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ねぇ、セレフィーナ


 幼い頃、1度だけ両親に夢を語ったことがある。

 『わたくし、鬼狩りになりたいのです!』

 鬼狩りになれば、領民を自分の力で守れる。成果をあげて出世すれば、ローゼンベルク家の格も上がる。まさに一石二鳥というやつだ。

 それに、圧倒的な強さというのは、この国において何よりも重宝されるものだ。自分より少し年上で、既に才覚を著している、レミリア皇女のように。

 あの時の自分は、世の中の理不尽というものを知らなかったのだ。人には生まれながらに決められた能力というものがあり、自分にはそれがないという事実。こんなにも単純な仕組み、気づいて当然のはずだったのに。

 ――いや、気づきたくなかったのかもしれない。齢10にも満たない段階で、可能性がないと切り捨てるには……あまりに幼すぎた。

 自分には特段甘い両親のことだ。きっと手を叩いて大喜びし、鬼狩りの養成機関の入学書を取り付けてくるはず――心のどこかで、そんな甘い考えがあった。

 しかし、現実は非情だ。

 『やめなさい。お前には、レミリア皇女のような才能はない。鬼狩りになれたとしても――』

 父は一拍空け、とても静かな声で告げた。

 『術者でないお前に、一体何ができる』


 セレフィーナには、術者に必要な最低限の符力さえ存在しなかった。


 ※


「セレフィーナ!」

 化け物の口が閉じられ、セレフィーナの姿が奴の口内へ消える。雪絵が伸ばした手は最後まで取られることはなく、虚しく空を切った。彼女が最後の最後まで握りしめていたのは、雪絵ではなく双剣だった。

「くそっ」

 毒づき、一旦後退する。セレフィーナが食われている以上、下手な攻撃を仕掛けることはできない。術式を打てば、中にいるセレフィーナ諸共殺してしまう。

「セレフィーナ……どうして急に」

 決闘の最中はあんなにも冷静だった彼女が、いきなり自滅的な行動を起こすとは思いもしなかった。その先入観が雪絵の判断を鈍らせ、結果的に事態の悪化を招いた。思わぬ失態に悪態のひとつでもつきたいところではあるが、如何せん今は時間が惜しい。

 (どうする……口をこじ開けるか?腹を裂く?いや、万が一セレフィーナに当たったら、助け出せない……)

 そもそもセレフィーナが生きている保証もない。生身の人間が鬼に食われて、生きていた事例なんて滅多にないのだ。レミリアのような特殊な場合は別だが、セレフィーナは一貴族の令嬢。彼女の強さは見事なものだったが、防護障壁もなしに自分の身を守れるなんて到底考えられなかった。

 もしセレフィーナが死んでいたとしたら、迷っている時間は丸ごと無駄になる。むしろ死んでいる可能性の方が十分に高い。

 つまり、ここで雪絵が取るべき最善の行動は――

 『ギャハ?はは!』

 鬼はケタケタと楽しそうに笑った。無意識のうちに舌打ちがこぼれる。

 (くそっ!悩んでる時間はない。……ここは、シルヴィアを……)

 体の向きを変え、一度退こうとした時。

 グサッ、と肉の裂かれる音が聞こえた。

 『ギィひャあ?!?』

 悲鳴と共に、鬼の首元から銀色の刃が突き出る。鋼鉄の輝きを帯びるロングソードが、鬼の内側から奴を突き刺していた。

 ギャアギャアと鬼が泣き喚き、痛みに呻く。

「あれは……セレフィーナの?」

 銀色のロングソードは、間違いなくセレフィーナのもの。しかし、生身で鬼に捕食された人間が、まだ生きているなんて考えられなかった。

 食われたの雪絵であれば、脱出は容易だろう。しかし雪絵が術式を使えなければ、間違いなく即死だ。

 加えて、中から攻撃を仕掛けるなど……。とても常人にできることじゃない。

 (ありえない。生身の人間が、そんな芸当できるわけがない)

 だがもし、雪絵の想像を超える何かがセレフィーナにあるのなら。

 まだ命があることを、期待してもいいのかもしれない。

 ギュッと瞼を閉じる。真っ暗闇の視界に、鮮やかな銀髪と青い瞳が見えた。穏やかな笑みをたたえて、唇が確かに動く。

 がんばって。

 シルヴィアが、そう言ってくれた気がした。

 一気に目を開く。ありったけの力を込めて両の頬を、叩いた。パシィン!と音が鳴り、遅れて痛みがやってくる。

 ようやく意識がクリアになった。

 (ごめん、シルヴィア。もう少しだけ待ってて)

 心の中で告げて、雪絵は地面を蹴る。

 闘技場の縁を踏み台にし、宙に身を投げた。浮遊術式を起動すると同時に、結晶体を砕く。

 座標は鬼の四肢に固定。未だ悶えている鬼めがけて、鉛色の陣を展開させた。陣の中心部から黒色の太い針が現れ、宙に軌跡を描いて飛んでいく。

 ズガァン!!という金属音と共に、針が鬼の手足を射抜いた。勢いのままに地面に針が刺さり、鬼はその場に磔にされる。

 『ギャぃいい?!?!』

 鬼が悲鳴を上げ、のたうち回るように激しく抵抗した。だが針は地面に深く刺さって抜ける様子はない。

 (昔作った術式だけど……役に立って良かった)

 安堵するのも束の間。雪絵は鬼の顔面に着地するし、その上に仁王立ちする。

 『ぁぁあアァあ!!!』

 鬼が苦悶の雄叫びをあげる。腐った臭いが鼻を貫き、耳が割れるように痛んだ。だがこの気を逃したら、セレフィーナを救う機会は訪れない。

 鬼の口が開いた拍子に、雪絵は左手と両足に防護障壁を展開した。自身の体をつっかえ棒のようにして、鬼の口を固定する。邪魔な舌を術式で切り、返り血を浴びながら奥を見つめる。

 鬼の口の中は薄暗く、ねばねばとした唾液が体中にまとわりつく心地がした。込み上げる吐き気を何とか抑えつつ、粘膜の奥に目を凝らす。

 口内の最奥。人間で言う咽頭部分に、キラリと光るものが見えた。

 (あれは――セレフィーナの剣!)

 さらに目を凝らすと、柄の部分に人の手が見える。

 5本の指が柄を握りしめ、手の甲に青筋が浮いている。

 (まだ生きてる!)

 絶対に離さないという強い意志が、セレフィーナをここに食い止めているようだった。

 認識すると同時に、雪絵は叫ぶ。

「セレフィーナ、起きて!!!」



 ※



 『どうしてわたくしは、鬼狩りになれないの?』

 父に尋ねると、とても悲しそうな顔で言われた。

 『鬼というのはとても手強い。生身の人間が相手にしたところで、到底敵う生き物ではないんだ。――だから人は、術式を使う。それによって、人間はようやく奴らと同じ土俵に上がれる』

 幼いセレフィーナが理解できずに困惑していると、小さな体をぎゅっと抱きしめてくれた。

 『お前には、術者であるための最低限の符力すら備わっていない。単純な術式なら数回使えるだろうが……それだけで符力が切れる。鬼と渡り合うことはできない』

 きっとその言葉は、父なりの優しさだったのだろう。

 ローゼンベルク家の当主として、父は国営に携わることもしばしばあった。その中で、災害たる鬼の対策に助力することも多かっただろう。実際に鬼狩り部隊とも顔を合わせ、あのレミリアとも交流を重ねたらしい。つまるところ、父は鬼の恐ろしさを実際に見聞きして感じたのだ。

 父の言葉は、セレフィーナを鬼から遠ざけるためのものだ。

 鬼の脅威を知ったからこそ、娘であるセレフィーナを危険から遠ざけたかった。……と、セレフィーナは思った。父の表情は厳しいものだったが、同じくらいの慈しみも感じられたから。

 それでも、思ってしまった。

 『――でもわたくし、鬼狩りになりたい』

 平たく言えば、それは憧れだったのだ。


 だから、セレフィーナは剣を取った。

 たとえ符力がなかろうが、剣術に符力なんて必要ない。要するに、術者よりも強くなればいいのだ。実践で役に立つということを、セレフィーナの実力をもって証明すればいい。

 そのために、剣の師範役を執事につけた。首都のカルディスから、現役の達人を呼びつけて稽古をつけて貰うこともあった。小手先の技術ではどうにもならない。とにかく継続することが大事だと自分に言い聞かせ、毎日毎日素振りをする日々。

 手にマメができたって、皮が剥けたって痛くも痒くもない。むしろ、体に傷が増える度、自分の努力が積み重なっているようで誇らしかった。

 しかし、両親はそうは思わなかったらしい。

『どうしてやめないんだ!!!』

 鬼の形相で父に問い詰められたとき、セレフィーナの中の何かが音を立てて崩れた気がした。

 それは信頼でもあり、期待でもあり、父に対する愛情でもあったのだろう。

 セレフィーナの夢を、父にだけは肯定してほしかった。お前ならできると、他の誰が何と言おうが、そう言って欲しかった。

『だってわたくし、諦められないんですの』

 ただただ涙を流し、セレフィーナは双剣を強く握りしめる。この剣だけが、セレフィーナの味方をしてくれるようだった。


 その内、セレフィーナの馬鹿げた行いは多くの者に知られることとなった。

 曰く、術者でもないのに鬼狩りを目指す、頭のイカれたお嬢様だ、と。

 否定する気はなかったし、実際否定もできなかった。世間一般の常識に照らし合わせれば、おかしいのは間違いなくセレフィーナだ。故に粛々と批判がましい視線を受け止め、時に無視して剣を振った。

 ある時、とある貴族の令嬢がセレフィーナに決闘を申し込んできた。

『あなたみたいな落ちこぼれが、鬼狩りになれるわけがないわ!』

 けしかけて来た可憐な少女の顔には、笑ってしまうくらい醜い嫉妬が見え透いていた。大方、自分よりも位の高いセレフィーナに劣等感を抱き、ならば自分の得意な術式というフィールドで叩き潰してやろうという魂胆なのだろう。

 わかりやすいくらい悪意の滲む瞳が、異様なくらい滑稽に見えた。

(わたくしよりも符力があって、術者の才能もある……。なのにどうして、わたくしにはないの?)

 全てを見通した上で、セレフィーナはその決闘を受けた。

 結果、相手の顔が分からなくなるくらいボコボコにした。

 『やめるんだセレフィーナ!』

 父の静止をものともせず、セレフィーナは拳を振るった。何度も何度も、そのお綺麗な顔を殴りつけた。

『なんであなたは術者になれて、わたくしはなれないの!?不公平じゃない!!』

 それはセレフィーナの慟哭であり、絶叫だった。

 右手が痛みなんて気にならなかった。結局その女と引きずり剥がされるまで、セレフィーナは殴るのをやめなかった。

 半ば引きずられるように止められ、地面にぺたんと座り込む。殴った右手が後になって痛み始める。ズキズキと痛みを感じる度、どうしようもない虚無感と自己嫌悪が襲ってくる。

 (わたくし……最低ですわね)

 どうにもならず鬱屈した思いを、決闘という儀式を利用し、相手にぶつけた。やってることはただの八つ当たりであり、なんとも程度の低い行いだ。とても大貴族の令嬢の振る舞いとは思えない。

 

 そんなことを繰り返すうち、セレフィーナの評判はどんどん悪くなる。

 悪徳令嬢だとか、血狂いの鬼だとか。不名誉な称号はびっくりするほど自分にピッタリで、思わず笑ってしまったことを覚えている。

 血狂の鬼、とは皮肉な名前をつけてくれたものだ。自分は、その鬼を狩る鬼狩りを夢見ているというのに。

 稽古と決闘とを繰り返し、荒んだ日々を送る毎日。それでも、唯一の楽しみと呼べるものはあった。

 それが、シルヴィアとのお茶会だ。

 

 セレフィーナをちゃんと見てくれたのは、婚約者候補であるシルヴィアくらいだった。

 『セレフィーナはとても強い女性だよ。姉さんに負けないくらいにね』

 その言葉に、セレフィーナがどれ程救われたことか。負の感情の海から、シルヴィアは助け出してくれた。その存在が、セレフィーナにとって何物にも代えがたい宝だった。ずっと胸の内に抱き締めて、閉じ込めておきたいとさえ思った。

 しかし、全ては泡沫の幻となって消えていったのだ。

 あの女――霜月雪絵のせいで。


 あの女のせいだ。

 あの女のせいだ。

 あの女さえ――いなければ。


 わたくしは。






「セレフィーナ、起きて!!!」

 耳を貫く、声が聞こえた。

 一気に意識が覚醒すると同時に、腐臭が鼻の奥まで入り込んできた。

「ゴホッ、ゲボッ」

 反射的に咳き込み、そこで思い出す。確か自分は、あのまま鬼に食われて――。

 右手を握る。その手の中には、まだ剣が握られている。まだ、セレフィーナは負けていない。

「わ、たくしは、まだッ」

ありったけの力を振り絞って、右手に力を込める。剣を支柱に鬼の中から這い上がっていく。

「セレフィーナ!」

 禍々しい歯と肉の向こうに、黒髪を靡かせた紅色が見えた。

「早く、手をッ!」

 雪絵の右手がセレフィーナに差し出される。その手は酷く細く、そして震えていた。鬼の動きを止めるのも、そろそろ限界に近いのだろう。

 震える手に、セレフィーナは手を伸ばす。

 あと少し、もう少しでつく。震える指が重なって、掴まれる瞬間――


「嫌ですわ!」


 セレフィーナはその手を、思い切り振り払った。

 


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