持たざる者
「俺たちだよ」
声が聞こえた瞬間、雪絵は考えるよりも先に動いていた。
浮遊術式と跳躍の威力を掛け合わせ、真正面に突進。セレフィーナを脇に抱え退く。
「なっ、」
ガァン!
さっきまでセレフィーナがいた場所に黒い針が突き刺さった。少しして、ボコン!と地面が抉れる。
(今の……防護障壁なら破られてた)
瓦礫の上に佇む男を見やる。男の背後には、鉛色の陣が展開されている。
(この術式……やはり)
冷や汗が頬を伝う。波打つ心臓の鼓動を悟られぬよう、表情だけでも平静を保つ。
嫌な感覚が心臓を撫ぜていた。まだ鬼神として、力をふるっていた頃の記憶が蘇る。
力のまま、思いのままに戦いに身を置いたあの頃。
「今更何の用?――大黒」
「おっと。久々に会ったってのに冷てぇじゃねぇの」
フードをおろし、男は素顔を晒す。
褐色の肌に、切長の黒い目。頬に刀傷が目を引く、見覚えのある顔立ち。
「なぁ、隊長?」
雪絵がかつて、部下として従えていた男の姿が、そこにあった。
※
突如目の前に現れた男に、セレフィーナは目を白黒させた。
(……何も、見えなかったのに)
気づいたら雪絵庇われ、セレフィーナは地面に手をついていた。さっきの男の攻撃を、セレフィーナは探知することすらできなかった。雪絵が動いていなければ、今頃針に貫かれ死んでいたことだろう。
(どうして、わたくしはこんなにも……)
弱いんだ。
ぐっと手のひらを地面に食い込ませ、零れそうになる涙を堪える。
「私はもう隊長じゃない」
セレフィーナを背に庇いつつ、雪絵はローブを纏った男――大黒を鋭い眼差しで見つめていた。臆する様子は微塵も見られない。
「そうかい。アルカイダに馴染んでいただけたようで何よりでさぁ」
やれやれとばかりに肩を竦め、男はため息をつく。
「目的は?」
「そりゃあもちろん、花霞の鬼神ですよ」
「……」
雪絵が黙り込んで硬直した。わけがわからず、セレフィーナは問い詰める。
「ちょっと、どういうこと?あなた、あの男と知り合いですの?」
雪絵は固まったまま動かない。代わりとばかりに、大黒と呼ばれた男が口を開く。
「そりゃーもちろんだぜ嬢ちゃん。俺は長年、隊長殿にお仕えしてきた優秀な部下さ。……だってのに、ひでーよ隊長。俺を置いてアルカイダに嫁入りするとはね」
雪絵を見つめる三白眼が、研がれた刀の様な鋭さを帯びる。
「教えてくれよ。部下を置いて逃げる気分はどうだった?」
刀傷をなぞりながら、男は問いかける。
「……逃げたつもりは……ない。どの道、あのままだったら私は死んでいた」
あまりにも静かに。淡々と雪絵は答えた。
そこには情も、後悔も感じられなかった。必要な情報だけが、言葉として羅列される。その瞳の奥には、いかなる感情も感じられない。まるで人間じゃないみたいに。
「では、アルカイダには微塵も情がないと?」
ピクリ。雪絵の肩が跳ねる。
その瞬間、男の表情が失われた。
大切な何かを吸い取られてしまったかのように、もぬけの殻だけが肉体として取り残される。奇妙にも思える沈黙の中、男は雪絵だけを凝視していた。
無限にも思える静寂の後、男は言った。
「……ハハッ。あんた、やっぱ最低だよ」
俯きながら笑みを零した声は、少しだけ震えているように思えた。
そう思ったのも束の間。男は額に手を当てて、再びフードを深く被った。
「でもまぁ、仕事は仕事でね。あんたにゃ花霞に戻ってもらわんと困る。大人しく着いてきちゃくれねーか?」
「……今更私を連れ戻して、どうするつもり?」
雪絵が静かに尋ねた。
首元の術式は展開したまま。本気になれば、いつでも男を殺せるという意思表示だろう。しかしあえて行動には移さず、男の挙動を観察している。男の一挙手一投足から、少しでも情報を得るためか。
重々しい空気が充満する。雨音が相まって、息がつまりそうだった。セレフィーナは片手で体を抱いた。今になって、体が小刻みに震える。
「さぁね。そりゃ大将に聞いてくれ。俺はただの使いっ走りでね、詳しい事情は興味もないし知るつもりもない」
後方に倒れ込むようにして、瓦礫から飛び降りる。
2、3度大きくバックステップを踏み、男は壁に開けられた大穴の傍に戻った。
「ま、今回はいいさ。あんたと殺り合うのも骨が折れそうだしな。……だが、これだけは言っといてやるよ」
カサカサに乾いた唇を歪め、男は雪絵を指さす。
「あんたのことがだァい好きで堪らねぇ霜月の人間が来てる。今頃は、副隊長殿の御接待をしてるはずだ」
雪絵の瞳孔がひらく。
副隊長?一体誰のことだ、とセレフィーナは首を傾げる。一方の雪絵は珍しくも動揺を露わにし、
「……シルヴィア!」
と呟いた。
「う、そ」
力の抜けそうになる両手に辛くも剣を握り留める。もし男の言うことが本当なら、逃げたシルヴィアに追っ手が迫っていることに――。
セレフィーナの混乱を他所に、男は告げる。
「そういうこった。じゃあな隊長。機会があったらまた会おうぜ」
それだけ言い残し、ヒラリと大穴の向こうに消えていく。
ズシン。再び、地を割るような振動が体を震わせた。
黒いマントの端が、セレフィーナの視界から外れていく。それと入れ替わるように、
『グぉオオオオッ!!!』
レミリアが蹴り飛ばしたはずの、黒い鬼が姿を現した。
瞬間。
セレフィーナの目を稲妻の如く光が貫いた。
――ドォオオン!
正面に雷が落ちたような閃光と衝撃。堪らず片手で視界を覆う。
近くにいたはずの雪絵の姿が、掻き消えていた。
三度、轟音が唸りを上げ、セレフィーナは体を強ばらせる。
(な、何が起こっていますの!?)
『ギャあアァあ!!!?!』
ほとばしる、人間の様な、はたまた化け物の様な悲鳴。
大穴中心から光が放たれたかと思えば、次の瞬間には鼓膜を破らんばかりの大音響が響く。先程までとは違った振動が体を貫き、ビリビリと電気の残滓が皮膚を刺した。
セレフィーナには、己の身を守ることで精一杯だった。何が起こっているのかも理解できず、風圧と轟音をやり過ごす。
(なんで……なんでいつもわたくしは……)
ようやく光が収まり、セレフィーナは薄く目を開く。
「セレフィーナ」
コツコツとヒールの音が聞こえた。数回瞬きをして顔をあげると、涼しい顔で雪絵が手を差し伸べてくる。
「立てる?」
その手は白魚のように美しく、かすり傷のひとつも見られない。
大穴の向こうに目をやる。黒い巨体から同色の液体と、焼け焦げた煙のようなものが上がっていた。もはや息はないのか、動く様子はない。
「あなたが、やったの?」
一呼吸分、間が空いた。
「そうよ」
ある種断言するように、雪絵は言った。
「あなたが……あの鬼を、たった一人で?」
「ええ」
ピリッ。青紫の稲妻の残滓が雪絵の周囲を囲った。時に黄色い光も纏いながら、チカチカと電気が瞬く。
雪絵が胸の前に手を翳すと、砂鉄が吸い寄せられるように電気が手のひらに集約されていく。パチパチと爆ぜるような音を鳴らし、光のヴェールが手のひらの上で編まれていく。
「ちょうど外で雷が落ちたようだから、それを上手く取り入れてみたの。……あの鬼にも、雷撃は効くみたいね」
光のヴェールが完成したかと思えば、今度は三角形型の薄い膜がヴェールを覆う。雪絵が凝縮するように力を込めた瞬間、それは結晶体となって首輪に格納された。
「さぁ、早く立って。外にいる鬼はレミリアたちが対応してるけど……1体だけ、こっちに向かって来てる。早く逃げないとあなたも危ない」
雪絵は、左目だけを閉じながら周囲を見回していた。
(探知術式も使えるの?それも、並列で?)
通常、探知術式とは杖を使用しなければ使えない。杖を使ったとしても、とても片手間で扱いきれる術式ではないのだ。当然符力も消費するし、何より集中と知覚能力をフルで使うことになる。雪絵のやっていることは、普通ではない。
普通ではない――ということは、彼女を表す言葉は、天才という2文字だけなのだろう。少なくともセレフィーナが持つ価値観では、雪絵はその単語でしか言い表すことができない。
どうしようもないほどに圧倒的な、生まれながらの差。これからセレフィーナが努力しようが鍛えようが、この差が開くことはあれど埋まることは決してない。
「……探知術式なんて、使えない。さっきの雷撃も、わたくしには到底……」
理不尽だ。
底なし沼に沈められていくような無力感。手足だけがどんどん重くなって、底へ底へと沈んでいく。
どんなに苦しくても這い上がれない。現実という劇薬だけが喉に押し込まれ、そのうち息もできなくなってくる。
劣等感。嫉妬。羨望。
(言葉にするのは、こんなにも簡単ですのに……)
この思いはひたすらに気分が悪い。例えるなら、蛆虫が絶えず体の中を這い回るようだ。
消えてくれと何度願ったことか。しかしその度にその蛆虫が頭をもたげる。
思いからは、何人たりとも逃げられやしない。たとえそれが、セレフィーナ自身のものであろうとも。
ズシン。
地響きが聞こえる。
(わたくしに才能はない。自分でも、よく分かっておりますの)
柄をぐっと握りしめる。今まで何度も、何度も何度もそうしてきた。歯を食いしばって、剣をとった。
ズシン。また地面が鳴る。雪絵が言ったように、鬼がすぐそこまで来ている。
雪絵は戦闘のみならず、判断力や情報を把握する能力にも酷く長けている。鬼の襲撃を即座に察知し、レミリアに伝達。非戦闘員の避難を開始させた。シルヴィアの身の危険を悟った直後には、鬼を単独で撃破している。
考えるだけ無駄だと知っているのに、どうしても考えてしまう。
――自分が雪絵の立場だったら、同じように冷静な判断をくだせただろうか、と。
「セレフィーナ?」
静かに尋ねるその声色が。セレフィーナを心配そうに覗き込む赤色の瞳が。
その全てが、セレフィーナを嘲笑っているように、見えてしまった。
――ズシン。
『ギャおォおおん!!!』
大穴から鬼が現れる。
黒い巨体はさっきのと同じ。だがそいつに目はなかった。まるまると太った体に口だけかニヤリと笑みを浮かべ、舌から唾液を撒き散らす。
「セレフィーナ!早く立って!」
『ギャはハハッ』
そいつはセレフィーナを見て、笑った。
馬鹿にするように笑った。
「――わたくしを、」
両手で柄を握りしめ、身をかがめてつま先に力を込める。
「セレフィーナ!?」
燃えるような怒りと虚しさが、胸を焼く。
「笑うなぁあああ!!!」
地面が割れる力でつま先を蹴り、鬼目掛けて跳躍した。スピードはそのままに、前に剣を突き出し鬼に襲いかかった。
「待って!セレフィーナ!」
瞬間。
『なぁハハッ!!』
待っていましたの言わんばかりに、鬼は笑った。
鬼があんぐりと大口を開ける。
その瞬間、セレフィーナは鬼の狙いを悟った。
(こいつ、わたくしを食うつもり!?)
突きのスピードは最高潮。セレフィーナにも、止めることはできない。
鬼の姿が目の前に迫る。人間のような舌から唾液がこぼれ落ちていく。
舌がセレフィーナの胴に巻き付く。
生ぬるい体温と腐臭が押し寄せ、反射的に咳き込んでしまった。
せめて、剣だけは離さまいと両手を握りしめ。鬼を力いっぱい睨みつけて。
「セレフィーナッッ!!!」
慟哭の様な雪絵の叫びを最後に、セレフィーナの視界は真っ黒になった。




