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元・暗殺者の異世界ゆるふわスローライフ計画  作者: 希羽
第5章:砕け散った仮面

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第60話:最強の模倣者と、目覚める守護竜

 図書室裏の倉庫でのスパイ確保から、数日が経過した。

 捕らえられたスパイはシリルの手によって即座に尋問にかけられ、『古き盟約』の学園内ネットワークは大きな打撃を受けたはずだった。


 だが、『生活環境向上委員会』の部室に集まった俺たちの表情は、決して明るくはなかった。


「……つまり、君の動きを完全にコピーする者が現れたと?」


 腕を組んだセオドア殿下が、険しい顔で確認する。

 俺は紅茶のカップを見つめたまま、静かに頷いた。


「ええ。体術だけでなく、魔力操作の癖、そしてわたくしの『隠密魔法』までも一瞬で模倣されました。間違いありません。あれは、対象の技術をそのまま鏡写しにする能力です」

「それは厄介だね。僕の『真実の瞳』でも、完全に気配と魔力を断たれてしまえば、一歩出遅れることになる」


 リュシアンが顎に手を当てて思考を巡らせる。


「厄介なのはそれだけではありませんわ。あの者の基礎戦闘力は、限りなく……わたくしと同等です」


 その言葉に、二人の王子の顔色が変わった。

 俺の異常な戦闘力を知る彼らにとって、それがどれほどの脅威か、想像に難くないだろう。


「……アイリス」


 殿下が、低い声で俺を呼んだ。


「次に奴が現れた時は、決して一人で戦おうとするな。必ず僕たちを呼べ。いいな?」

「……善処しますわ」


 俺は曖昧に微笑んだ。

 しかし、暗殺者の直感は告げていた。次にあいつが来る時は、確実に俺の命を刈り取るための準備を整えてから現れるだろう、と。


 ◇◇◇


 そして、その直感は最悪の形で的中することになる。

 三日後の夜。

 寮の自室で眠りにつこうとしていた俺は、ふと目を開けた。

 窓の外、学園の裏森の方向から、あの『空っぽ』の気配が意図的に放たれているのを感じたのだ。


(……誘い出しているのか)


 俺は音もなくベッドを抜け出し、紺色のローブと仮面を身に纏った。

 殿下たちを呼ぶ暇はない。相手はこちらの動きを読んでいる。少しでも隙を見せれば、今度は学園の生徒たちに被害が及ぶかもしれない。


「クロ。お前はここで留守番だ」

「にゃーん」


 ベッドの上で丸くなるクロの頭を撫で、俺は窓から夜の闇へと飛び出した。

 裏森の開けた場所。

 月明かりの下に、深くフードを被った『そいつ』が立っていた。


「……律儀に待っていてくれたのか」


 俺が静かに着地すると、そいつはゆっくりと振り返った。


「あなたを殺すために、最適な場所を選んだだけです」


 平坦な声。

 次の瞬間、交渉の余地もなく戦闘が開始された。

 俺は『縮地』で距離を詰め、右手に構えた暗器で喉元を狙う。

 だが、相手も全く同じタイミングで『縮地』を使い、俺の暗器を同じ角度で弾き返してきた。


 ガキィッ!!


 火花が散り、衝撃で互いの身体が弾き飛ばされる。

 着地と同時に、俺は『分解魔法』を足元の地面に流し込み、石の礫を散弾のように撃ち出した。

 しかし、敵は即座に同じ『分解魔法』を相殺するように放ち、空中で礫同士が衝突して粉々に砕け散る。


(……くそっ! 千日手どころか、向こうの方が反応速度が上がっている!)


 前世で『ゼロ』と呼ばれていた頃の自分自身と、命懸けのチェスをしているような感覚。

 俺の思考、俺の癖、俺の最適解。その全てが読まれている。

 ジリジリと、俺は追い詰められていった。

 体力が削られ、息が上がる。対してその鏡のような敵は、機械のように無尽蔵のスタミナで俺の魔法をコピーし続けている。


「アイリス!!」


 ふいに、森の奥から声が響いた。

 リュシアンだ。俺の気配に気づき、追ってきたのだろう。


「来るな! 危険ですわ!」


 俺が叫んだ瞬間、鏡が左手をリュシアンの方向へ向けた。

 ドーム状の強固な魔力の壁が出現し、リュシアンの行く手を完全に遮断する。


「くっ……! なんだ、この結界は!」


 リュシアンが短剣で壁を叩くが、びくともしない。

 その一瞬の隙。俺がリュシアンに気を取られたコンマ一秒の死角を、鏡は見逃さなかった。

 気づいた時には、鏡の刃が、俺の心臓の数センチ手前まで迫っていた。


(……躱せない!!)


 死を覚悟し、俺が奥歯を噛み締めた、まさにその瞬間だった。


「――アイリスに、触るな」


 ズドォォォンッ!!!


 俺のローブの陰から、黒い弾丸のようなものが飛び出したかと思うと、それが爆発的に膨張し、圧倒的な衝撃波を伴って鏡の身体を遥か後方へと吹き飛ばした。


「……え?」


 俺は呆然と、目の前の光景を見上げた。

 そこにいたのは、いつも俺の膝の上で丸くなっている能天気な黒猫でも、ポテトチップスを食べる少年でもなかった。

 月光を弾く漆黒の鱗。巨大な蝙蝠のような翼。そして、黄金に輝く縦長の瞳。

 全長十メートルを超える、威風堂々たる『漆黒のドラゴン』が、俺を庇うように立ち塞がっていた。


「ク、クロ……!?」


 俺の間の抜けた声に、ドラゴンは振り返り、その黄金の瞳を優しく細めた。


「ケガはないか、アイリス」


 低く、地を這うような、王者の風格すら漂う威厳に満ちた声。


(こ、こいつ……こんな声出せたのか!? というか、こんなに大きくなれたのか!?)


 俺が言葉を失っていると、吹き飛ばされた鏡がゆっくりと立ち上がった。

 初めて、その無機質な瞳に『動揺』の色が浮かんでいる。ドラゴンの圧倒的な魔力は、鏡のコピー能力の範疇を完全に超えていた。


「……想定外の戦力。これ以上の戦闘は不可能」


 鏡は冷静に状況を判断し、退却の準備に入る。

 だが、闇に溶けようとする直前、鏡は俺の方を向き、ぽつりと呟いた。


「……羨ましい」


 感情のない声に混じった、微かな熱。

 そして、鏡は最後に告げた。


「盟主が、貴女に興味を持っています。『影』」


 その言葉を置き土産に、鏡の姿は森の闇へと完全に消え去った。

 静寂が戻った森の中。

 リュシアンを阻んでいた結界も消滅し、彼は息を切らしながら駆け寄ってきた。


「アイリス! 無事か!?」

「え、ええ……」

「それにしても……君の相棒、本当に規格外だね」


 リュシアンが、呆然と巨大なドラゴンを見上げて呟く。

 戦闘が終わり、俺はまだ信じられない思いでクロを見上げた。


「お前……いつからあんなに大きくなれたんだ」

「ずっとなれたよ」


 クロは、誇らしげに鼻を鳴らした。


「アイリスが本当に危なくなったら使おうと思ってたんだ。おれ、強いからな!」

「……その判断基準、今度じっくりと聞かせろ。もっと早く出てきてよかったんだぞ」

「だってアイリス、強いから。おれが出なくても勝てると思ってたし」


 悪びれもせず答えるクロに、俺は深く、深ーいため息をついた。

 強すぎるが故の悲劇。俺のスローライフは、相棒にすら「こいつ一人で大丈夫だろ」と過信されるレベルまで達してしまっていたらしい。

 だが、その巨大な背中を見ていると、心の中の強張りが少しだけ解けるのを感じた。

 前世では、背中を預けられる相手などいなかった。

 今は、俺を守ろうと牙を剥いてくれる、規格外の相棒がいる。


(……まあ、悪くないか)


 俺は漆黒のドラゴンの硬い鱗をそっと撫で、次なる『黒幕』との決戦に向けて、静かに覚悟を決めるのだった。

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