襲撃
無数に飛来する銀色の矢に、セレフィーナは唇を噛む。
地の利を活かしたトラップ型術式は看破された。
それどころか、雪絵は術式の仕組みを書き換え、己の利としてみせた。並大抵の術師にできる芸当ではない。
圧倒的な才能とセンス。
天賦の才、という言葉が脳裏を過ぎる。
(わたくしに才能はない。そんなこと、とうに分かりきったことですわ!)
柄を痛いくらいに握りしめ、銀色の矢を凝視する。雪絵の符力が凝縮された矢は、セレフィーナとて当たればただではすまない。
迎撃は可能。だがここで受けてに回れば、敵に隙を与えると同義。この状況で後手に回れば、物量で押し切られセレフィーナが負ける。
敗北。
すなわち、セレフィーナが雪絵よりも絶対的に劣っていると、この場で証明される。
(それだけは、それだけは絶対に……!)
トラップは無効化され、もはやセレフィーナにはこの身ひとつしか残されていなかった。
それでも、心は荒まない。セレフィーナにはまだ腕があり、その手には剣が握られている。
誰に憐れまれようと、憎まれようと。がむしゃらに鍛え上げ、血反吐を吐いてきた鍛錬の日々。
セレフィーナはローゼンベルク家の誇りであるために。その為だけに、この日まで歩んできたのだ。
その努力が、水泡に帰すなどあってたまるものか。
きつく歯を食いしばる。
「あなたには、負けられないんですの!」
力のままに地を蹴った。セレフィーナの体は疾風のごとく一筋の影となり、押し寄せる矢をひらりと躱してみせる。後方で鳴る爆発に目もくれず、雪絵に元へ駆け抜けた。
手前で再び跳躍。宙に体を踊らせ、右手の剣を高々と掲げる。
「やぁあああッ!」
渾身の力で刀身を叩きつけようとした――刹那。
――ドゴォォォオン!
地割れのような衝撃が、会場を揺らした。
※
「きゃああああ!」
会場のあちこちで悲鳴と動揺が走る。皆が頭を抱えうずくまり、隣の人と身を寄せ合った。腹の底から響くような振動がビリビリと体に伝わる。
「あうっ」
目の前でセレフィーナが地面に倒れ込んだ。つまり、これはローゼンベルク家の企みではない。
セレフィーナでさえ知りえない、"第三者"の介入。
緊急事態に備え、雪絵は腰を低くししゃがんだ。轟音の鳴った方へ目を向ける。
飛び込んできた光景に、雪絵は瞠目した。
「壁が……!」
会場の北側。ちょうど国王陛下がいる場所から見て正面の方に、巨大な穴が穿たれていた。
(術式による破壊?いや、符力の反応はなかったはず。なら一体何が……)
雪絵の思考を他所に、そこにいてはならない物が姿を晒す。
一歩一歩踏みしめるように、巨体が動く。その塊が動く度に会場全体が揺れ、シャンデリアがチカチカと瞬いた。
穿たれた穴から見えた姿に、雪絵は息を呑む。
「……ありえない」
どこか見覚えのある黒い巨体。まるまると太った図体に、無数に散りばめられた眼球が獲物を定めるように蠢く。中心に空いた穴から、まるで人間のような舌が覗き、舌なめずりをした。
てらてらと光る表皮と、人間に似通った形。獣臭さを感じる挙動。
(いや……そんな、はずは)
念の為仕込んでおいた探知術式を発動。
まぶたを閉じる。モノクロに映された世界の中、赤黒い炎があちこちに揺らめいていた。
ひとつ、ふたつ――探知範囲内に、8つ。
「レミリアッ!」
フッ。空気が掻き消える。
雪絵が叫ぶと同時に、解説席にいたレミリアが宙を駆けた。空中で器用にもドレスを破り、重々しい布から解放された脚で、
「ウラァ!!!」
黒い巨体に向かって、勢いそのままに踵落としを放った。
『ぎゃア!』
巨体の頭がねじ曲がり、ドシィィンと轟音を撒き散らし地面に沈む。レミリアはさらに腹に追撃を入れ、巨体を城外へ追い出した。
「数はッ!?」
レミリアが尋ねる。雪絵は簡潔に答えた。
「8体!全員屍喰らいと同じ――新型の鬼よ!」
雪絵が告げると、レミリアはニィと口角を釣り上げ笑った。
空恐ろしさを感じつつ、必要な情報だけを伝える。
「城内に3体、外に5体いる!」
「了解!ノクス、来い!」
会場警備にあたらせていた副官を呼び寄せる。ノクスは大柄な体に似合わず、すぐさまレミリアの隣へ傅いた。レミリアが小声で指示を出すと、ノクスは警備に配置された鬼狩りを率いて城外へ飛び出していく。
「残りは非戦闘員の避難誘導にあたれ!」
「「了解」」
レミリアの一声で、その場にいた隊員が一斉に散った。
いくらアルカイダ帝国とはいえ、国民全員が戦闘員という訳ではない。とりわけ、今回の参加者には学者や芸術家も多くいる。彼らを守りながら鬼を撃退するのは、如何に雪絵やレミリアでも厳しい。
目元に影がさす。見上げると、あれだけ燦々と輝いていた太陽に雲が陰っていた。嫌な感じが背筋を伝う。
(あれだけの数……レミリアたちなら問題ないだろうけど、さすがに手が足りない)
「雪絵!」
振り返ると、シルヴィアが必死の形相で雪絵に駆け寄ってきた。
「これは一体……」
かなり動揺しているようで、いつものひょうきんな態度はなりを潜めていた。辺りを忙しなく見回し、雪絵に問いかける。
「新型の鬼が襲ってきた。タイミングから見て、目的はおそらく……」
ぐっ、と奥歯を食いしばる。
頭の中にチラつく、様々な情報の断片。繋ぎ合わせれば、明白な答えにたどり着くことができた。
しかし、それを口にするには。
(私には――覚悟が足りない)
「……雪絵?」
心配するシルヴィアの声が、覗き込んでくる青い瞳が。
どうしても、雪絵を責めているように聞こえてしまう。
空に暗雲がかかり、雨が降り始めた。灰色の景色に覆い尽くされた空からは光は降り注がない。石礫のような雨が次々と地面に打ちつけられ、雨音が耳に突き刺さる。
きつく目を瞑り、開く。
「なんでもない。シルヴィアは、陛下とステラを連れて逃げて。敵の狙いには皇族も含まれているはず、だから」
「ですが!雪絵を置いていくことは……」
「いいから早く!」
シルヴィアが黙り込んだ。拳を握りしめ、言葉を飲み込むように逡巡する。
やがて、腹を決めたように唇を開いた。
「分かりました。避難を完了させたら、すぐに戻ってきます」
「……分かった。それでいいわ」
暗に自分は引く気はないという意思表示だが、雪絵は了承する。シルヴィアが大人しく引き下がるとは思えないし、ここで口論するだけ時間の無駄だ。
シルヴィアが階上に駆け上がるのを横目に、雪絵はセレフィーナの傍に屈む。
「立てる?」
「うっ……」
どうやら軽く頭を打ってしまったらしい。額に手を当てつつ、セレフィーナが起き上がった。周囲を見回すと、赤色の瞳が大きく見開かれる。
「なに、これ……」
大穴の空いた壁に、飛び散る瓦礫。逃げ惑う人々。
「鬼の襲撃よ」
信じられない物を見るように、雪絵を凝視する。
気持ちは痛いほど分かった。通常、人が密集した場所に鬼が現れることは滅多にない。加えて、今回は屍喰らい級の強さを誇る鬼が8体同時。それもピンポイントに現れた。
セレフィーナとて、鬼狩りの関係者という訳ではない。慣れない事態に規格外の存在が加えられれば、動揺するのも無理はないだろう。
「鬼?なんでこんな場所に……」
「……分からない。けど、今は逃げて」
腕を引き、セレフィーナを立ち上がらせる。全身を見ても、特段大きな怪我はなさそうだ。これなら問題なく動けるはず。
「できれば、他の人の避難を手伝ってくれると助かるわ。ともかく今は、一刻も早くこの場を」
「じょ、冗談じゃありませんわ!」
乱雑に雪絵の手を振り払い、セレフィーナは双剣を手に取った。
柄を固く握りしめる。壁にできた大穴を見遣り、静かに歩き始めた。
「待って!」
「嫌ですわ!」
雪絵は再度手を握るも、今度は剣ごと振り払われてしまう。
「わたくしはセレフィーナ・ローゼンベルク!ローゼンベルクの人間として、この家と人々を守る義務がありますの!」
赤色の双眸には、意地と決意が宿っている。
きっと彼女は、ローゼンベルク家に生まれたことを誇りに思っているのだろう。家柄というのは良くも悪くも人を育てる。人の上に立つ人間として教育を受けた彼女が、今更立場を置いて逃げ出すわけがないのだ。
雪絵は口を噤む。
本当は、誰かを傷つける言葉など言いたくはない。
けれど今だけは、言わねばならない。
「あなたには、あの鬼の相手は務まらない!」
「!」
その一言で、空気が凍りついた。
「自分でも分かってるはず。あなたは強い――けど、私には及ばない。なぜなら、あなたには才能がない」
刹那。
ほんの少しだけ、セレフィーナの瞳の奥に弱々しい子供が見えた。
わなわなと唇が震え、一文字に引き締められる。きつく唇を噛み締め、鋭い眼差しで雪絵を睨みつける。
「あなたに何が分かりますの!?」
瞬く間に頬が紅く染まり、セレフィーナは雪絵の胸ぐらを掴んだ。息苦しさに雪絵は顔をしかめる。
しかし雪絵よりも、セレフィーナの方がよっぽど堪えるはずだ。きつく噛み締めた奥歯の軋みが聞こえてくるようだった。雪絵を睨む目尻には、少しだが涙が光っているのを見逃さない。
「私が言ったのは単なる事実。個人の感情は関係ない。……だから、早く避難を」
「うるさい!」
「ッ、」
銀色の閃光が視界に走る。
間一髪のところで上体を捻り、雪絵は剣先を躱した。セレフィーナは血が滲むくらい唇を噛み締めている。
「生まれた時から全部を持ってるあなたなんかに、わたくしの全てが分かってたまるもんですか!どれだけの時間を、わたくしが剣の腕を磨いたか!……あなたに分かりますの!?」
「分からない。……けど、今はそんなこと言ってる場合じゃ、」
何とか歩み寄ろうとするも、再び剣先が目の前を切り裂く。その場から動くこともできず、伸ばした手だけが宙に置いていかれる。
「……そんな、ことですって?わたくしの思いを、どこまでこけにすれば気が済むのッ!?」
子供のように地団駄を踏んで暴れるセレフィーナ。行動は子供じみているのに、その目だけは妙に生々しく、力強い。
「違う。今は、感情に任せて動いてはダメ。敵は強大で……下手を打てば、あなたでも死んでしまう」
――ピシャン!
空から稲妻が走り、雷鳴が轟いた。一時の光が影を生み、雪絵の姿を色濃く浮き上がらせる。
暴風をまとい、雨が地面を打ち付ける。ザーザーと耳に入る雨音が、ノイズのように広がっていく。
「……敵って、なんですの」
静かな問いに、雪絵は拳を握りしめた。
「それは――」
たった一呼吸の間。上空から影が降り立ち、雪絵達を睥睨する。
「俺たちだよ」
黒いフードを被った男が、ニヤリと笑った。




