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母、襲来


 その男は、まるで墓場から蘇った死人のように気味悪い男だった。

「会いたかったよ、シルヴィア殿下」

 男にしてはやや高めの声。広大なローゼンベルクの屋敷の中。シルヴィア達は、いつの間にか背後を取られていた。

 黒の着流しを身につけ、腰には一振の刀が収められている。そして何よりも、その顔は白い仮面に覆われていた。見る限り不審な姿に、シルヴィアは警戒心を研ぎ澄ます。

「陛下、ここは私が。先にお逃げ下さい」

 シルヴィアが声をかけると、国王陛下が先に居座る男を見た。灰色の眼差しがシルヴィアと男を交互に行き来する。

「……ふむ。では、そうするかの」

 国王陛下はしばし悩んだ様子を見せるも、あっさりとシルヴィアの言葉を受け入れた。

 その目には情や感慨もなかった。目を細め男を観察。状況を把握した後、冷静に判断を下す。国王陛下らしい、最も合理的な選択だった。

 我が父親ながら、非情な男である。

 陛下がステラや貴族たちを連れ逃げていくのを確認し、シルヴィアは男に向き直った。

「あなた、何者です?」

 黒杖を手に握り、シルヴィアは問いかけた。男はおいおいとばかりに肩をすくめる。

「おやおや、いきなり戦闘態勢とは好戦的ですね。ワタシに争う気はないんですが」

「鬼をけしかけといてよく言いますよ」

 突如現れた鬼とこの男の関係は不明だ。だが状況から見れば、新型の鬼と男が関わっている可能性の方が高い。

 咄嗟に口を出たでまかせだが、存外ハズレではないようで。男は愉快気にクックックと喉を鳴らす。

「さすがシルヴィア殿下。ご慧眼恐れ入りますよ」

 杖を男に向ける。この間合いなら、シルヴィアの術式の範囲内ではある。だが、男の正体が分からない以上、無闇に攻撃をして隙を見せるのは得策とは思えない。

 何より、男を殺しては情報を聞き出せない。なるべく生かして捕らえたいところではあるが、果たしてそれも可能かどうか。

 シルヴィアは唇を噛む。せめて、男が術者であるか分かれば、調律術式でどうとでもできるのに。

「だから言ってるでしょう?ワタシに争う気はない」

 そう言うと、男は両手を肩の上にあげた。手をひらひらと振り、無害をアピールする。

 あまりに芝居がかった仕草にシルヴィアは眉をひそめた。

 (騙し討ちのつもりか?いや……にしては殺意がない)

「……では、目的は何です?」

 両手をあげたまま、男はニヤリと笑った。

「霜月雪絵」

 その名を聞いた瞬間、シルヴィアの体は勝手に動いていた。

 両足で床を踏みしめ、正面に飛ぶ。黒杖を鈍器代わりに斜め上へ振り上げた。体の勢いをそのまま杖に乗せ、男の顔面目掛けて振り下ろす。

 ドゴォン!

 轟音とともに床が抉れ、土埃が舞う。

 (……感触がない)

 舌打ちをこらえる。この男、やはり只者ではなさそうだ。

「やれやれ。アルカイダの連中は血の気が多くて困りますよ」

 シルヴィアは正面を向く。

 視線の先には、服の汚れを払いながら笑う男がいた。焦った様子は微塵もなく、飄々と余裕な笑みを浮かべている。

 シルヴィアの背中に嫌な汗が滲んだ。男を生け捕りにする以前に、このままではシルヴィアが生きて帰れる保障がない。

 もちろんシルヴィアとて負けるつもりは毛頭ない。が、何が起きるか分からないのが戦闘というものであると、身に染みて知っている。

 シルヴィアは杖を構え直す。男は相も変わらず気味の悪く笑っていた。

「貴方が霜月雪絵にご執心なのは事実のようですね。ならば話がはやい」

 男は懐を探り何か取り出すと、それを投げて寄越した。反射的に片手で受け取る。

 男が寄越したのは、一見して普通の小瓶だった。だが中身は普通ではない。黒いモヤのようなものが、ドクンドクンと脈を打つように光っている。

「……これは?」

「鬼のタネ、と呼ばれるものです」

「タネ?」

 シルヴィアが尋ねると、男は自慢げに語りだした。

「試しに飲んでみれば分かりますよ。――もっとも、あなたが鬼になったところで、責任はとりませんが」

「……なるほど」

 驚愕を口の中で嚙み殺し、平然とシルヴィアは答えた。

「なぜ、これを私に?」

「そこまで答える義理はありません」

「そうですか」

 小瓶を懐にしまい、シルヴィアは杖を構える。すると男は大仰に手を振り、またも自分は無害だとアピールしてきた。芝居がかった仕草に反吐が出そうになるが、奥歯を噛み締めぐっとこらえる。

「あぁ、そういえばご存知です?彼女の生家――『霜月家』について」

 何でもないことのように、男は問いかけてきた。

 シルヴィアの背中に電流が走る。一瞬だけ、頬が強ばるのを理性で制す。あくまでも挑発的な笑みで、シルヴィアは返した。

「さぁ?何の話だか」

 分かりやすく肩を竦めてみせる。そこでようやく、男の表情が不快に歪んだ。

 しかしすぐに演技じみた笑みを貼り付け、悠々と言葉を返す。

「おやおや、自分の婚約者のルーツだというのに。興味がないんですねぇ」

「お生憎様。俺は今の雪絵にしか興味がないもので」

「……懐が深いんですね。さすがは皇太子殿」

 男が舌を打つ。打って変わって苛立ちを隠さない様子は、さも子供のようだった。

 さりとて、男を揺さぶるネタができたのは確か。ここで1つ2つ挑発をかければ、隙のひとつは作れるかもしれない。

 そう思い、息を吸い込んだ瞬間。コツコツ、と聞きなれない足音が響いた。

「おいおい先導者殿。ちと言い過ぎじゃねぇの?」

 乱暴な物言いと、粗野な声色。男の背後から、黒ローブを纏った男が闇から姿を現す。

 その姿見と声に、シルヴィアは見覚えがあった。

「お前……大黒か!?」

 ローブの男の動きがピタリと止まった。

「おっ、当ったりー!久しぶりだな副隊長殿!覚えてくれてて嬉しいぜ!」

 呑気にピースサインをする男を、かつてシルヴィアは部下として従えていた。

 花霞における最強の巫部隊。雪絵を隊長に戴く、椿隊のメンバー――大黒。

「なぜお前がここに……!?」

「なぜってそりゃ……仕事だからな、うん。別に他意はないぜ?命令だから仕方なく、ってやつよ」

「おい。余計なことを喋るな」

 男に釘を刺され、大黒は肩を竦めた。

「ま、そのうちまた会うことになるだろ。そん時またよろしく頼むよ、副隊長」

 大黒は踵を返して、再び暗闇に消えていった。

 そんな大黒に呆れたように、男はため息をつく。

「それでは、ワタシもこれで。その小瓶は煮るなり焼くなり、好きにしてくれて構いませんよ」

 そう言い残して、男も闇に消えていく。

「ッ、待て!!!」

 勢いよく床を蹴り、男がいた場所へ手を伸ばす、しかしその手は空を掴むばかりで、人の気配は残されていなかった。

 男は線香のような香りだけを残し、煙のごとく消えてしまった。さっきまでそこにいて、話をしたことが嘘だったかのように。

「……一体、何が」

 脳裏をよぎるのは、男の言葉。奴は『霜月家』と言っていた。つまり、雪絵に関する何らかの情報を知っていることになる。

 何より、渡された小瓶。シルヴィアの懐でドクンドクンと脈打つ黒い塊は、生きているようで気味悪くて仕方がない。もしこれが一連の新型の鬼に関連するものなら、シルヴィアは大きな手がかりを掴んだことになる。

 考えていても仕方がない。一度深呼吸をし、思考を切り替える。

 くるりと体の向きを変えようとした。その時、足に何かが当たった。

「……?」

 不思議に思い足元を見やる。

 そこには、赤茶けた表紙の本が置かれていた。



 ※



「瓶の中身、解析終わったみたいよ」

 そう言って、レミリアは書類の束を机に投げた。

「人払いは済んでます?」

「ええ」

 完全なるプライベート空間であるシルヴィアの部屋の中。ステラ、レミリア、そしてシルヴィアは書類を囲み頭を悩ませていた。

 散らばった紙をかき集め、シルヴィアは書類にざっと目を通す。

 先日起きローゼンベルク家での襲撃事件。新型の鬼が突如として襲来し、会場は瞬く間に混乱の渦に突き落とされた。

 幸いというべきか、レミリアやセレフィーナの奮闘によって死者こそ出なかったものの、受けた被害はかなりの規模だった。しかしそれによって得られた成果もある。

 首都カルディスの城に戻ったシルヴィアは、早速解析班にとある依頼をしていた。

 男から寄越された、小瓶の中身の解析である。

「大方はシルキーが会った男の言う通りみたいね。あくまでも憶測の域を出ないけど、人間が取り込めば鬼になる可能性はあるらしいわ」

「……よりにもよって、最悪の仮説が現実になるとわね」

 レミリアが深くため息をつき、ソファーに腰かける。その隣にステラも座った。2人の表情は曇天の空と同じくらい曇っている。

「それでも進展がないよりはマシよ、レミー。あれが自然発生した個体でなければ……大元を叩けば対処が可能でしょう?」

 さらりと好戦的な言葉を口にするステラ。済ました顔で資料に目を通しながら、片手でコーヒーを啜る。対するレミリアは唇をへの字に曲げていた。面倒事がさらに面倒なことになり、辟易としているようだ。

「楽観的に考えればそうでしょうけど……。そんな簡単にいくとは思えないのよ」

 事実、レミリアの懸念は正しい。

 現在判明している情報だけに目を向ければ、ステラの考えも理解できよう。しかし物事とはそう単純なものではないのだ。

「レミリア姉さんの言う通りです。もし今回渡された小瓶が量産されていたとして……他国にまで流通していれば、それは現在において最も強力な兵器になり得る。この事実は、国際社会に甚大な打撃を与えますよ」

「となると、我らアルカイダ帝国の地位も揺らぐわねぇ」

 どこか他人事のようにステラが呟く。一気に突き付けられた現実に、場の空気が一段と重くなっようだった。

「それで?肝心の国王陛下は、何をお考えになってるのかしら」

 ステラはちらりとレミリアに視線を向ける。至極煩わしそうに表情を歪め、レミリアは答えた。

「ウチにわかるわけないでしょ。……あの狸ジジイ、最初から全部お見通しだったのよ」

「どういうことです?」

 シルヴィアが尋ねると、これまた嫌そうにレミリアが口を開く。

「屍喰らいの件ね。鬼狩り機構に報告書を出そうとしたけど、クソジジイに止められたの。『後々面倒なことになるから、今はやめとけ』ってね」

「あらあら。お父様がそんなことを」

 口では驚いて見せるものの、ステラは腑に落ちたように頷いていた。やはり今回のローゼンベルク家での騒動には、ステラも思うところがあったらしい。

「でも、今回ばかりはお父様の予想通りだわ。これからのことも、何かお考えがあるのかもしれないけど……私たちには、話してくださらないでしょうね」

 はぁ、と3人揃ってため息をつく。父親の手腕を疑うわけではないが、如何せん腹の底が見えなさすぎるのだ。

 レミリアがため息を飲み込むようにコーヒーに口をつけた。我がアルカイダ帝国では紅茶の方が好まれるが、こういう時はコーヒーの方が頭が冴えるのである。

「現状できるのは、小瓶の詳細な解析と、各地偵察の強化。……あとは、」

 レミリアの瞳がシルヴィアを正面から見据える。

「花霞に探りをいれるくらいかしら」

 シルヴィアは唇をかむ。ステラが困ったように眉を下げるも、レミリアの言葉を否定する様子はなかった。

「……分かっています」

「そう?大黒って奴の話、正直に打ち明けてくれたのは助かるけど……まだ隠してることないわよね?」

 シルヴィアの脳裏に1冊の本が浮かぶ。男が姿を消すと同時に、シルヴィアの足元に置かれていた代物。

「いえ、全てはお話した通りです」

 レミリアの眼差しがさらに鋭さを帯びる。よもや拳が飛んでくるかと身構えた瞬間、ステラがポンと手を叩いた。

「まぁまぁレミーちゃん。そんなにシルキーをいじめないの」

 書類を手早くまとめ、ステラは立ち上がった。

「じゃ、私は研究施設の方に顔を出してくるから」

「俺も行きます」

 次いでシルヴィアも席を立つ。

「いいの?雪絵ちゃんに会いにいかなくて」

 遠慮気味にステラが尋ねた。

 思慮深い彼女のことだ。シルヴィアの内心を案じてくれているのだろう。

 その優しさが、今は突き刺さるように痛い。

「……今は、少し考える時間が欲しいんです」

 あの1冊の本が、未だに頭の中にこびりついて、離れないでいる。

 雪絵生家、霜月家。つまるところ彼女の過去に触れる話だが、シルヴィアは知る勇気をなかなか持てなかった。

 雪絵がもし、敵だとしたら。そう考えるだけで体の芯まで凍りつくほど恐ろしい。

 万が一懸念が本物になってしまったら、シルヴィアはこの手で、雪絵を――。

 黙って俯いてしまった弟に、ステラは悲しげに微笑んだ。

「大丈夫。分かってるわ」

 そう言って、彼女は優しく頷いた。

 細い手がドアノブを掴む。部屋の扉を開けようとした、その時。


「はぁい♡親愛なる我が子供たち♡お母さんに内緒で、何のお話をしているのかなぁ???」


 扉の向こうから聞こえた声に、一同は完全に硬直した。次の瞬間、いち早く硬直を脱したレミリアが窓を全開。ひらりとその場から飛び降りる。

 ステラは顔を真っ青にして、扉の横にしゃがんだ。頭を抱え、全身をブルブルと震わせる。

 そして肝心のシルヴィアというと、その場に動けずにいた。

 (あ、死んだ)

 悟と同時に、顔面を途方もない衝撃が襲った。

「親に黙って何やってんだゴラァァア!!!」

 体が宙を舞う感覚。四肢が空中を踊り、真っ直ぐに飛ばされていく。体のコントロールが効かない。

 自然の法則にしたがって一直線に飛ばされる。偶然かな、レミリアが開けた窓に体が吸い込まれ、気がつくとシルヴィアは窓の外を飛んでいた。

 

 

 

 

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