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剣戟


 雪絵の首元に展開する首輪を見て、セレフィーナはえも言えぬ気味悪さを覚えた。

 (やはり杖は使わない。……それに、複数術式の同時展開。まともにやり合ったら、わたくしに勝ち目はありませんわ)

 花霞の鬼神――何度も何度も報告書で見た名だ。彼女の立つ戦場には塵芥も残らず、鬼はおろか仲間すらも消え失せる、と。

 鬼狩り機構に提出された報告書には、彼女の戦闘スタイルほとんど記載されていなかった。なぜなら、ほとんどが一撃で片付けられていたからだ。だが数少ない情報からも、ある程度の予想はできる。

 確かに彼女は最強だ。防護障壁、浮遊術式、自己回復術式などの同時展開。その他、ノータイムで攻撃術式が飛んでくるとなると、セレフィーナの勝率は限りなくゼロに近づく。

 (でも、あれが効けば……確実に隙をつくれる!)

 勝負を吹っかけた以上、セレフィーナにも勝算があった。

 一対のロングソードを同時に引き抜く。

 ジャリィイン!鈍い音とともに刀身が露になる。長い間、セレフィーナが鍛え上げてきた1級品であり、何百回と苦楽を共にした相棒。

 両手に剣を携え、セレフィーナは正面から雪絵と向き合う。対する雪絵は、瞬きをしただけで何の動きも見せない。

 きつく奥歯を噛み締める。照明が頭上にチカチカ瞬き、セレフィーナを焼き尽くさんばかりに照らす。

 (わたくしの負けは、絶対にあってはならないの)



 ※


 鉛色に輝く刀身を視認し、雪絵は冷静に思考を回す。

 (二刀流……。符力の反応はない。術者ではなさそうね)

 花霞には、鬼狩り以外の戦闘員はほとんど見られなかった。戦闘を忌み嫌う国民性から自発的に訓練する市民はおらず、帯刀を許されていたのはお上直轄の警察組織だけだった。

 しかしここ、アルカイダでは違う。強さと社会的地位がほぼ直結していると言っていいこの国では、戦闘力は着飾る宝石であり、武器だ。貴族ともなれば、幼少から戦闘技術を叩き込まれるらしい。

 (見たところ隠し武器も杖の反応もない。正面からやり合うつもり……かしら)

 だが油断は禁物だ。不意打ち狙いの奇襲も十分ありにえる。

 少し高めのヒールをカツンと鳴らし、顔を顰めた。

 (欲を言えば着替えさせて欲しいけど……さすがに無理そう)

 会場のボルテージは最高潮。ここで水をさせば、後々あとを引きかねない。

 雪絵に仕立てられたものはドレスは、いわゆる前上がりドレスというもの。上半身は巫らしく袖の広い白衣を纏い、下半身は洋風のスカート。太ももまであるニーハイソックスは多少は動きづらいが許容範囲だったので容認した。だが今となってはそれすら煩わしい。

 なるべく動きを最小限に留め、術式をメインに戦う。それが1番合理的だろう。

「両者、準備はばっちりのようです!」

 雪絵の心情を他所に、ローゼンベルク卿は至極楽しそうに実況している。

 波が引くように歓声が引いていく。嵐の前の静けさを、観客自身が演出しているようだ。

 空気が冷えていく。

 周囲の息遣い、布が擦れる音。僅かに鼻につく鉄の香り。不必要な情報が徐々に消えていく。自分の感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。

「それでは、開始のゴングを……」

 音とは、すなわち振動。僅かな空気の揺れが、漣を打つように鼓膜を伝わっていく。

 カァン!

 その音が聞こえた時には、雪絵は既に地を蹴っていた。

 しかし。

 次の瞬間、セレフィーナの体が眼前に踊る。

 (――速い!)

 猛然と突進してきた、と脳が認識する間もなく、叩き込まれる剣戟。自動で防護障壁が展開し、激しい火花が散る。

 一撃だけでは攻撃の手は緩められない。立て続けに

2撃、3撃と剣が振るわれ、衝撃が肌を撫でる。

 チラリと見えたセレフィーナの顔は、もはやご令嬢の表情ではなくなっていた。唇を釣り上げ、瞳を爛々と見開いている。

 ギィイイン!

 一際大きな衝撃とともに、渾身の突きが障壁を打つ。勢いを利用して後ろへ跳躍、一旦距離を取った。

 (手数も威力も凄まじい。近接戦だと押し負ける。……なら!)

 周囲に展開する結晶体を、掴み、砕く。

 白銀の陣が展開。予め仕込んだ、追尾性能をつけた圧縮術式。白銀の矢がセレフィーナへ飛来する。

 飛んでくる矢を視認し、セレフィーナは両剣を正面に構えた。直後、符力の塊と剣が衝突。目を焼く閃光とともに衝撃波が押し寄せる。

 レミリアとの手合わせで使用した術式の改良版だ。威力は低いが、直撃すればタダでは済まないはず。

 閃光が止み、視界が晴れていく。

「痛ッたいですわね」

 粗野に毒づく。剣を交差させ矢を弾いたご令嬢殿は、苛立ちを露に舌打ちをした。

 (威力が足りなかったか)

 自省しつつ、浮遊魔法で軽く宙に浮く。

 円形に作られた闘技場はそこそこの広さがあるものの、動き回るには少々手狭だ。加えて、今までの試合を見るに場外に出た時点でおそらく負けが確定する。つまりは、この狭い盤上を上下にしか移動することができない。

 浮遊魔法で一気に上昇し、上から弾幕に物を言わせて片づけるのも手ではある。だが、その場合雪絵が一方的にリンチを行うと同義だ。観客として集まった貴族や、ローゼンベルク卿にも良い印象は持たれないだろう。

「随分余裕ですのね」

 両手剣を斜めに構え、セレフィーナが尋ねる。

「そうでもない」

 短く返す。紛れもない本心なのだが、セレフィーナはさらに表情を歪めた。

「バレバレな嘘ほど興が冷めるものもありませんわ」

 実際のところ、雪絵には手を抜いているつもりはない。しかしセレフィーナは何か気に障るようだ。

「あなたの力がその程度なわけないですの。――花霞の鬼神が、この程度では」

 勝負にもならない。

 好戦的な赤い目が、雪絵を挑発する。

 雪絵は元来、人との戦闘を避けてきた。

 圧倒的な力の差に、多くの者を踏みつけにするのを嫌ってのことだ。それに、暴力にものを言わせるのを好ましく思ってはいない。

 しかし、目の前にいるのはただの弱者ではない。むしろ、雪絵を狩ろうと首元に噛みつかんとする獣だ。

 無意識に笑みが零れる。

「なら、ご期待に添わないとね」

 結晶体を砕く。

 雪絵の背後から薄青の陣が複数展開。出現した石礫のような氷の塊がセレフィーナ目掛け飛んでいく。

 氷結術式。氷の針で攻撃をする単純な術式だ。しかし雪絵の符力とコントロールが合間れば、立派な脅威となりうる。

 セレフィーナは幾つかの氷塊を剣で弾き、スライドステップで残りを躱した。そのまま空中へ飛び上がり、雪絵へ猛然と襲いかかる。

「てや――っ!」

 上空から飛んできた剣先と、防護障壁が火花を散らす。ギリギリの均衡で両者の力がせめぎ合う。

 永遠とも思える拮抗。だが、決着というのは呆気なく訪れる。

 ピシッ。

 氷にヒビがはいるように、障壁に亀裂が走った。

 (割られる)

 即座に判断し、雪絵は障壁の位置を斜めにずらした。

「!」

 セレフィーナが驚く間もなく、剣先がずり落ちて地面に突き刺さる。深く刺さった剣はそうそう簡単には抜けまい。

 その隙を逃す雪絵ではない。

 セレフィーナの後ろへ回り込み、結晶体を砕く。高威力に設定した圧縮術式を展開。がら空きの背中に向かって放とうとした、その時。

 ニヒルに、赤い瞳が笑う。

「甘いんですわ!」

 セレフィーナの剣が光を帯びた。

 (――符力反応!)

 を感じた時には既に、自動で防護障壁が展開していた。

 ジャギィン!

 雪絵の真下から、鋭い剣先が突き出てくる。間一髪で防御し、一度空中に退避。念のためセリフィーナと距離をとり、体勢を整えつつ思考を回す。

「チッ」

 セレフィーナが悔し気に舌を打つ。

 (符力がある。つまりは術式……。けど、一体どうやって?)

 今一度セレフィーナの姿を観察。装備は両手剣と、太ももに投擲用の投げ針が数本。術式の要になるはずの杖は見られない。

 見られない、のだが。

 (一から術式を組むには発動時間が短すぎる。それに、直前まで符力の反応がなかった)

 現時点で考えられる可能性は幾つかある。が、どれも根拠に欠ける机上の空論だ。

 (……もしかして、)

 僅かでも手掛かりを得るため、雪絵は浮遊術式を解除した。両足で闘技場の上に立ち、ゆっくりと感触を確かめる。

 つま先で軽く地を小突く。一見普通の闘技場に見えるものの、微かな違和感を感じた。靴から伝わる感触でも、見た目でも、はたまたにおいでもない。

 となれば、考えられる可能性はひとつ。

 半信半疑に、雪絵は自身の符力を闘技場に流し込んだ。

 ――ビリッ!

 確かな手応え。

 闘技場に全体に、術式の反応があった。それもひとつやふたつではない。少なくとも50、多ければ100以上の術式のタネがある。

 背筋に電流が走る。無意識のうちに口角が上がり、高揚にも似た感覚が雪絵を包んだ。恍惚とした、蕩けるような戦闘の緊張感。セレフィーナの知恵と、勝利への貪欲さに対する純粋なる尊敬。

「起動式のトラップ……素晴らしいわ」

 ぽつりと言葉をこぼれた。

 ゾクゾクと、身体中に興奮が流れていく。血が喚き叫ぶ。戦え、戦え。

 ――目の前の敵を、叩き潰してしまえ。

 セレフィーナが怪訝そうに眉を顰めた。

「何を笑っているの?」

 「!」

 尋ねられ、雪絵はハッと我に返った。さっきまでの高揚感は霧散し、冷たさが指先から染み込んでいく。

 自分は今、何を考えていたのだろう。

 ドクン、ドクン。心臓の鼓動が響く。視界がぶれて、前が見えない。

 自問自答が冷や汗を生み、さらに冷たいものが雪絵を浸食していった。呑まれる、と咄嗟に息を止める。深く呼吸をし、思考を切り替える。

 セレフィーナが姿がはっきり見えるようになって、短く息を吐いた。

 指先から冷えが引いた。ようやく口が開く。

「……いいえ」

「……ふーん?」

 セレフィーナは突き刺さった剣を勢い良く引き抜いた。

「顔色が悪いですわ。何かありまして?」

 意地が悪そうに笑って見せる。よりによってセレフィーナに露見するとは、自分もまだまだ詰めが甘い。舌打ちをしたくなる気持ちをぐっと抑え、あくまでも平静を装う。

「なんでもないわ」

 再び浮遊術式を起動する。

「あなたこそ、ずる賢い手を使うのね」

 この闘技場全体には、おそらくセレフィーナが仕込んだであろう術式のタネが仕掛けられていた。

 術式のタネとは、効力を発揮する前段階の状態。ひとたび術者が符力を流し込めば、事前に仕組んだ通りに術式の効果が発動する。つまるところ、杖に用いられる手法と同じだ。

 セレフィーナは術式発動に必要なすべての情報を書き込んでおき、必要となれば符力を流すだけで効果を発動させることが可能となる。

 要するに、この闘技場全体が彼女の杖というわけだ。

「あの花霞の鬼神を相手にするんですもの。これくらいの対策は、当然ではなくて?」

 チラリと視線を動かす。

 観客はセレフィーナの仕掛けを知ってか知らずか、相も変わらず沸き立っている。実況も特に言及する様子はない。国王陛下も静観している。

「……そうね」

 相手のフィールドで戦うとなると、雪絵とて不利になるのは確か。

 だが、この世に完璧な術式は存在しない。

 結晶体を砕く。

 左手で圧縮術式を展開。再度セレフィーナへ放つ。

「無駄ですの!」

 符力の弾丸を浴びせる。が、両手剣に阻まれ、追尾した弾も華麗なステップで避けられる。さも踊るように舞い、攻撃を簡単に捌いていく。

 (見事ね)

 セレフィーナの実力に心から敬意を覚えつつ、右手で新たな術式を組み立てる。

 符力パターンの解析。出力の調整。術式の発動条件を、雪絵の符力へと塗り替える。セレフィーナが攻撃を捌き終え、ギラリと雪絵を睨みつけた。

 (よし)

 術式が組み終わった。直後、セレフィーナが一直線に突進してくる。

 セレフィーナの姿を確認し、雪絵は浮遊術式を解除した。

 雪絵は闘技場へ降り立ち、右手を地へ添える。

「は?」

 セレフィーナは一瞬目を丸くし、直後、両足を踏ん張って後方へ跳躍した。恐るべき勘の鋭さと身体能力。

 ――ジャギィン!

 セレフィーナが跳躍した瞬間、彼女がいた地面から鈍い刀身が突き出てきた。何が起きたのか理解できず、表情が硬直。しかし次の瞬間には、

「……こ、の鬼神がぁ!」

 赤い瞳が雪絵を睨みつけた。睨み返すのも時間の無駄なので、再度結晶体を砕く。

 圧縮術式を同時展開。雪絵の後方から幾つもの陣が瞬き、符力の弾丸がセレフィーナへ押し寄せる。








「――鬼神の力はまだ健在、か」

 観客席の片隅に佇む男は、不敵に微笑む。

 少し視線を上げれば、闘技場の上で激しい戦闘を繰り広げる鬼神の姿が見えた。最後に目にした時から、一切変わることのない美しい姿。淡々と相手を追い詰める一手を打つ冷酷無比な頭脳。男の憧れ……だったもの。

「……くそが。アルカイダなんかに染まりやがって」

 懐へ忍ばせた小瓶を確認。脈を打つように蠢く黒い物体は、男から見ても気色が悪い。

 数こそは少ないが、()()の運用試験にはもってこいだろう。男は通信用の結晶体を握り、唇を寄せる。

 ニィ。自然と口角が上がる。

「事を起こすには好機だぜ、先導者殿?」

 結晶体の向こうから、静かな声色が伝わった。




 

 

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