第17話『子供でいたい』
傘は小さくて、肩はずぶ濡れになった。けれども、ちっとも寒くはない。寮に戻ってからも温かい気持ちで、もう一度シャワーを浴びたら、いそいそと夜食の準備だ。部屋の隅にあった小さい折りたたみテーブルを置いて、いっぱいのマカロンやドーナツの入った箱を開ける。
「うむむ、宝箱を開けたときとはこんな気持ちなのかのう」
「ハハ、それは知らないが……まあ、嬉しいよな」
紙で出来たカップを用意して、購買で買ったオレンジジュースの瓶を開ける。甘みと酸味を感じる爽やかな香りが部屋にふわっと広がった。
「これこれ! 儂、このオレンジジュース好きなんじゃ。確かザイン子爵家が発案したガラス瓶じゃったかのう。これに入れると鮮度が長持ちするとか」
「魔法の粉をガラスに混ぜてるそうだ。なんでも使える魔法の瓶と触れ込んでたぞ。ひとつ銀貨十五枚と、それなりに安さもあって人気らしい」
カップに注ぎながら、アウレリアはふと気になったことを尋ねた。
「そういえば結果はどうだったんだ。魔力測定したんだろう」
「壊れた」
「……? えっ、と、つまり?」
「水晶玉が壊れた。魔力を流し込んだら崩れてしもうた」
さも当然のように言ってマカロンを口に放り込む。口の中に広がる強烈な甘みがエルリィの好みにビビッときて頬を緩ませた。
アウレリアはその空気がまるで理解できずに眉間を揉んだ。
「そんなバカげた話があるか。私でさえ百七十くらいだったのに」
「子供の身であればむしろ立派じゃろ。儂の格が違うだけの話よ」
はあ、と大きなため息が聞こえてきてエルリィは怪訝な顔を浮かべた。
「そんなにおかしいことかや。おるじゃろ、ひとりくらい」
「いないから驚いてるんだろう。あの水晶玉は魔塔で製造された特注品だぞ。耐久性に関して言えば、いくらか無茶をしても壊れないようになってる」
そうだったのかとエルリィはほんの少し驚いたが、それはそれとして遠慮なくアウレリアの買ったマカロンを次々に口の中へ放り込んでいく。
オレンジジュースで喉を潤すと、満足げな顔をしながら言った。
「まあ、強きことに問題はなかろう。今後の進路も決めやすいというもの。そなたこそ、本当に騎士になるのか今からでも考えておくべきではないか」
「卒業まで四年もある、そう急いで答えを決める必要があるか?」
ドーナツを小さく齧って、アウレリアはテーブルに肘を突く。
「できれば帝国騎士団には入りたくないかな」
「兄上殿がおるからか?」
「ああ、二人ともだ。だから前線には出たくない」
「なら魔塔で研究者になるのが良かろう。他に夢があれば別じゃが」
騎士の家門に生まれたならば、大体は騎士を目指すのが自然だ。子供は親の才能を引き継ぐどころか、より強くなって活躍するケースも多い。
だが、必ずしもそれが天職とは限らない。アウレリアは騎士に興味がない。今のところは剣を握る以外に自分の道を見いだせていないので、いっそ傭兵にでもなってやろうかと考えるほど家族とは距離があった。
「そう簡単に決められたらいいんだが、親が許さないと中々どうして自由にはなれないものさ。その点、お前が羨ましいよ。パードリグ公爵は優しいと聞く」
「ウム、確かにお父様は優しい方ではあるが……」
その優しさは単純なものではない。家族であるエルリィには無条件で愛情を注いではいるが、従者に対しては容赦がない。最初こそ娘として迎えたのであれば公爵家に見合う人間に育ってほしいと厳しく躾けたが、今ではロドリックも何か問題があれば即座に従者を切り捨てるようになった。
そもそも、公爵家とは以前からそうであったのかもしれないとエルリィはふいに思い、なんとも苦い笑いが浮かんでしまった。
「ま、安心するがよい。もしそなたの行く道を遮る者があれば、必ずや守りぬいてやる。約束じゃ。……私の初めての友達じゃからのう」
照れくさいことを言ったか、と微笑んで視線をそらしてしまう。
アウレリアはその言葉を受け止めて嬉しくなった。
「ありがとう。お前と仲良くなれて本当に良かった。だが、初めての友達とはどういうわけだ。デビュタントなら同年代も多かったんじゃないか?」
エルリィがやんわりと首を横に振って、手に持ったマカロンを見つめた。
「あの場にいたのは大人じゃ。子供の皮を被っているだけの」
口を開けば家門の話。ゴシップ。それとない距離の詰め方で取り入ろうとする人間の温床。十六歳の子供が強いられる現実と、本来そうあるべきでない若さのギャップがエルリィには地獄に見えた。あまりに惨い生き方だと。
貴族とは本来そうあるべきなのかもしれない。社会経験の一環で放り出されたであろう場所の凄惨さたるや、口にするのも悍ましかった。結局、気分が悪いふりをして席を外したら、終わるまではほとんど顔を出さなかった。
「儂は甘い世界で生きていたい。友達とこうしてお菓子を食べながら、たわいない話をする方がずっと楽しい。子供でいたいんじゃ。あのような世界にいては、いずれ自分らしさを見失ってしまう気がして逃げてしもうた」
仲良くなれる気もしなければ、仲良くなりたいとも思えなかった。その晩に起きた出来事が、何もかも記憶から消し去りたいほどうんざりした。人間の醜悪さを煮詰めたような場所。良い部分ばかりではないのだと思い知った。
暴力による支配はいつでも振り解ける。むしろ返り討ちにしても問題ないくらいだ。デビュタントを見たときの、悪意を振りまいていながら巧妙に常識人に擬態する胡乱さの方が、抵抗が難しい分、よほど厄介であると学んだ。
「随分と大変な目に遭ったんだな。私はいけなかったから」
「その方が正解じゃ。そなたまであれらに染まっては悲しい」
「ああ、そうだな。さて、夜も遅くなってきたしそろそろ寝るか?」
「まだドーナツが……あれ、なくなってる」
「そんないつまでも残ってるわけないだろ。私のマカロンはどうした」
返す言葉もない、と言いながらぺろっと舌を出す。反省はなかった。
「片付けは明日にでもしよう。あまりウロウロして誰かを起こすのも悪い」
「ウム! 色々あったが、悪くない始まりじゃったのう」
「私もだ。じゃあ歯を磨いて、ぐっすり朝まで寝るとしよう。疲れを残しては眠気に負けて授業どころじゃなくなるからな」
時計は午前二時を指している。少なくとも五時間は眠れるだろう。
二人一緒に歯を磨き、ぴかぴかになったかを鏡でチェック。ばっちりだ。
「電気を消すが、もういいか?」
「構わぬぞ。おやすみ、アウレリア」
「……おやすみ」
ぱちっと電気が消えて、先ほどまで笑いあっていた時間が終わりを告げた。
明日からはとうとう授業が始まる。エルリィはベッドの中で、ワクワクしながら目を瞑った。きっと明日も良い日になる。期待はどんどん大きくなった。
「もっと友達、増やせるかなぁ」




