第60話:最強の模倣者と、目覚める守護竜
図書室裏の倉庫でのスパイ確保から、数日が経過した。
捕らえられたスパイはシリルの手によって即座に尋問にかけられ、『古き盟約』の学園内ネットワークは大きな打撃を受けたはずだった。
だが、『生活環境向上委員会』の部室に集まった俺たちの表情は、決して明るくはなかった。
「……つまり、君の動きを完全にコピーする者が現れたと?」
腕を組んだセオドア殿下が、険しい顔で確認する。
俺は紅茶のカップを見つめたまま、静かに頷いた。
「ええ。体術だけでなく、魔力操作の癖、そしてわたくしの『隠密魔法』までも一瞬で模倣されました。間違いありません。あれは、対象の技術をそのまま鏡写しにする能力です」
「それは厄介だね。僕の『真実の瞳』でも、完全に気配と魔力を断たれてしまえば、一歩出遅れることになる」
リュシアンが顎に手を当てて思考を巡らせる。
「厄介なのはそれだけではありませんわ。あの者の基礎戦闘力は、限りなく……わたくしと同等です」
その言葉に、二人の王子の顔色が変わった。
俺の異常な戦闘力を知る彼らにとって、それがどれほどの脅威か、想像に難くないだろう。
「……アイリス」
殿下が、低い声で俺を呼んだ。
「次に奴が現れた時は、決して一人で戦おうとするな。必ず僕たちを呼べ。いいな?」
「……善処しますわ」
俺は曖昧に微笑んだ。
しかし、暗殺者の直感は告げていた。次にあいつが来る時は、確実に俺の命を刈り取るための準備を整えてから現れるだろう、と。
◇◇◇
そして、その直感は最悪の形で的中することになる。
三日後の夜。
寮の自室で眠りにつこうとしていた俺は、ふと目を開けた。
窓の外、学園の裏森の方向から、あの『空っぽ』の気配が意図的に放たれているのを感じたのだ。
(……誘い出しているのか)
俺は音もなくベッドを抜け出し、紺色のローブと仮面を身に纏った。
殿下たちを呼ぶ暇はない。相手はこちらの動きを読んでいる。少しでも隙を見せれば、今度は学園の生徒たちに被害が及ぶかもしれない。
「クロ。お前はここで留守番だ」
「にゃーん」
ベッドの上で丸くなるクロの頭を撫で、俺は窓から夜の闇へと飛び出した。
裏森の開けた場所。
月明かりの下に、深くフードを被った『そいつ』が立っていた。
「……律儀に待っていてくれたのか」
俺が静かに着地すると、そいつはゆっくりと振り返った。
「あなたを殺すために、最適な場所を選んだだけです」
平坦な声。
次の瞬間、交渉の余地もなく戦闘が開始された。
俺は『縮地』で距離を詰め、右手に構えた暗器で喉元を狙う。
だが、相手も全く同じタイミングで『縮地』を使い、俺の暗器を同じ角度で弾き返してきた。
ガキィッ!!
火花が散り、衝撃で互いの身体が弾き飛ばされる。
着地と同時に、俺は『分解魔法』を足元の地面に流し込み、石の礫を散弾のように撃ち出した。
しかし、敵は即座に同じ『分解魔法』を相殺するように放ち、空中で礫同士が衝突して粉々に砕け散る。
(……くそっ! 千日手どころか、向こうの方が反応速度が上がっている!)
前世で『ゼロ』と呼ばれていた頃の自分自身と、命懸けのチェスをしているような感覚。
俺の思考、俺の癖、俺の最適解。その全てが読まれている。
ジリジリと、俺は追い詰められていった。
体力が削られ、息が上がる。対してその鏡のような敵は、機械のように無尽蔵のスタミナで俺の魔法をコピーし続けている。
「アイリス!!」
ふいに、森の奥から声が響いた。
リュシアンだ。俺の気配に気づき、追ってきたのだろう。
「来るな! 危険ですわ!」
俺が叫んだ瞬間、鏡が左手をリュシアンの方向へ向けた。
ドーム状の強固な魔力の壁が出現し、リュシアンの行く手を完全に遮断する。
「くっ……! なんだ、この結界は!」
リュシアンが短剣で壁を叩くが、びくともしない。
その一瞬の隙。俺がリュシアンに気を取られたコンマ一秒の死角を、鏡は見逃さなかった。
気づいた時には、鏡の刃が、俺の心臓の数センチ手前まで迫っていた。
(……躱せない!!)
死を覚悟し、俺が奥歯を噛み締めた、まさにその瞬間だった。
「――アイリスに、触るな」
ズドォォォンッ!!!
俺のローブの陰から、黒い弾丸のようなものが飛び出したかと思うと、それが爆発的に膨張し、圧倒的な衝撃波を伴って鏡の身体を遥か後方へと吹き飛ばした。
「……え?」
俺は呆然と、目の前の光景を見上げた。
そこにいたのは、いつも俺の膝の上で丸くなっている能天気な黒猫でも、ポテトチップスを食べる少年でもなかった。
月光を弾く漆黒の鱗。巨大な蝙蝠のような翼。そして、黄金に輝く縦長の瞳。
全長十メートルを超える、威風堂々たる『漆黒のドラゴン』が、俺を庇うように立ち塞がっていた。
「ク、クロ……!?」
俺の間の抜けた声に、ドラゴンは振り返り、その黄金の瞳を優しく細めた。
「ケガはないか、アイリス」
低く、地を這うような、王者の風格すら漂う威厳に満ちた声。
(こ、こいつ……こんな声出せたのか!? というか、こんなに大きくなれたのか!?)
俺が言葉を失っていると、吹き飛ばされた鏡がゆっくりと立ち上がった。
初めて、その無機質な瞳に『動揺』の色が浮かんでいる。ドラゴンの圧倒的な魔力は、鏡のコピー能力の範疇を完全に超えていた。
「……想定外の戦力。これ以上の戦闘は不可能」
鏡は冷静に状況を判断し、退却の準備に入る。
だが、闇に溶けようとする直前、鏡は俺の方を向き、ぽつりと呟いた。
「……羨ましい」
感情のない声に混じった、微かな熱。
そして、鏡は最後に告げた。
「盟主が、貴女に興味を持っています。『影』」
その言葉を置き土産に、鏡の姿は森の闇へと完全に消え去った。
静寂が戻った森の中。
リュシアンを阻んでいた結界も消滅し、彼は息を切らしながら駆け寄ってきた。
「アイリス! 無事か!?」
「え、ええ……」
「それにしても……君の相棒、本当に規格外だね」
リュシアンが、呆然と巨大なドラゴンを見上げて呟く。
戦闘が終わり、俺はまだ信じられない思いでクロを見上げた。
「お前……いつからあんなに大きくなれたんだ」
「ずっとなれたよ」
クロは、誇らしげに鼻を鳴らした。
「アイリスが本当に危なくなったら使おうと思ってたんだ。おれ、強いからな!」
「……その判断基準、今度じっくりと聞かせろ。もっと早く出てきてよかったんだぞ」
「だってアイリス、強いから。おれが出なくても勝てると思ってたし」
悪びれもせず答えるクロに、俺は深く、深ーいため息をついた。
強すぎるが故の悲劇。俺のスローライフは、相棒にすら「こいつ一人で大丈夫だろ」と過信されるレベルまで達してしまっていたらしい。
だが、その巨大な背中を見ていると、心の中の強張りが少しだけ解けるのを感じた。
前世では、背中を預けられる相手などいなかった。
今は、俺を守ろうと牙を剥いてくれる、規格外の相棒がいる。
(……まあ、悪くないか)
俺は漆黒のドラゴンの硬い鱗をそっと撫で、次なる『黒幕』との決戦に向けて、静かに覚悟を決めるのだった。




