暗な自分が嫌いだった。
「最初から強く出れば違ったのかもしれないね」
「何を言う。喧嘩にならずに済んで良かった」
妙にギラついた瞳に、エルリィは戸惑いを隠して言った。
「魔眼のことは伏せておけ。とにかく今は会議室に行こう、時間が勿体ない」




