デッ、デデデデデデー!?!
「せあーッ!!!」
見事な気迫とともに、鉛色の刃が雪絵の刀と交錯する。
ガキィン!金属音が響き渡る。曇りなき晴天の下、眩い火花がチカチカとまた瞬いた。
「やるわね、セレフィーナ」
「こんなものではなくってよ!」
セレフィーナは得意気にニヤリと笑う。左手でさらに剣を打ち付ける。さらに重心をずらして体重を乗せ、雪絵にさらに負荷をかけてきた。刀が軋むように悲鳴をあげる。このまま競り合っては、雪絵の刀が折れてしまう。
一旦引こうと膝を曲げ、足裏に力を入れる。その瞬間、セレフィーナの眼が細まり、
「隙ありっ!!」
一対の剣が、横に薙ぎ払われた。
一瞬の浮遊感。雪絵は受身も取れず弾き飛ばされ、地面に転がる。柔らかな芝の上を2、3度転がり、ようやく体が止まった。
仰向けに空を眺める。ぷっかりと浮かぶ雲が気持ちよさそうに青空を泳いでいる。今日も誠に良い天気だ。
「1本」
審判役の華が右手をあげた。残念ながら、この勝負は雪絵負けである。
上体を起こし、頭をポリポリとかく。やはり、考えもなしにセレフィーナに挑むのは得策ではなかった。そもそも接近された時点で雪絵勝ち目はなく、2本の剣をどうにか捌くことができればあるいは……といった具合だったのだが。
「ふふん!このわたくしに剣術で挑むなんて、10年はやくってよ!」
セレフィーナが得意気に鼻を鳴らした。
「そうね。今回ばかりは完敗だわ」
差し伸べられた手を取り、立ち上がる。服についた汚れを払いつつ、頭の中で試合の流れを反芻する。肉弾戦において、セレフィーナにはまだまだ敵わないらしい。術式を使えば話は別なのだが、などと未練がましく考えてしまった。
サクサクと芝生を踏み、華が近づいてきた。不思議そうに小首をかしげながら口を開く。
「にしても主、なぜ術式を使わんのだ?」
雪絵はぼんやりと空を眺めた。澄み渡る空色が穏やかに雪絵を包んでいる。
「……気分、かな」
「はぁ?」
華が素っ頓狂な声をあげる。
「お主、術式を使えば敵なしだろう?どうしてわざわざ……」
「レミリアとか、セレフィーナ見てると……生身の身体能力も大事かなって」
「ふふん!ようやく剣術の素晴らしさに気づいたのかしら?」
セレフィーナは鼻高々に告げ、「おーほっほっほっほ!」と上品に笑って見せた。華が露骨に嫌な顔をする。そそくさと雪絵の傍により、袖を引っ張ってきた。雪絵がしゃがんでやると、耳に口を寄せてくる。
「おい主、なぜセレフィーナ嬢がここにおるのだ」
「陛下に呼ばれたんですって。先日の、襲撃事件の件で」
「むー……。だったらローゼンベルク卿を呼べば良いではないか」
文句を垂れると、華はそっぽを向いていじけてしまった。どうやら、セレフィーナには苦手意識があるらしい。
「あら、メイド風情がわたくしにご不満があるのかしら?」
セレフィーナが露骨に華を挑発する。口元は扇で隠しているが、その向こうには意地の悪い笑みを浮かべているに違いない。
対する華も、大人びているとはいえまだまだ子供だ。すぐさま顔を真っ赤にして、セレフィーナへ反撃する。
「はんっ!そんなのあるわけなかろう。名誉あるローゼンベルク家の人間が、こーんな小物のメイドに突っかかるなんて……世も末だのぅ」
セレフィーナの額に青筋が浮かぶ。追い打ちをかけるように、華が「はっ」と嘲り笑った。
両者の間に稲妻が走り、カーンと開戦のゴングが鳴った。
些細な嫌味から直接的な暴言、口にするのも憚られる罵倒にまで発展したところで、ついに華がキレた。大貴族のお嬢様に向かって拳を振るい、対するセレフィーナも楽しそうに応戦する。
ボカスカと小競り合いが勃発するのを尻目に、雪絵は青々とした芝生の上に寝転がった。ああなったらおそらく、数十分の間はあのままに違いない。
大きく息を吸い込むと、土臭い植物の匂いが鼻いっぱいに広がる。
こうして外で横になるのが、雪絵は好きだ。視界が90度変わるだけで、まるで異世界に来たような感動を味わえる。視界いっぱいに空が映り、自分を見守ってくれていると錯覚することができる。
しかしその空も、今日に限ってはくすんで見えてしまう。
(……花霞は、一体何処へ向かっているの?)
ローゼンベルクでの一件は、雪絵の心に一抹の影を落とした。
新型の鬼を用いた襲撃には、雪絵の部下であった男、大黒が関与しているのは間違いない。すなわちそれは、背後で花霞が指揮をとっていることになる。
可能性はあくまでも可能性に過ぎない。確固たる証拠を掴むまで断定はできない状況ではあるが、雲行きは怪しいとみて間違いないだろう。
(まだ、確定したわけじゃない。今は情報を集めて、花霞の動向を調べるしか……)
のんびりと空を泳ぐ雲がとても羨ましく思えてしまった。あんな風にしがらみもなく生きられたら、よっぽど楽だろうに。
ゆったり空を眺めていると、ふと黒い人影が窓から飛び出してきた。
(……?)
雪絵がぼーっとしている合間にも、影は一直線に降下してくる。グングンと大きくなる人影はやがて銀色の光を反射し、音もなく雪絵の隣に着地した。
あの高さから飛び降りて無傷。影の正体は言わずもがな知れていた。
「あら、雪絵さん」
かっちりと軍服を着こなしたレミリアが、雪絵を見下ろしている。
「こんな所でどうしたの?」
「いや……ちょっと、ヤバいやつがいて」
レミリアにしては珍しく歯切れが悪い。よくよく観れば頬に冷や汗が浮かんでいるし、視線も泳いでいる。
「ヤバいやつ?」
「ちょ、ちょっとね。……あ、もうすぐシルが落ちてくると思うから、後はよろしく」
「え?」
雪絵が起き上がると同時に、レミリアは風の速さでどこかへ消えてしまった。
と、同時に。
「ぎゃああああ――」
懐かしい悲鳴が上空から聞こえてきた。見上げると、さっきよりもやや大きな人影が雪絵目掛けて落ちてくる。
全てを察した雪絵は、即座に首元の術式を展開。右手を空に掲げ、影の落下地点に防護障壁を展開する。さすがにそのままだと落下死しそうなので、空気の層をクッション代わりに作ってやった。
悲鳴をあげながら、影――もといシルヴィアが防護障壁にスポッと収まる。
「え?」
シルヴィアがぱちくりと瞬きをした。雪絵が障壁ごとゆっくり地面に下ろしてやると、紺碧の瞳と目が合う。
「え、あ、あれ?……雪絵?」
「……何してるの?」
呆れ顔で雪絵が尋ねると、シルヴィアはきょとんと雪絵を見つめ返していた。しかしすぐに我に返ると、この世の終わりのように顔を青くする。
「ま、ままままずいんですよ雪絵!!今すぐ逃げましょう早く早く!」
障壁から降りるなり、シルヴィアは顔を真っ青にして雪絵の手を握った。そのままグイグイと引っ張られ、流されるままに後へと続く。
握られた右手がじんわりと温かい。自分と同じくらいの体温のはずなのに、シルヴィアの手は陽だまりを集めたように心地よかった。
「ちょっと、シルヴィア?」
尋ねるも、シルヴィアは大量の汗を流したまま振り向きもしない。繋がれた手が震えてるのは、武者震いの類だろうか。内心疑問に思っていると、シルヴィアが突然足を止めた。その前には青筋を立てたセレフィーナが仁王立ちしている。
「シルヴィア様!いきなりいらっしゃったかと思えば、突然なんですの!?」
セレフィーナはまさに鬼の形相でシルヴィアを睨む。赤いドレスの背後から華がひょっこりと顔を出し、くすくすと笑っている。
「い、今はそんなこと説明してる暇はないんですよ!」
「はぁ!?わ、わたくしに向かってなんてことを!」
顔を真っ赤にしてセレフィーナ。反対に、シルヴィアは顔を真っ青にして子うさぎのように震えている。さすがの様子にセレフィーナも不審に思ったようで、はて、と小首をかしげた。
「……本当にどうしたんですの?」
尋ねても答えはなかった。代わりに、愕然とした表情でシルヴィアはセレフィーナを――正確にはセレフィーナの背後にいる女性を見ていた。
雪絵から見ても美しいと思えるくらい、目鼻立ちの整ったご婦人であった。長い銀髪を後ろで束ね、すらりとした体躯に白いドレスが映えている。何よりも切れ長の紫紺の瞳は宝石と見紛うほどに眩しい煌めきを宿していた。
(……この人、いつの間に)
内心雪絵が腰を抜かしていると、女性は雪絵をちらりと見て、にこやかに微笑みかけてくれた。つられてぎこちない笑顔を返すと、ふふふと上品な笑みを浮かべる。
ふと、雪絵は気がついた。
その女性の右手は、人間の襟首を掴んでいた。右手の先を辿ると、あでやかな金色の髪がはらりと落ちるのが見えた。見覚えのある背格好は、ステラで間違いない。口から魂を出し、四肢を投げ出して昏倒していた。
あまりにカオスな状況に、雪絵も言葉が出なかった。セレフィーナは扇で顔を隠し、華は目を背けて口笛を吹く。全員が全員、全力で見ないふりをしている。
「…………終わった」
シルヴィアがつぶやくと同時に、彼の体は空中に投げ飛ばされていた。
※
「あらまぁ!婚約者候補が増えていたなんて、おばさん知らなかったわぁ」
「つい最近のことですから、おば様が知らないのも無理はありませんわ。かく言うわたくしも、急なことでびっくり致しましたもの」
そう言って、セレフィーナは優雅に紅茶に口をつける。些細な動作にも気品があるなぁ、と雪絵が感心していると、対面に座るご婦人が言った。
「まぁまぁ。セレフィーナちゃんにも内緒で?それはよろしくないわぁ」
何食わぬ顔で、ご婦人はシルヴィアの頭に拳骨を落とした。ゴチン!と鈍い音が鳴り、シルヴィアが瞬きの間に床に沈んだ。目の前で行われたえげつない行為に、雪絵そっと目をそらす。
「おば様こそどちらへ行かれてたのですか?」
「南西部にね、ちょうどいい感じの山があったから、半年くらい潜ってたの。でも陛下に急に呼び出されちゃったから、満喫できなかったわぁ。ほんと、酷い人よねぇ」
「おほほほ……それはお気の毒ですわ」
セレフィーナが貼り付けた笑みで返す。
「雪絵さんも大変だったわねぇ。うちの息子が迷惑かけたようで、ごめんなさい」
「……いえ、それほどでも」
「あらあら、そう?その割には、さっきから私と目を合わせてくれないじゃなぁい」
ギクリ、と体内の肝が抜ける心地がした。視線下に向けると、シルヴィアの亡骸がある。上に向ければ般若も裸足で逃げ出す美しい笑みがあった。ここが戦場であれば、雪絵は迷わず一時撤退を選んでいただろう。
「……人見知りなもので。ごめんなさい」
「まぁ!それはそれは大変ねぇ」
手のひらを重ね合わせ、表では雪絵を気遣う様子を見せるも、目が笑ってない。
雪絵は似たような視線を何度も経験したことがある。花霞にいた折、お上連中と話す時と同じだった。常にこちらを値踏みし、利用価値があるかどうかを計っている。背筋に懐かしい嫌な汗が伝った。
あまりの居心地の悪さに雪絵は目を逸らし、床に沈んだままのシルヴィアを眺めていた。拳骨を食らった頭は大きく腫れ上がり、体はピクリとも動かない。
「シルヴィア。起きなさい」
絶対零度の声とともに、鋼の視線がシルヴィアに向けられる。
「はいお母様」
シルヴィアが光の速さで起き上がり、席に着いた。真っ直ぐに背筋を伸ばし、拳は膝の上にしっかり固定されている。心做しか体も震えている。
「お前、雪絵さんとはいつ知り合ったの?」
「花霞に滞在していた頃です。わたくしは雪絵さんの部下として、共に巫の部隊に所属しておりました」
「あらそう。で?そこからどうして婚約者候補にまでなったの?」
「……わたくしはかねてより、雪絵さんをお慕いしておりました。しかし、花霞の判断により雪絵さんが処刑されることとなり……いてもたってもいられず、婚約者候補として我が国で引き取ったのです」
「ふーん。だいたいの流れは分かったわ」
面接のようなやり取りが終わり、シルヴィアは少しだけ安堵したようだった。明確に肩が下がり、大きく息を吐いている。
「ところで雪絵さん。あなた、シルヴィアのことは好き?」
「すッ」
シルヴィアが鋭く息を吸い込む。
雪絵は首を捻り、少し考えてみた。
好きかどうか、とはどのような意図で聞いているのか。もし言葉通りに解釈するのであれば、雪絵は、はいと答えるべきだ。しかし世の中には、好きの定義が様々溢れている。親愛、友愛、家族愛……。この質問の好きの定義が、雪絵には分からなかった。
「はい」
なのでとりあえず、好きと答えることにした。なぜかシルヴィアは顔を真っ赤にして茹でダコのようになっていたが、この際気にしている暇はない。
「……では、手を繋いだことは?」
再び黙考する。そういえばさっき、シルヴィアに手を握られていた事を思い出した。あれは、一般的な定義によれば、手を繋いだと言えるのではないか。
「あります」
正直に答えると、またもやシルヴィアが赤く茹で上がった。セレフィーナは苦々しい顔で唇を噛んでいる。
「……じゃあ、デートをしたことは?」
「デッ、デデデデデデー!?!」
謎の奇声を発し、シルヴィアが仰向けに倒れ込んだ。
デート。初めて聞く単語だ。なんの事かと頭を悩ませていると、セレフィーナから思わぬ助け舟が入る。
「休日などに2人きりで出かけることですわ。ご飯を食べたり、修練に励んだり、形は様々よ」
「なるほど」
頷き、再び考える。
シルヴィアとの外出は、花霞にいた頃よくあった。買い出しや任務の遠征、その他行く先先にシルヴィアが待ち構えていたからだ。
しかし休日となると、鬱陶しいのでシルヴィアを気絶させてから図書館等に出向いていた。つまりこれは、デートとやらには数えられないはず。
「ないです」
これまた正直に答えると、「そう、答えてくれてありがとう」と言ってにこりと微笑まれた。
「お時間取らせてごめんなさい。じゃあ、私はこれで失礼するわね」
ご婦人はシルヴィアの首根っこを掴み、引き摺りながら扉の向こうへ消えていった。パタンと扉が閉じられ、静寂だけが室内に取り残された。




