第27話『もう安心』
人間は残酷だ。灯火のように優しく温かな人々の裏側には、いつでも支配者ぶった人間が自らの立ち位置を定める機会を窺っている。黒い感情に突き動かされて知性を削ぎ落せば、その手を簡単に殺意に染める。
何人が犠牲になったのかは分からない。そのたびに、最初からそこにいなかったかのように誰かの人生は踏み躙られ、消えてしまった。
「もう孤児院のことは忘れよ。そなたを知る者がこの先現れても、儂が必ず守ってやる。大事な友達に泣いてほしくはないからのう」
「うんっ……うん……! 今までごめんなさい、エルリィ……!」
クラリスなりに苦労を重ねてきた。家族と離れ離れにされた挙句、あてがわれた新しい孤児院は最悪の環境だった。エルリィの経験してきたことが、そっくりそのまま帰ってきたとき、涙が出た。悔しさではなく、申し訳なさで。
ずっと黙って耐えてきたのは、それが自分へ与えられた罰だと思ったから。何の罪もなく、謝罪の言葉だけを口にして、いつでもエルリィが悪いのだと思い込んで──そう教育されたのもあるが──いたずらに暴言を吐いた。
なんで本当に大切にするべき人間に気付けなかったのだろう。幼い頭で知って、幼い頭で考えて、幼い心がズタズタになった。もしまた会えるのなら、そのときは謝ろう。拒絶されるのは怖い。だとしても、前に進もうと。
その願いを叶えるかのように現れたエルリィが、無視も拒絶もせず、温かく迎えて抱きしめてくれた瞬間が、どれほど嬉しかったことか。
『お前はエルリィを勘違いしてんだよ。あの白い髪を見ろ。瞳の色はなんだ。澄ました顔して俺たちと違う人種みたいな態度を取る。そういう奴には分からせてやんなきゃなんねえんだよ。だから、さっさと、もっぺん呼んで来い!』
怒鳴れたとき、震えはしたが怖いとは思わなかった。これから自分がどうなるかよりも、エルリィに嫌われたくない気持ちがあった。裏切りたくなかった。自分に嘘を吐きたくなかった。その気持ちが、クラリスの背中を押した。
殴られても泣かなかった。謝らなかった。殴り返したらこっ酷くやられて、悔しかった。もっと強かったらと何度願ったか分からない。その燃え滾る想いが焼き尽くされてしまうことだけが嫌だった。
「アタシね、ちゃんと断ったよ。あいつの言うこと聞かなかった」
「うむ、えらい。そなたは頑張った」
抱き着いてわんわん泣くクラリスの頭をぽんぽんと撫でる。
「もう泣き止むがよい。……明日はまた忙しくなる。あのバカ息子を溺愛しとるフェルム公爵が黙っておるはずもない。そういう人間じゃ」
一度だけ、パードリグ公爵邸で顔を合わせたことがある。実年齢よりも年老いた雰囲気だが、しわの数だけ戦場を生き残って来た傑物には違いない。気に入らなければ踏み潰すだけの権力も備えている厄介者。平民など蟻程度に見えている。
それが面倒だ、とエルリィは友達の立場を知ると頭を悩ませた。アウレリアはオムニス男爵家で歴史も浅い。エリオットとクラリスは分からないが、少なくともパードリグとフェルムの二大公爵家に並ぶ家門は王族を置いて存在しない。
「私たちにできることはあるのか、エルリィ?」
アウレリアが心配そうに聞く。エルリィは静かに頷いた。
「あの男に限っては儂の都合が良い。場を整える手伝いを頼もう」
「わかった。具体的には……」
「いや、それは明日の本番でいい。儂の意図にすぐ気付けるとも」
泣き疲れて、ようやく落ち着いたクラリスの肩を撫でながら。
「今日のところはおしまいじゃ。エドワルドだけでも片付いたのなら十分であろう。ひとまずは皆、ゆっくり休んだ方が良い」
話が纏まったところでエリオットが、良いタイミングだ、と懐から折り畳んだ紙を取り出す。広げた中身は『魔法研究会、部員超募集中!』とあった。
「……えっと、なんじゃこれは?」
「新入生はクラブ活動がまだだろ。実を言うと、あんまり女の子には声掛けてなくてさ。俺が誘うと大変なことになっちゃうかもしれない」
友達としての性格はそこまで悪くないが、女遊びは決して褒められたことではない。遊んだ分、クラブ活動では女性を避ける必要があった。
「二年からはクラブ活動を行う必要があってね。でも、ほら。こんなだから、誘える人も限られてたんだけど、周りは皆、身体を動かす方が好きらしくて。剣術部とか魔法薬部とか、そっちに流れたんだよ」
「面倒くさい奴じゃのう……。にしても、この魔法研究会とは?」
類似するクラブ活動は何が違うのかと疑問を返すと、エリオットは途端に鼻を高くして、よくぞ聞いてくれましたとばかりに語り始めた。
「それは俺が作ったクラブ活動で、内容は生活魔法研究推進活動さ!……俺、首席なんだけど、まあ要領が良いだけで特別才能があるわけじゃないんだ。けど生活に関する便利な魔法には興味があって。平民の出身だから」
生活魔法は魔塔でも小さい部門だが盛んに研究が行われている。温かいシャワーが浴びられるのも、町がゴミもなく綺麗なのも、そういった小さいながらも人々の生活の支えになる魔法を研究する者たちのおかげだ。
エリオットは、そんな大多数の人間が選ばない部門を気に入っていた。
「俺の家って片親でさ。母さんが汗水垂らして働いてくれてんの。んで、俺に制服とか買って『学院へ通いなさい』って。笑っちゃうよな。やること多すぎて自分の時間なんか取ってもいない。そういう人って多いと思うんだよね。だから、俺は生活魔法でもっと世の中を便利にしたいってのが夢なんだ」
予想外にも真面目なので、エルリィたちは目を丸くする。
「私が思うにだが、それほどまで真面目なら、なぜ女遊びなど?」
アウレリアが代表して素朴な疑問をぶつける。
「この顔に、この底抜けに明るい性格! こりゃ使わなくちゃ損だろ。んで、良いとこのお嬢さん捕まえて逆玉狙ってるわけ。だけど身持ちが固いってか、学院のルール遵守してて、口説いても全然どこの子か教えてくれないんだよな」
善人の部分とクズの部分が複雑に混ざっている男の評価は、上がったり下がったりを繰り返す。それでも、エリオットは自分を曲げたりはしなかった。
「皆は俺と違ってイイ男捕まえろよ。口説きたくても、今回ばかりは相手が悪いから諦めるよ。じゃ、魔法研究会のことは検討しててくれよな!」
エリオットが保健室を出て行く。残った部員募集の紙はポップで、手作りの数少ないチラシの一枚なのだと分かる。エルリィはそれを大切そうに畳む。
「なかなか潔い奴じゃったな」
「アタシは嫌いじゃないかも。……でも、クラブはどうするの?」
「二年になったら強制じゃろ。選ぶほど迷ってもないゆえ、入ってもいい」
これといって特に入りたいクラブ活動はない。必要になるのであれば、どうせなら誘ってくれた方が気持ちも良く入ろうと思えるものだ。
「ま、今日の礼をしておらぬしな。それくらいはしてやろう!」




