第23話『相容れない価値』
廊下に響き渡る怒声を聞きつけた人々が集まる前に、エルリィはクラリスを連れて退散する。ひと目の付かないところで移ってからひと息つき、子鹿のように震えて怯える姿をくすっと笑った。
「そう怖がらなくてよい。そなたの声は聞こえていた」
「あ……は、恥ずかしい……」
「ははは! そう俯くな。そなたが啖呵を切ったのはよかった!」
ぽんぽんと肩を叩いて明るい笑顔で励ます。
「ともかく、今後はしばらく誰かと共に行動して人の少ない場所を歩いたりしてはならぬぞ。何かあれば近くの者に『エルリィという一年生を呼んできてほしい』と伝えるのだ。あやつめはしつこいからのう」
そもそも、いつから自分は奴の言いなりになっていたことになったのか。孤児院時代、エドワルドが執拗に絡んできては蹴ったりしてきたが、さして気にしたこともないし、何かを頼まれた記憶もない。
よもや殴れば当時を思い出して恐怖に跪くとでも思ったのだろうか。もしそうだとするのならば、これほど滑稽な話はないとエルリィは口角があがった。
「ところでクラリスよ。奴がフェルム公爵家の者と聞いたが、まことか」
「うん……。フェルム公爵家の令息が自殺した話、知ってる?」
「知っておる。五年前、社交界でのいざこざで精神的に追い詰められたとか」
優秀な男児であったがゆえに疎まれた末に罠に掛かり、人間不信に陥った。その後、部屋の中で首を括っていたというのがフェルム公爵令息についてエルリィが聞いた話だ。それをクラリスは間違いないとして続けた。
「その公爵令息が、エドワルドとそっくりだったらしいの。それが切っ掛けで養子に引き取られてからは随分と溺愛されてて、何をしても怒られるどころか全部もみ消してくれるなんて言ってたわ。……ご両親もきっと疲れてるのね」
大切な人を失くしたとき、その存在と瓜二つの人間が現れたなら。
それはもう大切にした。過剰なまでに。だから増長してしまう。
「理屈は分かるが、それならばなおさらエドワルドがすべきは恩を返すことじゃ。つけあがって他人を傷つけていい理由にはならん」
愛されるのは当然ではない。生まれた瞬間から死ぬまで孤独なときを数百年と過ごし、転生して公爵家に迎え入れられるまで、温かさとは無縁だった。
「儂がパードリグ公爵家に拾われて、どれほど救われたか。孤児である儂らの身分など知れている。それをフェルム公爵家は愛情を注いでくれたのであろう。報いるのが当たり前ではないか。なぜその程度のことが出来ぬのだ」
憤慨するエルリィに、クラリスは俯きながら手をもじもじと遊ばせて。
「誰でも愛情をまっすぐ受け取れるわけじゃないわ。あいつは多分、救われたなんて思ってない。酷いくらいに自信家だから、公爵夫妻の注いでくれる愛情も自分が優秀で、いずれは大物になるなんて確信があるのよ」
フェルム公爵家の看板を背負っている感覚などなく、いずれは自分のモノになるとしか考えていない。富と名声を手に入れてしまえば、いつも満たされなかった支配欲を恣にできると信じている。エドワルドはそういう人間だ。
だからクラリスは彼から離れようとした。だが、ときどき振るわれた暴力の怖さが根付いてしまい、反抗しようとは思えなかった。エルリィに会うまでは。
「ごめんね、エルリィ。余計なことに巻き込んで……エドワルドに言われてあなたを連れていくはずだったんだけど、あなたの明るい笑顔を見てると、アタシはなんのために生きてるんだろうって我に返ったというか」
「うむ……。暴力は恐ろしいものゆえ仕方あるまいて」
逆の立場であれば抵抗したか、怪しいものだ。ひとえに前世の経験と力を得ていたことがエルリィを今まで後押ししてきた。もし、何の抵抗する力もなければ屈するしかない。それは否定しようもない事実だ。責める気にはならない。
「なんにしても、そなたは変われた。それで十分ではないか」
ちょっと背伸びをして、よしよしと頭を撫でる。また泣きそうになるクラリスを宥めて、ぎゅっと手を包むように握った。
「もう大丈夫。アウレリアたちを呼びに行かねば。いつでも抜け出して良いと聞いておるから、あとは寮の食堂で儂らだけのパーティを開こうぞ」
きっと優しい言葉を掛けなければ壊れてしまうほどクラリスは弱っていた。見るからに目の下には大きな隈を作って、疲弊しきっている。
「うん。ありがとう、エルリィ。こんなアタシを許してくれて」
「な~に、儂は寛大じゃからの! ほらほら、急ぐぞ!」
手を引いて小走りに会場へ戻る。
ホールの扉を前にアウレリアとウルスラが待っていた。
「おろ……中で待っていたのでは?」
食事でもしながら待ってくれていると思っていたので、目を丸くする。
「どうせそろそろ帰る頃合いだと思ってな」
「人の多いところは好きではないでしょうから」
二人とも、よく自分のことを分かっているではないかと微笑ましくなった。
「それでクラリスはどこへ行っていたんだ?」
答えにくそうにぴくっと体が動いたのを横目に見て、エルリィが答えた。
「食べ過ぎて手洗いで吐いておったそうじゃ。一緒になってはしゃいでたから、儂らに申し訳ないと思ってこっそり抜け出したんだと」
「そうだったのか。もう大丈夫なのか?」
心配そうに顔を覗くアウレリアに、気まずそうにクラリスが頷いた。
「うん。もう全部吐いちゃって、今は調子がいいくらいよ」
「その割には顔色がよく見えんが……本人が言うならまあいいか」
そうしてエルリィを先頭に帰路に就く。アウレリアはすっかり疲れて、あくびまでしたが、寮に帰ってからパーティをやり直そうと提案されると乗り気だった。ウルスラもエルリィの命令なら断れないと参加を快諾する。
「あっ、あの……エルリィ。ひとつ聞きたいんだけど」
アウレリアとウルスラが話す隙に、こそっとクラリスが尋ねた。
「さっきのエドワルドにやったの、あれは何だったの?」
「おお、あれか。反転の魔法じゃ」
ふふんと自慢げにエルリィは語った。
「力を籠めたとき、ある一定のラインを超えると急激に脱力する魔法でな。パッと見は掛かったかどうか分からん。抵抗力の高い魔獣とかには効きもせぬ低級魔法ゆえ使い道は成熟してない子供相手くらいの遊びの魔法じゃよ」
エドワルドが首席というのも、周りよりも魔力の効率について理解しているからだ。少なくとも馬鹿ではない。魔力は平均的でしかなく、子供の知識では何百以上もの魔法に理解のあるエルリィとの差は天と地ほどあった。
「弱い魔法も使い道ぞ。知りたければそなたにも教えてやろう」
「へへ、すごいなあ、エルリィは……」
そうやって他人のことでも喜んでいるクラリスを、それとなく観察する。
魔力は平均以上ある。正しく育てれば、さぞや高名な魔導師になれるだろう。ただ残念ながら、その自覚が本人にはまったくなかった。
「ま、いずれそなたも大物になろうて」
「だといいなあ。夢のまた夢だろうけど」




