第18話『悪戯には悪戯を』
そうして明日のことばかり考えていたせいで、エルリィは一睡もしなかった。困ったことに眠気がやってこなかった。睡魔がやってきたのが起床する時間なのも最悪だった。今にも倒れそうな顔をして登校の準備を始めて、さすがにアウレリアも哀れに思ったのか「背負っていこうか」と五分でも仮眠をとるよう促す。
たった五分で眠気が消えるのかは分からなかったが、せっかくなら厚意に甘えようと親友の背中で眠りに就き、本人の知らぬところでとても目立ったのだが、それはそれ。教室に着いた頃にはエルリィはすっかり顔色が良くなっていた。
「いやあ、よく眠れたのう」
「嘘だろ……。たった五分でそんなに?」
「ちょっとした魔法を使ったのじゃ」
元々、エルリィが最低限必要とする睡眠時間は短い。そこへ疲労回復の魔法を掛けてから熟睡すれば、五分でも二時間以上は眠ったのと同等の効果がある。
ペンとノートを机に出して、授業を受ける準備はバッチリだ。
「はい、皆さん揃っていますね。おはようございます」
担任のシエロがぼさぼさの頭で教室にやってきた。両腕に抱えた大量の冊子を教卓にどかっと乗せて、ふうとひと息つきながら額の汗を腕で拭う。
「改めまして担任のシエロです。今日の一限目である魔法基礎学の担当もさせていただきます。皆さん、よろしくお願いします」
頭を下げて挨拶をすると、生徒たちは手を叩いて温かく迎えた。
「まずは出席を取りますね。名前を呼ばれたら返事を────」
ひとりずつ名前が呼ばれていく。エルリィは自分の番をワクワクしながら待って、呼ばれた瞬間に席をがたっと立って腕をまっすぐ伸ばした。
「はいっ!」
勢いのある返事にシエロがニコッと笑って頷く。
「元気があって大変良いですね。すっかり名前を覚えましたよ」
昨日の一件もあるけど、と思いながらシエロはエルリィが着席するのを見て、次の生徒を呼ぶ。全員がいるのを確かめたら教科書の配布が始まった。
「最前列から後ろの席の人に回してください。行き渡ったのが確認できたら、今日のところは皆さんの自己紹介の時間にしましょう。はやく授業を受けたい子もいるでしょうけど、これから四年間、切磋琢磨するライバルであり友達になるかもしれません。なのでまずはお互いのことを知るのが最初の授業です」
それから一人ずつ、また名前を呼ばれると席を立ちあがった。
自分の名前は何で、趣味は何か。将来の夢は何か。ありきたりな自己紹介の時間は本当に必要なのかと全員に疑いを持たせて淡々と進んだ。
「次はアウレリアさん」
呼ばれて、アウレリアが立ちあがった。周囲からはひそひそと声がする。
(なんだ、私の方を見て……。昨日はなかった気がするが)
何を話しているかは分からなかったが、自己紹介は続いた。あくまでも簡潔に粛々と。これといってまだ進路も決まっていなければ大した趣味もない。過ぎる時間が、ひどくゆっくりに感じて、解放されたときにはホッと息を吐く。
「なんじゃろうのう。儂らに向けられる視線が……」
「お前も気付いたか?」
「ああ。儂だけならともかく、そなたまでとは」
周囲に聞こえない程度に会話をしながら、エルリィは怪訝な顔をする。
自分の容姿であれば悪魔の生まれ変わりだとか、魔女が姿を変えているに違いないとか、あるいは不幸の象徴とでも呼ばれるのが自然だ。ならば、その外見的特徴とは無縁なアウレリアまでもが何故囁かれるのかが不思議だった。
その理由を知ったのは、最初の授業という名の交流が終わってからだ。
「ねえ聞いた? あの二人……」
「エリオットさんに喧嘩売ったっていう……」
嫌な会話だとエルリィが露骨に眉をひそめた。
「どうやら昨日の食堂の一件で騒がしいようじゃな」
「だからってひと晩でここまで噂になるものか?」
教室にいるとうんざりするほど視線を感じるので、二人は散歩がてらに校舎内を歩きながら話す。残念ながら、視線はどこにいっても集まっていた。
事態が細かく分かったのは一階の廊下にある掲示板を見たときだ。
『謎の美少女新入生、先輩のお誘いをお断り!?』
皆が囲んでみている記事を見て、エルリィとアウレリアは視線が遠くに逃げた。なんの間違いだろうか、と白昼夢に魘されている気分になった。
どうやらエリオットは学院のアイドル的存在らしく、そんな彼の誘いを断ったのが学院内では意外どころか有り得ないという認識なのだ。実に馬鹿げている、とアウレリアは肩を竦めた。
「どこの誰だ、こんな記事を書いた奴は?」
「書いておらん。そのエリオットとやらが書かせ────むぐっ」
明らかに周囲を敵に回す発言だと即座に判断してエルリィの口を塞いだが、残念ながら聞こえてしまっている。男子はともかく、女子の『コイツらは何もわかっちゃいない』とでも言いたげな棘のある視線がちくちくする。
「エルリィ、そろそろ次の授業も始まるし教室に戻ろう」
「おお、もうそんな時間かや。仕方ないのう」
休憩時間は十分しかない。もう少し歩いて地図を頭に入れておきたかったが、そんなものだろうと諦める。立ち去るときも睨まれていて、エルリィはくるっと振り向いたかと思うと、べっ、と舌を出す。
「やめないか」
「だってあいつら、儂らに敵意を向けとるもん」
「相手にしない方がいい。つけあがるぞ」
問題が起きて、悪者扱いされるのは少数側だ。論より証拠を求める大人たちに期待はできない。アウレリアは頼りにならない大人に縋るなら、最初から相手にせず、大事を避けて波風を立てないように過ごそうとした。
だが、現実は思う通りにはいかない。波風を立てないよう過ごそうとすれば、逆に無理やりにでも立たせてやろうと考える者はいくらでもいるのだ。
「アウレリアよ。これはちと問題ではないか?」
エルリィの机には落書きがある。可能な限りの罵詈雑言を書かれた。たった十分ほど席を外している間に。字の書き方から複数人の仕業で間違いない。挙句、汚れた雑巾が何枚か乗せられていた。机の中身をわざわざ出して、その上に。
「なんというか稚拙じゃのう。強かさがない」
「だとして、どうするんだ。こんなにも汚れてしまって」
困り顔のアウレリアの背中をぽん、と叩いてエルリィはニヤッとする。
教室の入口、もうそろそろ始業のチャイムがなる頃なって、二人の様子を見守って嘲笑する三人組を見つけたエルリィが、雑巾に触れる素振りをみせた。
「おろ、雑巾が消えてしもうた」
演技だ。本気で不思議がっているように見えたが、その直後に女子生徒の悲鳴が響いた。主犯だろう三人の頭上に、突如として雑巾が降ったのだ。机に乗っていた枚数分、きっちりと。
(まさかコイツ、何もなかったふりをして転移魔法を?)
パッと見は魔法を使ったかどうかすら分からない速度。魔塔の魔法使いでもそうはならないだろうとアウレリアは驚愕すると同時に、陰湿なやり方に対して陰湿さで返すエルリィにどこかスカッとした気分になった。
「くくっ、いい気味じゃ。席に着こう、授業が始まるゆえな」
びちゃびちゃだったペンもノートも、いつの間にか乾いていた。いや、乾いたというよりは元の状態に戻ったと言うべきか。アウレリアが見るかぎり、濡れていたはずのノートはしわひとつなく、新品のようだった。
「……あまり気にしないでおくよ」
「ウム。深く考えたら負けじゃ、負け!」




