第15話『やるべきこと』
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ひと悶着あったような一日も終わりが近付く。二十二時を過ぎても寮はまだ明るく、騒がしい。門限は決まっていないが、他人に迷惑を掛けてはならないという理由で基本的には皆が零時をまわる頃には部屋に戻っていた。
「そろそろ風呂に入らねばならんのう」
時計の針がゆっくりと進み、窓の外に見えるポツポツと明るいだけの景色を見て、そっとカーテンを閉めた。着替えはまだトランクの中で、いくつかはクローゼットに片付けたが、帰って来たのが夕方だったので面倒になって途中でやめた。
明日こそ片付けよう、と頷いてトランクを開けてパジャマを探す。
「夜食を買って来たぞ、エルリィ。一緒に食べ……っと、悪い」
「構わぬ。湯浴みを済ませたら食べよう。それよりそなたはどうする?」
「ああ……着替えがないのは困ったな」
ひとまずシャワーだけ浴びて、服は我慢して着ておこうかと悩んだところで、エルリィがずいっとトランクの中からパジャマを押し付けた。
「儂は窮屈なのが嫌いで少し大きいサイズのものを着て寝ておる。これならそなたでも着れるはずじゃ。下着もさほど困らんじゃろ」
「いいのか? というか、下着まで?」
申し訳なさそうに着替えを抱くアウレリアに、エルリィはうんと頷く。
「他にも持ってきておるゆえ。安心せよ、下着は新品ぞ」
「……気を遣わせてしまってるな」
「友達なんじゃから別に良かろう。先に浴びてくるがよい!」
「ああ、せっかくだから、そうさせてもらおう」
んふふ、と可愛く微笑むエルリィの頭を撫でて脱衣所に入った。アウレリアがシャワーを浴び始めると、机に向かって引き出しにしまっておいたノートを取り出す。表紙には『日記』と大きく書かれてある。
「今日から学院であったことを、たくさん書かねばな」
家に帰ったときに見返しながら、ウルスラにいっぱい話をするための日記だ。家族以上に傍にいて支えてくれた笑顔を思い返すと会いたくてたまらない。まだ初日だというのに、二週間は会ってないような気分になった。
「ウルスラ……。大丈夫かのう」
机に肘を突いて、ペンを顎に押し付けてぼやっと考える。
決して良い立場ではない。公爵家のメイドとして長いが、かといって周りから尊敬されるでもなく、黙々と従事するので評判は他のメイドたちが勝手に下げてしまう。実に勿体ない娘だと恋しさが増した。
「何を書いているんだ?」
「うむ、日記をな。もうあがったのか」
「シャワーだけで済ませた。夜食があるから」
「それもそうじゃのう。儂もそうしよう」
用意しておいた着替えを持って脱衣所に入り、服を脱ぎながら、洗面台の鏡に映った自分の細い体を見る。なんとも華奢で頼りない。魔法がなければ生きていけないような矮小な身体を昔は疎んだが、今は中々に馴染んでいて悪くない。
(魔王としての面影は、見る限りではどこにもないのう)
自慢だった黒髪は真っ白で瞳も紫に輝いている。かつての威厳はどこにもないが、その代わりに愛嬌はたっぷりの小動物。チワワと呼ばれても、なるほど納得だ。成長したら胸も膨らんでくるだろうか、と今は何もない絶壁に目を細めた。
「はは、何を求めておるんだか」
随分と人間に染まってきたかなと笑いながらシャワーを浴びる。変わらないのは内に秘めた魔力だけ。枝のような細い身体を温めて、やんわり撫でた。
(魔法使いの水準は極めて低いと思っておったが、見たところ何人か優秀なのがいそうじゃったな。正しく導けばの話ではあるが……)
誰もが誰も、アウレリアのように仲良くなれるわけではない。嫌な性格の人間は必ずいて、そういう人間は常々狡猾に牙を研いでいる。ぶつかり合うだけではどうしようもないほどの悪人が力を持てば問題だ。
「儂に人を見る目があればいいんじゃがなぁ」
ぼつりと零れた愚痴は重たく、シャワーでは流しきれなかった。
そんな審美眼があれば、初日からアウレリアと喧嘩などしていないのだ。
「おい、エルリィ」
脱衣所から声が聞こえて振り返った。
「なんじゃ。何か困ったことでもあったかや」
「困ったといえば困ってる。学院長がいらしたんだ」
それは問題だな、と長居はやめて浴室を出た。落ち着いて髪を乾かしている暇もなく、パパッと急いで用意しておいたパジャマに着替えて学院長を迎えた。
「失礼します、学院長。湯浴みをして遅れてしまいました」
「ああ、構わん」
紅髪の魔法使いが二人を迎えて、眠たそうな顔で眼鏡の位置を中指で整える。
「エルリィ、お前の入学に伴って試験が行われなかったそうだな。魔力テストだけするから校舎まで行ってくれるか。私は帰る途中に立ち寄っただけだ」
「帰るんですか」
魔力テストとなれば気にもなるだろうにと思いながら尋ねると、ローゼは心底嫌そうな顔をしてチッと舌を鳴らす。
「なぜ時間外労働をせねばならんのだ。目も悪いのに書類を相手に小さい字など眺めてられるか。見ずに判を押すわけにもいかない。わかるだろう?」
分からない。そう言いかけて言葉を呑み込み、苦笑いで誤魔化す。
「とにかく校舎へ行け。うちは個々の魔力の基準に応じてサポートする決まりがある。興味はないが、やってもらわないと困るんだよ。生徒に関する資料は国に提出する決まりもある。でないと私が小言の餌食にされるからな」
「はあ、そうですか。でもなぜ、こんな夜中にされるんですか」
早く帰りたいローゼは眉間にしわを寄せて睨みながら。
「個々の情報漏洩を防ぐ目的だ。昼間に行うと尾行して盗み見る輩が出たこともあるんで、深夜に声を掛けるようにしてる。起きていないときは通知の手紙を渡しておくようになっていて、お前以外は全員寝ていた」
ちら、とアウレリアのベッドに乗っている夜食のお菓子や総菜パンを見て、まだまだ起きているつもりだったのだろうな、とローゼはくすっときた。
「呼び出しておいてなんだが、夜更かしも程々にしておけよ。明日からは授業もある。それでは私は帰るから、早めの就寝を心掛けるように」




