第25話『報いの時』
生まれて初めて。誰かを憎いと思った。人間を呪いたいと願った。殺してしまいたい欲望が湧いてきた。目の前の蛮行が、悍ましい怒りを沸々と湧かせ、今にも飛び出して首を千切り飛ばしてやろうとした。
だが、エルリィをアウレリアが制止する。
「落ち着け。今飛び出しても神経を逆撫でするだけだ。足を乗せている状態では一瞬でも遅れれば、どうなるか分かるだろう?」
「それはっ……そうかもしれんが……」
本気を出せば今すぐにでも取り押さえることはできる自信はあった。しかし、言われたようにほんの一瞬でも隙を見せたときには────。
エドワルドは馬鹿ではない。のろまでもない。気付かないように魔法を掛けようとしても、以前の経験から何かしらの対策を講じていても不思議ではない。単純な強さだけでは学院で三年間も首席でいられるはずがないからだ。
戸惑うふたりに気付いて、エリオットは突然、茂みの中からひとり出て行った。唖然とするエルリィたちが呼び戻す声は彼には届かない。
「あれっ、今日此処でデートの予定だったけど先客いるじゃん」
エドワルドが振り返ってエリオットを見つけたとき、馬鹿が来やがったと本気で思った。女好きの噂は上級生にも届いている。食堂では何度も見かけた頭の悪そうな色男。それがエドワルドからみた評価だった。
「悪いが場所を変えな。今は忙しいんだ、見てわかんだろ」
「え? あぁ……うわ、ボコボコじゃん。可愛いのに勿体ない」
「はあ? この期に及んで、まだ女を追いかけてえのか?」
愚問だとばかりに肩を竦めてやれやれと首を振った。
「俺は学院の色男だぜ、先輩。お互い、学年代表の首席同士仲良くしましょうよ。どうせ殴り倒しちゃうんだったら俺に譲ってくれないかな」
なんとも頓狂なことを言う男だ。しかし、それがエドワルドの思考に引っ掛かった。自分に逆らうクラリスを徹底的に痛めつけるには、この男に渡してしまえばいい。弄んでくれれば、なおさら壊れてくれる。そんな考えが浮かぶ。
「ハ……ハハハ! いいぜ、そんならくれてやるよ。お前も中々良い性格してんじゃねえか。顔を殴っちまったのは悪いな、腫れてたら醜くてヤれねえか?」
エリオットに対する警戒心が解かれると、動けないクラリスに足を掛ける理由をなくして降ろしてしまう。その直後、エリオットはニヤリと笑う。
「まさか。勝手に俺を見た目で判断する側にするのはやめてほしいね。あんたみたいなブサイクには分からない価値観だろうけどな?」
いきなりの反抗は戸惑いを生んだ。頭の中で、投げつけられた言葉に怒りを感じるよりも先にエドワルドの身体は吹き飛ばされて木にぶつかった。
「中々見どころのある男ではないか。そなたを見直したぞ」
「御礼はデートで。良いカフェがあるんだ」
軽薄さは変わらんな、とエルリィもアウレリアも苦笑いする。
「っつ……てめえ、俺を騙しやがったのか!?」
ぶつかった頭を押さえながら起き上がったエドワルドが、憎しみを込めた視線をエリオットに向けた。エルリィやアウレリアよりも怒りが湧いていた。
普通の生徒ならば、そう凄まれただけでエドワルドを恐ろしく感じるものだ。エリオットは二年の首席としても名が知れていて、自分に自信がある。たかが強面の男が脅迫じみた態度を見せたくらいでは、ぴくりとも臆さない。
「悪いけど、俺は自分より弱い奴に手ぇ出すほど落魄れちゃいないの。顔と態度を変えてからまた来な、お兄さん。恥知らずであればの話だけど」
「このガキ、調子に乗りやがって────」
立ちあがり、構えた拳をその場で突く。いち早く、その危険に気付いたエルリィが薄い魔力の壁を展開して弾いた。
「エリオット。アウレリアも、ふたりでクラリスを運んでやってほしい。儂はこやつに用がある。今度こそ因縁を断ち切っておかねばならん」
「オーケー、子猫ちゃん。流石にアレと戦う気概はないので撤退だ!」
気を失っているクラリスを両腕に抱え、エリオットが走り出す。
「あいつ一人に任せていいんじゃないか?」
「こやつは儂とクラリスにとっての因縁じゃ。二人にさせてくれ」
「……分かった。先生がこっちに来ないよう引き留めておく」
孤児院時代のいざこざの清算がしたいのなら、とアウレリアも身を引く。
静かな森で二人きりになったと分かると、エルリィは準備運動をした。
「ようもクラリスに一度ならず二度までも手をあげてくれたな」
「ハッ。生意気なこと言うからだ。孤児院のときみてえに俺の奴隷でいりゃよかったんだ。それをてめえが邪魔したから殴られた。てめえのせいだろ?」
堂々と。悪びれもせず。きっと今日のこともフェルム公爵に言ってもみ消すつもりなのだと察して余りある態度には、ほとほと呆れてしまった。
「よかろう。この十六年、似たタイプはおっても貴様のようなクズは初めて見たわ。────覚悟しろよ、小僧。もはや行く道などないと知れ」
またしても。昨夜にエルリィの肩を掴んだときに放たれた、悍ましい殺気が全身を衝く。エドワルドは構えを取ったが、足が竦んで動けなかった。
「殺気の出し方も分からん小僧には刺激が強すぎたか。まあ、立っていられるだけ偉いではないか。誉めてやろうぞ。ほれ、えらいえらい」
笑顔でぱちぱちと手を叩いて挑発する。さきほどまでの緊張感が消え、怒りに支配されたエドワルドがとうとう突っ込んだ。
「このクソガキが、嘗めやがって! クラリスみてえに、その顔も滅茶苦茶にしてやる! 泣こうが喚こうがぶっ殺して────!?」
エルリィは避けない。エドワルドの本気で振るった拳を顔面で平然と受け止めた。なのに、微動だにしない。深く根を張った巨木の如き重たさに、殴った瞬間に伝わる鉄のような感触。────身体強化の極致に、彼女はいる。
「おい、小僧。力が足らんぞ。殴るってのは、こうするもんじゃ」
ばしっと手を払う。軽く拳を振って、とん、と腹に触れさせた。
たったその一撃が、大砲でも飛んできたかのようにエドワルドの身体を飛ばして木々を数本薙ぎ倒す。かなりの手加減。それでも致命傷になりかねないが、魔法によって身体強化のできる人間は頑丈だ。そう簡単に死んだりはしない。
ぴくりとも動けないほど全身の痛みに呻くだけのエドワルドの前に立ち、エルリィは嫌悪に満ちた冷たい眼差しで睨めつける。
「貴様のようなクズは、これまでそうやって悪事を働いておきながら揉み消してきたんじゃろう。しかしひとつ教えておいてやる。消えたのは貴様の起こした問題ではない、他人の生きる道じゃ。その積み重ねてきた報いを受けさせてやる」
ぴくりともできず、人形のように動けないエドワルドが精いっぱいの抵抗で敵意を剝き出しにするが、エルリィは意に介さず、彼の胸を指で貫く。
「が────あ────っ!?」
「おお、痛むか。じゃが些細であろう。さほど痛くはあるまい」
胸に突っ込んだ指が黒い魔力を帯び、エドワルドの内側に注がれる。
「生物は全て体内に血管と結合する魔力回路というものが存在する。それらは血の流れと同様に全身を駆け巡っていて、集中力を高めることによって魔力の流れを操ることができる。ゆえに魔法が使えるわけじゃ。魔法使いにとっては、まさに生命線。────儂はそれを壊す方法を知っておる」
あまりの激痛に口をぱくぱくさせて白目を剥くエドワルドに、エルリィは子供じみた無垢で邪悪な笑みを浮かべながら。
「壊れた魔力回路は二度と戻らぬ。フェルム公爵家の生き恥になって、せいぜい死ぬまで足掻き苦しめ。それが傍若無人に過ごしてきた貴様への報いじゃ」




