第16話『雨が降ったら』
ローゼが部屋を出てから、せっかくシャワーを浴びたのにと不満げに制服に着替える。アウレリアは待っていると言ったが、ひとまず遠慮した。
廊下は静かで、零時を回れば外は街灯以外は殆ど照明がないせいか、どこか陰鬱な雰囲気さえ感じる。昔と違って一人で歩くのはなんとなく寂しくなって、エルリィは自然と早足になった。
校舎の中はまだ明るい。教員がまだ残っているからだろうが、職員室に行くまであまりにも静かで、自分の靴音が反響するのがどこか恐怖心を煽った。
「儂、幽霊は苦手なんよな。あれって明るくても出るらしいし……」
何を考えているかも分からない。生きていないだけに消滅させる手段もない。自分の身を守れるかどうかも不確かだ。世界とは隔絶されていながら、ときおりすり抜けるように接続する存在。エルリィの嫌いなものでも上位に入った。
特に霊障が起きることはなく、不安な気持ちも職員室に辿り着く。扉を開けて中に人がいた瞬間の気持ちの落ち着きは何にも代えがたい。
「やあ、いらっしゃいましたね」
待っていたのは担任のシエロと、他に数名のまだ仕事中の教員だ。何人かは小さく頭を下げたり笑顔を浮かべるだけで、自分の担当でなければ案外他人行儀なものであるな、とエルリィはなんとなくつまらない気分になった。
「あと三十分で閉めるところだったんですが、来てくれてよかった。準備はできているので、こっちに座って頂けますか」
用意された椅子にちょこんと座る。誰かの席なのだろう、散らかった机は置いてあるものが強引に端へ寄せられて、ど真ん中には複雑そうな装置にセットされた水晶玉が置かれていた。
「ちょっと待ってね、今起動するから……」
「これはなんじゃ?」
純粋な質問にシエロはニコニコしながら準備を続けて答えた。
「魔力測定装置だよ。セットした水晶玉が内部の魔力と連動して、君の魔力を吸収しながら発光するんだ。計測が済んだら正面の小さいパネルに、君の魔力を数値化した結果が表示される仕組みだよ。最大値は五百まであるけど、大体の子は百に届かないくらい。卒業する頃には二百五十が平均になるかな」
機械オタクなのだろうか、と饒舌になるシエロに耳を傾ける。
準備が終わったら一瞬だけ水晶玉が発光した。
「残滓魔力の発散が終わったみたいだね。これで完全にステータスはリセットされたから、そっと手を置いて魔力を流し込んでみてくれるかな? もちろん、無理はしなくていいよ。息切れ寸前までやる子もいるけど、それは正式記録にはならない。安定した状態で流し込まれる魔力を記録する決まりが────」
ばん、と破裂音がして水晶玉がばらばらに割れて崩れた。何が起きたのか分からないシエロは、ただ笑顔のまま固まっている。他の教員も何が起きたのかと覗き見て、割れた水晶玉を見るとぎょっとして集まりだす。
「……なんじゃ、不良品かや。新しいのはないのか?」
「もも、もちろんあるよ。すぐ持ってくるから待ってて」
慌てて砕けた水晶玉を取り除き、急いで備品室から新しいものを調達する。改めて装置に接続しなおして、今度こそと全員に見守られながらエルリィが魔力を流すと、やはり水晶玉は同様に砕けてしまった。
「あれぇ、もしかして装置の方が悪いのかな……」
困り果てたシエロに、他の教員が手を挙げた。いかにも体育会系といった体格の良さをした男が、自分が変わりに計測してみると言うのだ。シエロがもう一度持ってきた水晶玉を接続すると、教員の男は手を触れて魔力を流し込む。
「……はい、計測できました。装置じゃないようですね。他の水晶が不良品だったのかもしれません。今、魔力も発散させましたので、エルリィさん。申し訳ありませんが、あともういっかいだけお願いします」
「ウム、そうか! では遠慮なくやれそうじゃのう!」
触れて魔力を流し込んだら、今度は水晶どころか装置まで音を立てて、内部から黒い煙を吐き出してしまう。そこまでやって、ひとりのおどおどした暗い雰囲気のある教員が小さく手を挙げながら────。
「もしかして、エルリィさんの魔力に装置が耐えきれてない可能性は……」
「そんなことってあるんですかね。パードリグ公爵様くらいなら装置で計測できないことはあっても、装置自体が壊れるとなると、もはや規格外ですよ」
教員同士で話し合いが始まり、その話題の中心にエルリィがいるにも拘わらず、当の本人は蚊帳の外といった状態で、だんだんと耳障りになっていく。
「もうよい。この装置で儂の魔力を測れぬのであれば実演してみせよう」
今のクラスに適した魔力であると証明できればいいのなら、と適当に指先に魔力球を作る。サイズは豆粒ほどだが、内包された魔力の密度は素人目に見ても基準を遥かに超えていると分かる。それでさえもエルリィはまだ加減していた。
「これで良いじゃろう。儂の実力は示せたはずじゃが」
「あ、ああ……はい。ですが数字として記録できないので……」
「んもう、面倒くさいのう! ありのままを学院長殿に伝えてくれ!」
そう言ってエルリィは席を立ち、むかむかした気分のまま職員室を出た。
記録がどうだと縛られるのはうんざりだ。実力が伴っていれば十分だろうに、人間はすぐにややこしい手順を踏ませようとするのが嫌いだと力いっぱいに歩く。校舎の入口まで来て、その怒りはスッと鳴りを潜めた。
「アウレリア?」
寮で待っているかと思ったアウレリアが、優しそうに微笑む。
片手には傘を二つ持っていた。
「迎えに来た。雨が降ってきたから困るだろうと思って」
「おろ……本当じゃ。いつから降り出したんじゃ?」
「ちょっと前だよ。降り始めたら早かったから、急いで出たんだ」
アウレリアの靴はぐっしょりと濡れている。よほど激しい雨だったのだろう、学院内は遮音性があるのか、それとも苛立っていたからなのか、エルリィは気付かなかった。迎えにきてもらったのが嬉しくて、傘を受け取るとすぐに開く。
「おお、花柄か!」
「寮で借りたんだ。玄関に貸し出し用のものがあったから」
「そなたのは真っ黒で飾り気がないのう」
「別にいいさ。私には可愛いものは似合わない」
遠慮するアウレリアの隣に立ち、エルリィは腕を少し伸ばして傘を高く持った。そして自慢げに鼻を鳴らして笑い、手を繋ぐ。
「好きか嫌いかに、似合う似合わないは関係ないぞ。儂はそなたが花柄が好きだと言えば、儂もそうだと一緒になれる方が嬉しい!」
無垢な言葉にアウレリアはやれやれと肩を竦める。
背伸び気味に腕を伸ばすエルリィの手から傘を取った。
「お前は小さいからな、私が持とう」
「んふふ、では帰るとしよう」
悪天候でも傘の下だけは晴れやかだ。
先ほどまでの苛立ちも雨に蕩けて消えてしまった。




