Chapter:1 終幕
◇
「スウィートレッド様。例の学生について調べましたが……」
「マイルズ。部屋に入る前はノックをするよう、何度言えばいい?」
呆れた口調で諫められても、マイルズは反省の弁を述べることもなく、手に持った資料の束に目を落とす。
「元々は孤児院の育ちで、ひどい虐待を受けていたそうです。当時の孤児院を経営していたのはグロリア・アテル。七年前、馬車の事故で崖から転落死しています。その件についてはパードリグ公爵も公表しているとか」
想定内の情報には興味がない。机に山積みの書類を端に追いやって、引き出しから煙草と灰皿を取り出す。
「どうせ公爵が手を回したんだろう。孤児院についてはどうでもいい。エルリィ・パードリグの生まれについては何も分かっていないのか?」
「それが何も出てこないんです。あの生徒自身も分からないようで」
マイルズは指で頭をかりかりと掻きながら。
「学院に通っていない同孤児院出身の子たちにも接触したのですが、生まれた頃から孤児院にいるそうで。グロリア・アテルも彼女のことを殆ど知らなかったようです。ですが、あの魔力は人間の限界を遥かに超えています」
「分かっている。だからこそ決闘など馬鹿げた遊びを許してやったんだ」
入学当初から、他の子供に比べて体から溢れる異質な魔力。どちらかといえば魔獣に近い。挙句の果てには常軌を逸した強さを持ち、魔力測定装置も触れるだけで壊してしまう。ただの天才で語るには、前代未聞の存在。
煙草の先に指で触れて、小さな火を灯す。ゆっくり吸い込んだ煙を一気に吐き、天井を見上げて不可解な現象に頭を悩ませた。
「ビエントが決闘に連れた三人はここ最近でトップの戦果だった連中だ。それをほとんど片手間に倒した挙句、ビエントを相手にわざと相打ちを演出するなんぞ、ガキの考えることじゃない。不審な点は本当にひとつもなかったんだな?」
「少なくとも現在までは。……あ、でも、公爵家のメイドが妙なことを」
丸めた資料で手をぽんと叩き、マイルズは不思議そうに言った。
「なんでも厨房で腐っていた野菜に触れたら、新鮮になったとか」
「……死ぬほど興味ない情報だが」
馬鹿馬鹿しいと呆れそうになって、ふと奇妙な事実に気付く。
「待て。それについて他に何か言ってなかったか?」
「いえ、特には。『すごいですよねえ、お嬢様は』みたいな話はしてました」
「それがいちばんどうでもいい」
マイルズがときどき信用ならないほど馬鹿に振る舞うのが気に入らない。だが、そうやって茶化しているときは本当に収穫がなかったときだ。ローゼはそれを踏まえてあごをさすって考え込む。
「腐敗はあくまで自然現象だ。治癒魔法でどうにかなるものじゃない。だとしたら、どうやって新鮮な状態に……」
「そういえばそうですねえ。自然現象は治癒の範囲外ですから」
二人で考え込んだとき、同時に答えに辿り着いて互いを指さす。
「時間を巻き戻したのか?」
「時間操作の魔法ですか?」
そうでなければ説明がつかない。だとして、信じられない。
「ありえん。時間を巻き戻すなんぞ神の領域だろう」
「でも、それ以外には考えられませんよ」
時間操作の魔法は原理的には不可能ではない。だが消費する魔力が桁違いだ。割れてしまった小さい花瓶ひとつを以前の状態に修復するとしても、並大抵の大人では魔力がまったく足りていない。ほぼ使い道のない魔法だ。
「そのときのエルリィの状態については何か聞いてあるか」
「ええ、一応。ですが、やっぱり何も感じられないんですよねえ」
手元の資料に目を通してマイルズはう~んと首を捻った。
「ふらりとやってきて魔法を使ったあと、普段通りに楽しそうな雰囲気のまま厨房を出たそうです。高位魔法で普通の人間には使えないものですが、彼らにしてみれば『さすがはパードリグ公爵令嬢』程度に思ったのではないでしょうか」
マイルズの推論にはローゼも同様の見解を示す。煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、当たり前のように二本目に火をつけた。
「だとして、巻き戻した時間も長すぎる。普通はせいぜい五分程度だろう」
「えぇ……。でもスウィートレッド様は────」
「私は天才だからいいんだよ。問題はエルリィだ、あいつは子供だぞ」
マイルズは遮られて小動物のように寂しそうな顔をする。
「スウィートレッド様の魔眼でも分からなかったんですか?」
思わずぎろっとローゼが睨んでしまい、すぐに顔を逸らす。
「誰が聞いてるかも分からないのに魔眼のことを言うのはよせ」
「す、すみません。でも看破の魔眼でも人間判定なら、やはり人間なのでは」
ローゼの持つ魔眼の能力は『看破』と呼ばれるもので、視界に入れた人間が誰であるかを映す。だからこそエルリィに疑いの眼差しを向けていた。魔眼は確かに少女を人間だと判定したが、そのわりには何もかもが不自然だった。
話し方。立ち振る舞い。感性。魔法に対する知識。いくらパードリグ公爵家でも、現在は非公開になっている魔力回路の破壊をまるで考案者が如く使いこなすなど、あり得るはずがない。ましてや現役で戦場を経験している魔法使いたちを意にも介さない、圧倒的な強さ。二大公爵家であるフェルム公爵でさえ、手も足も出ていない。もし本気でやっていれば、確実にエルリィが殺していた。
「どんな時代にも天才はいるものだがな、マイルズ。あれは天才の領域などではない。さっきもいったが、あれは神の領域に片足を突っ込んでる。ただの十六歳の子供が、なんの負担もなく時間を巻き戻せるのが良い証拠だ」
「それはそうですが……。魔眼どころか調査結果でさえ普通の子供ですよ」
ローゼはそれが納得のできない理由だった。魔眼は超越者の能力とも呼ばれ、あらゆる魔法による阻害をも貫通する特殊なものだ。未だ、その謎の多くは解明されていない。いくつ能力があるのかも、どれほどのデメリットがあるのかも。
「私の魔眼が不発だった可能性は?」
「分かりません。今まで一度も、そんなお姿を見たことがありませんから」
「今のは私の方が馬鹿だったかな。……いや、だが待てよ」
煙を吸い込んでゆっくり吐き出して、リラックスしてから、頭の中に浮かんだ可能性を口にしてみる。マイルズの反応で結論を出したかった。
「魔眼を持つ者同士であれば弾かれる可能性はどうだ」
「なるほど。互いの魔眼が能力の如何に関わらず反発しあうと?」
グッド。実に素晴らしい回答だとローゼは強く頷いた。
「宮廷へ行って魔眼に関する資料をありったけ掻き集めて来い」
「魔塔ではなく、わざわざ宮廷図書の方に?」
「歴史や現象の文献は宮廷の方が多く取り扱ってる。魔塔は研究資料が中心だ」
「あ、そうなんですか。すみません、僕は魔塔に属してないものですから」
手に持っていた資料の束をローゼの前に置いて、小さくお辞儀をする。
「では伝えてまいります。エルリィ様に関連した内容は伏せておきますか」
「そうしろ。魔眼持ちの子供となると、面倒に巻き込まれる可能性もある」
「承知いたしました。夜までにはお持ちいたします」
マイルズがやや急いて学院長室を出た後、置いていった資料にローゼはじっくりと目を通す。多くはエルリィに関する調査報告書だが、他にもいくつか、関連して何人かに対する調査も行ってある。
「……?」
ふと目に留まったのは、クラリス・バックメイヤーに関する報告書だ。
特に気になったのは『孤児院での傷害歴あり』の欄。眉間にしわが寄った。
「フ、なるほどね。今年は豊作だな」
資料を机に投げて、灰皿に煙草を捻じ込む。
思わず口角があがった。椅子に体を預けて、ゆっくりと息を吐く。
「歴史の転換期か。良い方向に転がってくれるか、それとも────」




